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河北新報ニュース (11)罪人の子/汚名そそぐ好機到来
支倉常長は、伊達家中の逸材として将来を期待されていた。だが、父親のしくじりで重い十字架を背負い、... 支倉常長は、伊達家中の逸材として将来を期待されていた。だが、父親のしくじりで重い十字架を背負い、スペイン、ローマへの使節として再起の道を歩むことになる=宮城県川崎町 伊達政宗はスペイン、ローマへ送る使節に、600石取りの中級家士にすぎない支倉常長を起用した。彼はどういう人物だったのか。 支倉氏は、桓武天皇を祖と仰ぐ関東の名族で、源頼朝が平泉の藤原氏を倒した奥州攻めの直前に伊達氏の配下となり、常長の時代まで400年にわたって伊達家一筋に仕えてきた。常長は1570年頃、今の山形県高畠町立石で生まれている。実父の名は支倉(山口)常成。伯父の支倉時正に子がなかったため、常長は支倉本家の跡取りとして時正の養子に出された。 彼は豊臣秀吉の奥州仕置に端を発する葛西大崎一揆の鎮圧や、朝鮮の役においても目立つ功名を挙げ、若年にして父祖に恥じない武勇を示した。葛西大崎一揆の際には敵将を調略して味方に引き入
2013/04/19 リンク