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朝鮮人襲来のデマ、火災…関東大震災を生き延びた青年の手記が見つかる:東京新聞 TOKYO Web
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朝鮮人襲来のデマ、火災…関東大震災を生き延びた青年の手記が見つかる:東京新聞 TOKYO Web
1923年9月1日に首都圏を襲った関東大震災を東京・神保町で体験し、生き延びた22歳の青年の手記が見つか... 1923年9月1日に首都圏を襲った関東大震災を東京・神保町で体験し、生き延びた22歳の青年の手記が見つかった。被災直後の大混乱から、2週間後に実家のある広島に逃れるまでの様子をノート23ページにわたって記述。火災による恐怖や、朝鮮人襲来のデマなどがつづられ、生々しい体験を100年後に伝えている。 手記「大正の帝都の大震災より脱走するの記」を残したのは、今川小路(今の神田神保町)にあった母の実家に下宿していた弘瀬祐二。遺族によると、立教大の学生だった。震災翌年に早世し、親族が手記を保管していた。4年前に見つかり、それを託された別の親族が本紙に提供した。 手記によると、激しい揺れで2階からガラス窓が落下し、屋根瓦が「洗ひ流すやうに」落ちた。火の手が上がり、九段坂上に避難すると、下は火の海に。目黒方面の親戚の家に避難するが、横浜から朝鮮人2000人が日本刀を持って襲来してきたなどのデマが飛び交い