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官軍と薩軍の恩讐を越えて 西南戦争の戦没者慰霊塔建立 鹿児島
今年は西南戦争(1877年)から140年。鹿児島県の僧侶や学識者らが鹿児島市の南洲公園内に、官軍... 今年は西南戦争(1877年)から140年。鹿児島県の僧侶や学識者らが鹿児島市の南洲公園内に、官軍(政府軍)と西郷隆盛(1828〜1877)が率いた薩摩軍の戦没者を共に弔う慰霊塔を建立した。23日の除幕式にはかつての両軍の子孫も一堂に会し、恩讐を越えての和解を誓い合った。(南九州支局 谷田智恒) 西南戦争は明治新政府で、朝鮮に開国を迫るか、内政を優先させるかの「征韓論争」で敗れ、鹿児島に下野した西郷ら旧薩摩藩士族が起こした。 西郷が下野後も明治政府には鹿児島の出身者も数多く残ったため、親子や兄弟、友人とが敵と味方に別れて激戦を繰り広げる結果となった。地元には深い遺恨が残った。 戦没者は今も、薩軍と官軍とでそれぞれ鹿児島市内の別々の墓所に葬られる。 「必死の思いで戦った後は、戦没者を敵味方なく供養するのが、薩摩武士道の博愛慈悲の精神文化だ。この精神にならおう」 鹿児島市の天台宗「南泉院」の住職
2018/05/05 リンク