たとえば90年代に大学生だった私の場合、大学から音楽にはまって欧米のロックバンドをたくさん聴いていたが、 大学でも洋楽好きは少数派だったよ。高校時代なんて洋楽好きに会ったことがない。 ネット以前以降なんて関係無く、洋楽好きは今も昔も少数派というだけではないだろうか。
たとえば90年代に大学生だった私の場合、大学から音楽にはまって欧米のロックバンドをたくさん聴いていたが、 大学でも洋楽好きは少数派だったよ。高校時代なんて洋楽好きに会ったことがない。 ネット以前以降なんて関係無く、洋楽好きは今も昔も少数派というだけではないだろうか。
タワーレコードの渋谷店がイベントスペースを大幅拡張したり、新宿店の最上階をアナログ専門フロアにしたりといった動きは、「体験を売る」動きであったりとか、アナログの再評価があったりとかをキャッチアップした結果というのは、当然そうなのですが、そういう方針転換を行う上での前提として「そもそも日本に入ってくる輸入盤CDのカタログ数が減少している」という状況がありまして。 2016年頃に、タワレコに行ってもThe Divine ComedyやThe Wedding Presentの新譜が入手できなくて、ということはそもそもCDが日本に入ってくるのが相当に遅れているということじゃないか、みたいなことを言っていたのですが、結局待っても店頭には入ってきませんでした。 要するに洋楽はどんどんパッケージのリリース数が減っていて、多少作ってはいてもまとまった数が輸入盤として日本まで届くことはないという状況。タワレ
永井純一(2019)「第7章 フジロック、洋邦の対峙」書評(『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』,南田勝也編著,花伝社,pp.210-243) 1997年7月26日、2人のオーディエンスの経験 私が初めてザ・イエローモンキーのライブを見たのは、1997年7月26日のフジ・ロック・フェスティバルだった。当時まだこのバンドのファンではなかったけれど、大雨をかろうじてしのいでいたテントに知人2人を残して、雨降り止まぬ「地獄絵図」のような野外のステージに一人で向かったのは、イエローモンキーのライブを見たいと思ったからだった。「“悲しきASIAN BOY”が聞けたらいいな」ぐらいの軽い気持ちだった。私はこの日のライブを見てこのバンドのファンになったわけではなかった。この日のライブはその悪天候ゆえに私にとって「音楽を聞く」とか「ライブを見る」という体験にはなり得なかった。「見た」のではなく、その日
週プレNEWS TOPニュースエンタメネイティブ・アメリカンになっていた元WANDSの上杉昇!「WANDSは“やらされてる感”がすごくありました」 ネイティブ・アメリカンの衣装とメイクでステージに立つ元WANSの上杉昇 90年代に彗星のごとく現れ、ミリオンヒットを連発しつつも、表舞台から突如姿を消した真相をセキララに語った元WANDS・上杉昇の衝撃インタビュー! ■「WANDS」とはなんだったのか? 驚きを隠せない読者も少なくないだろう。 ロン毛でシュッとしたイケメンだったJ-POPの人気ボーカリストが今、“クレイジー”とも形容できるネイティブ・アメリカンの衣装とメイクでステージに立っているのだから…。元「WANS(ワンズ)」のボーカリスト、上杉昇(しょう)である。 『もっと強く抱きしめたなら』『時の扉』『世界が終るまでは…』ーー1991年にデビューし、これらのミリオンセラーを連発したWA
年明けからSMAP解散・存続のニュースで持ちきりになっています。 先日のSMAP×SMAP生放送のときように、解散という時事に際してメンバーが何を発言するかというのは世間がとても注目するところであり、 そこで気の利いた言葉を選べるかどうか、という点はメンバーのスター性が現れる部分だと思います。 今回は、これまでに「解散したバンド・グループ」「解散していないバンド・グループ」が残した解散にまつわる言葉をまとめました。 中二心をくすぐるクサいセリフが目白押しですが、よろしくお願いします。 解散したバンド・グループの言葉 #1 椎名林檎 (東京事変) 我々が死んだら電源を入れて 君の再生装置で蘇らせてくれ さらばだ! #2 忌野清志郎 (RCサクセション) 長く音楽活動を続けていれば、こっちがファンに裏切られることの方がずっと多いんだよ。 #3 小田和正 (オフ・コース) もともと、音楽やってる
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く