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踊るのは誰 ? - 身体エッセイ
振り付けのある踊りの場合、 振り付けを覚えて、いい動きができるようになるために繰り返し稽古する、と... 振り付けのある踊りの場合、 振り付けを覚えて、いい動きができるようになるために繰り返し稽古する、という過程をたどる。 この場合、踊りは最初から3人称としてある。 自分の都合が入り込む余地はない。 体調がどうの自分の内面性がどうのという問題とはいちおう別だ。 創作舞踊というのは自分という個から出発する。 自分の内面から踊るというのは、自由のようでいて全く自由ではない。 最初のうち自由感はあっても、それは底の浅いものですぐに行きづまる。 自由になるためには訓練がいるのだ。 内面から踊って表現に至ることができると安易に考えるのは、それこそ近代的自我の幻想だ。 実際まじめに努力してみれば、自己の内面を動きにして表現にまで至るというのは、とんでもない道のりだ。 舞踏をはじめて最初の頃、私はまったく動けなかった。 身体的技術がなかったからでもあるけど、それ以上に、なぜ動くのかがわからなかったからだ。