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【話の肖像画】ピアニスト 内田光子(1)16歳でウィーンにとどまる選択(1/2ページ)
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【話の肖像画】ピアニスト 内田光子(1)16歳でウィーンにとどまる選択(1/2ページ)
〈第27回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門の受賞者。12歳のとき、外交官の父親に同行して音楽の都... 〈第27回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門の受賞者。12歳のとき、外交官の父親に同行して音楽の都、オーストリア・ウィーンへ渡った。そして4年後、16歳にして早くも人生の岐路に立たされたという〉 父の次の任地はドイツ(当時は西独)。選択肢は2つだけ、ウィーンに残るか、家族と一緒にドイツに行くか、です。私は自問自答しました。 「ウィーンで接した音楽はこれまで聞いたことのないすばらしさで、発見の連続だった。それを失いたくない」「もしドイツに行けば、私は単にピアノがすごくうまい、外交官のお嬢さんで終わってしまう」…。 ピアノで生計をたてるなど思いもよらないことでしたが、「やってみよう」「やってみなければ分からない」と、そう思ったのです。 師事していた先生も私が残ることを望んでいて、両親を説得するためにいろいろと手を打ってくれました。そして私は年齢を「18歳」と偽り、学生ホステルに入居しました。こう