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第28回 不満だらけの建武の新政と足利尊氏の挙兵 - 歴史研究所
○建武の新政・・・。 念願の鎌倉幕府滅亡を果たし、150年ぶりに政権を取り戻した貴族。 後醍醐天皇は... ○建武の新政・・・。 念願の鎌倉幕府滅亡を果たし、150年ぶりに政権を取り戻した貴族。 後醍醐天皇は京都に戻り、それまでの慣習とは異なり、関白や摂政、院政も排除し、天皇自らが政治を行います。 まず幕府滅亡の翌年、元号を「建武」(けんむ)と改めます。これは、古代中国、後漢の劉秀(光武帝)が、王莽(おうもう)によって乗っ取られて滅亡した漢王朝を復興させたときに使われた年号。後醍醐天皇の思いが推し量れますね。というわけで、ここから建武の新政とよばれる、後醍醐天皇の政治を見ていきます。 まず、政権中枢の建物が貧相では仕方が無いので、その権威を示す大内裏(皇居)の造営を開始。さらに、これはなかなか面白いと思うのですが、貨幣の鋳造はもちろん、大内裏を造営するために紙幣の発行を行います。残念ながら、一般に浸透する前に終わってしまいましたが、紙幣に目をつけたのは、意外に後醍醐天皇は経済政策に目を向けていた
2009/06/08 リンク