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池田浩士 名誉教授 「『大逆事件』と天皇一家と私と」(2010.05.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
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池田浩士 名誉教授 「『大逆事件』と天皇一家と私と」(2010.05.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
今年度の「センター試験」の問題にも出たとかいう噂もあるそうだから、もうだれでも知っている話だが、... 今年度の「センター試験」の問題にも出たとかいう噂もあるそうだから、もうだれでも知っている話だが、今年は「大逆事件」が「発覚」したとされるときから数えても、またそれと時を同じくして日本が韓国を「併合」したときから計算しても、ちょうど100年目に当たる。 この「大逆事件」では、1910年5月下旬から逮捕が始まって、最終的に26人が起訴され、そのうち24人に死刑の判決が下された。翌日、明治天皇の「思し召し」で半分の12人は無期懲役に「減刑」されたが、あとの半分の12人は、判決から6日後と7日後の1911年1月24日と25日に、東京監獄で絞首刑を執行された。 これまでに明らかにされているところでは、明治天皇の馬車に爆弾を投げることを合議したのは、女性1人、男性3人の計4人だった。その話を持ちかけられたもう1人の男性は、それに同意しなかった。ほんとうに投げるつもりだったかどうかは別にして、少なくとも