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シリーズ:初期“テレビ論”を再読する 【第2回】 ドキュメンタリー論 | 調査・研究結果 - 放送史 | NHK放送文化研究所
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シリーズ:初期“テレビ論”を再読する 【第2回】 ドキュメンタリー論 | 調査・研究結果 - 放送史 | NHK放送文化研究所
本シリーズは、「テレビ時代」「テレビ社会」とはどのようなものであったのかを検証・総括し、不透明化... 本シリーズは、「テレビ時代」「テレビ社会」とはどのようなものであったのかを検証・総括し、不透明化しているテレビの今後を考える手掛かりを得るため、テレビ時代「初期」(=1953~1960年代半ば)に制作者や評論家、研究者らによって議論されていた「テレビ論」を再読しようというものである。2回目の本稿では「ドキュメンタリー論」を取り上げる。 1957年に放送スタートした『日本の素顔』(NHK、1957-64)は、日本における本格的な社会派のテレビ・ドキュメンタリーの「原点」となった番組である。この番組については、映画監督の羽仁進、番組制作者の吉田直哉らによって、激しい論争(=『日本の素顔』論争)が展開された。論争では、「テレビ的な手法」とは何か、ドキュメンタリーは社会的現実とどう向き合うべきか、番組にとって「作家性」は必要か、といったテレビ・ドキュメンタリーに関して議論されるべき主要な論点が提出