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3月の店主は柳下毅一郎さんです : コラム : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
二〇〇九年に亡くなったSF作家J・G・バラードは『クラッシュ』の序文で「我らの夢や欲望を支える……... 二〇〇九年に亡くなったSF作家J・G・バラードは『クラッシュ』の序文で「我らの夢や欲望を支える……精神の病は、今世紀最悪の死者として結実した。愛情の死である」と書いた。バラードはメディアとテクノロジーに取りかこまれた現代人の生を「テクノロジカル・ランドスケープ」と呼ぶ。現代人にとってはメディアとテクノロジーの中こそが「ありのままの自然」だ。我々はメディアに毒された存在であり、その性と愛はテクノロジーに歪(ゆが)められている。ぼくにとって、バラードは作家というよりも思想家だった。我々の人間性の意味を教えてくれたからである。人間性は変わった。我々にとってのヒューマニズムは十九世紀に生きている人のものとは異なっている。それをポストヒューマニズムの思想と呼ぼう。これはバラード的思想、ポストヒューマニズムを考える本棚である。 戦後メディア社会に最初に目を向けたマクルーハンやギー・ドゥボールはその先駆
2010/06/05 リンク