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武蔵野点描、表現の自由を考える
▽表現の自由とはなんなのか考えていた。あいちトリエンナーレでの表現の不自由展での一連の騒動は未だに... ▽表現の自由とはなんなのか考えていた。あいちトリエンナーレでの表現の不自由展での一連の騒動は未だに収束を見せない。週刊ポストの韓国は要らないという特集も表現の自由の範疇にあるかで議論が起きている。自由というのは厄介なものだ。 本来的な意味での自由が表現の自由にはない。これは表現に限ったことではなく、法の下における自由のすべてだ。今さら私ごときが法律を語るのも馬鹿げたことなのだけど自由というのはカッコ付きの自由でしかない。自由に好き勝手に行動してしまえば誰かの自由が侵害される。なので誰かの自由を侵害しない範囲での自由でなければいけない。ということは純粋な自由ではないような気がするのだけど自由を掲げる国においてはこの理屈で成り立っている。 さて、表現の自由はどうだろう。当然、制限があって好き勝手にはできない。誰かを傷つけたり、社会的秩序を乱すような表現は非難される。とはいえ、誰も傷つけない表現