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【大坂の陣400年】幸村と並ぶ英雄、後藤又兵衛 「大坂五人衆」の一人…希代の軍師官兵衛仕込みの武勇と知略 (1/5ページ)
【大坂の陣400年】幸村と並ぶ英雄、後藤又兵衛 「大坂五人衆」の一人…希代の軍師官兵衛仕込みの武勇... 【大坂の陣400年】幸村と並ぶ英雄、後藤又兵衛 「大坂五人衆」の一人…希代の軍師官兵衛仕込みの武勇と知略 豊臣方と徳川方が激突した400年前の大坂の陣で、徳川家康が「播磨一国五十万石」という破格の条件を提示し、自軍に引き入れようとした武将がいた。豊臣方の「大坂五人衆」の一人に数えられ、知将・真田信繁(幸村)と並び称される英雄、後藤又兵衛基次(もとつぐ)。希代の軍師・黒田官兵衛に才を見いだされ、傑出した武勇と知略を駆使して多くの軍功を残した豪傑も、大坂の陣に散った。(川西健士郎) 10倍の大軍勢相手に 播磨国(現在の兵庫県南西部)出身とされる又兵衛は、幼少時代に父を亡くし、黒田官兵衛が哀れんで引き取ったと伝えられる。官兵衛はその才を見込んで息子の長政以上にかわいがったといわれ、戦国一の軍師による薫陶に恵まれた。 慶長5(1600)年の関ケ原の戦いで、徳川家康率いる東軍についた長政に従って戦い
2016/08/29 リンク