かや☺︎🦕 @a12isiy27 父親の運転する車で函館に向かってるんだけど、ラジオの人生相談で「21歳の娘が40歳の人とお付き合いしてる・歳の差があり交際を快く思っていない・職場の人・離婚歴ある・子供もいる」という相談内容が流れ、同じ内容で62歳と付き合っている妹(30歳)がいる我が家の車内では気まずい空気が流れてる。
「ヤングケアラー」をことさら報じるメディアが、実は見落としている「重要な問題」 「ケアラー」一般の問題ではないか? 注目が高まっている「ヤングケアラー」 2023年には、全ての子どもの健やかな成長を保障する観点から、必要な関与を行う部署として「子ども家庭庁」が創設されるという。 基本骨格は、企画立案と総合調整、生育、支援の三部門から構成されており、支援部門では「ヤングケアラー」支援に大きな比重が割かれている。 ヤングケアラーという語は耳慣れないかもしれない。 その定義は、「家族にケアを必要とする人がいる場合に、ふつうなら大人が担っているケアの責任を背負って、介護などのケアを行っている未成年(18歳未満)の子ども」とされる。 親やきょうだいや祖父母、あるいは親戚で、障害や慢性的な病気や精神的な問題を抱えている人をケアし、家事や身の回りの世話や見守りや精神的サポートなどを行っている子どもたちで
まともな人ほど「私はこう思う」と言い、我侭な人ほど、自分は「普通」で「一般的」で「多数派」だと思い込む。これはもう法則と言っても良い。 我侭な人は、「私はこう思う」と、自分個人の意見として言いたくない。なぜなら、批判されてしまったら、「私」が批判されていることになるからだ。我侭な人は、自分が批判されることに耐えられない。自分が批判されることをとことん避けたい。 だから、「普通はこうする」「これが常識だ」と言う。自分は「普通」で「一般的」で「多数派」なのだと思い込めば、批判してくる相手は、「私」ではなく「普通」や「一般」や「多数派」を批判しているのだと思える。自分自身を世間という大きな存在と一体化させててしまえば、自分に批判してくる相手は、普通じゃない非常識な人間なのだということにできる。こうして、常に自分のほうが正しいかのような幻想を形成する。 このような人が何か言う場合は、終始「私のほう
若者と見れば甘やかされている、一人っ子と見れば甘やかされている、お金持ちの家の子と見れば甘やかされていると考えてしまうのは、自己承認欲求なのだろう。「自分はこんなに努力して苦労している」→「あいつは努力して苦労していないに決まっている」→「あいつは甘やかされている」という思考回路だ。 もちろん、若者だから、一人っ子だから、お金持ちの子だから甘やかされているかというと、必ずしもそうではなく、個々の事情は異なる。しかし、これらの人のことを、すぐに「甘やかされている」と見てしまう人は、実はその人自身が一番甘えたくて、自分の努力や苦労を褒めて欲しいのだろう。しかし、自分の中の「甘えたい」という気持ちを抑圧しているので、素直に「褒めて欲しい」と言えない。だから、他人の努力や苦労を過小評価する形で、自己承認欲求を満たそうとする。 つまり、「自分だけが可哀想」と思い込みたい心理に似ているんだと思う。「自
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