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<あの時政治は>菅の態度が破談招く | 河北新報オンラインニュース
<あの時政治は>菅の態度が破談招く 2011年3月11日、東北は悲惨の極地と化した。あの時、政治は... <あの時政治は>菅の態度が破談招く 2011年3月11日、東北は悲惨の極地と化した。あの時、政治は民主党政権の下、自民党など野党との大連立構想が浮上し、消えた。空前の規模の復興予算編成は、政局という激烈な痛みを伴った。そして、東京電力福島第1原発事故。事態は政治の機能不全をあざ笑うように深刻の度を深めていった。未曽有の危機に遭遇した11年の政治を三つのシーンから振り返る。(敬称略。肩書きは当時) ◎震災5年(上―1)幻の大連立 首相菅直人は3月19日、自民党総裁谷垣禎一と電話会談し、復興に与野党一体で取り組むため、政権に加わるよう提案。谷垣に入閣を求めた。谷垣は即拒否した。大連立構想はその後もくすぶり続けた。 密命を帯びた伝言が永田町を走った。 震災から1週間の18日夜、首相補佐官寺田学(衆院秋田1区)は、菅から谷垣へのメッセージを使者に託した。 「首相が一対一で会いたいと言ってい
2016/03/01 リンク