![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f37c01db23617a326bec6843f7c430b1beec5650/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fcommon%2Fimages%2Fogp_region.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
熊本・菊池飛行場空襲の航空写真を米で発見
昭和20年5月、米軍機が熊本県菊池市にあった旧陸軍菊池飛行場を襲撃した際に撮影した航空写真2枚が... 昭和20年5月、米軍機が熊本県菊池市にあった旧陸軍菊池飛行場を襲撃した際に撮影した航空写真2枚が、米国立公文書館で確認された。市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長の工藤洋三氏(73)=山口県周南市=が発見した。煙を上げる建物などが鮮明に写っていたという。(谷田智恒) ◇ 工藤氏は徳山工業高等専門学の元教授で、空襲・戦災に関する研究を続ける。毎年3〜4月に米ワシントンにある国立公文書館を訪れ、資料を精査している。 2枚の写真は今春、同公文書館所蔵の米海軍の軽空母「バターン」の戦闘報告書の冊子から発見した。 菊池飛行場は、大戦末期の沖縄戦で、特攻隊の中継基地となっていた。これに対し米軍は、空襲の実行を決定した。日向灘沖に停泊したバターンの艦載機などが使われた。 空襲で飛行場は壊滅的な被害を受け、少なくとも30人以上が死亡したとされている。見つかった写真は20年5月13、14日