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Fw:哲三の宮本顕治批判|宮地健一
1977年の第14回大会とは、袴田副委員長・常任幹部会員の全役職剥奪をした大会である。宮本氏は、... 1977年の第14回大会とは、袴田副委員長・常任幹部会員の全役職剥奪をした大会である。宮本氏は、袴田粛清担当で大活躍し、私的分派ボスの栄光と権威を守りぬいた小林中央委員・元宮本秘書の功績を高く評価し、常任幹部会員へと2段階特進させた。1994年の20回大会とは、宮本引退前の大会である。宮本秘書出身者のかなりを常任幹部会員に抜擢し、側近グループ・私的分派を土台とする宮本個人独裁は絶頂期に達し、完成していた。このメンバー以外にも、宮本側近グループと党本部内で言われている幹部が数人いる。いずれも宮本氏に大抜擢され、幹部会員、常任幹部会員となり、党中枢部門を担当し、宮本氏の周辺を固めていた。 これは、“前衛党最高指導者が自ら形成する私的分派”である。この現象は、宮本氏固有のものではない。14の一党独裁国前衛党でも、そのほとんどで、この性質の分派が形成されていた。徳田・野坂も、『党史』で認めているよ
2006/05/31 リンク