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エピステモロジー(8)
これまでに体験した二つの文化の対 <科学と哲学、日本とフランス> のインターフェースから見える世界... これまでに体験した二つの文化の対 <科学と哲学、日本とフランス> のインターフェースから見える世界について綴ります 認識論的正当化(2) 1963年、エドマンド・ゲティアはAnalysis誌に「正当化された真の信念は知識か」という論文を発表した 3ページの論文ではあったが、知識の分析哲学に影響を与えた 先に掲げた知識の定義から出発しよう それに対する反例を見つけることができる ゲッティアは論文でいくつかの例を挙げているが、その一例について見てみよう スミスとジョーンズは、ある会社の採用面接にきた スミスは「ジョーンズが採用され、彼のポケットには硬貨が10枚入っている」(a)という証拠を持っているとする スミスはこの事実から「採用されるのは、硬貨が10枚ポケットに入っている者である」(b)との命題を信じている しかしスミスは知らないが、実際に採用されるのはスミスであり、スミスも10枚の硬貨を