エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『アメリカン・スナイパー』 - うろおぼえ日常
緊迫したシークエンスを音楽なしで見せつける予告がガツンときた。公開されてすぐ足を運びました。 俳優... 緊迫したシークエンスを音楽なしで見せつける予告がガツンときた。公開されてすぐ足を運びました。 俳優として、監督しても長いキャリアを重ねてきたイーストウッドの映画をそんなに観ているわけでもない自分には、彼の作家性うんぬんと尤もらしく批評めいたことを書くことはできない。それでも、これまでに自分が観た範囲内で感じてきたことを思い起こしながら書いてみます。イーストウッド作品の描写について思うのは、的確な言いようではないのを承知でいうとどこか「唯物的」だな、と。そこにある事象をそのまま*1見せていて、ムダにアップにしたりスローにして劇伴ドーンとかけて「ここ感動するとこ」などと押し付けるような演出の偏りを感じない。『グラントリノ』にしても、主人公コワルスキーは自己犠牲を決意して最後の行動を起こすのだ!といくらでも劇的にできるのに、淡々と描写がすすんでいく。観ている自分は画面上に展開される淡々とした描写
2015/11/01 リンク