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ブックマーク / dochikushow.blog.fc2.com (13)

  • オール・ユー・ニード・イズ・キル の映画と漫画を比較して思った事とか。 島国大和のド畜生

    漫画版(以後、小畑キル。原作に近しいと言われる)と映画版(以後、トムキル)の違いは、それこそ、日米の創作物のありかたの違いのように感じた。 トムキルはハリウッドのシナリオ技法の教科書のような出来だと思う。 三幕構成というか。この辺までに物語のルールを決めて、挑戦させ、挫折させ、みたいな基どおりの流れを、あの手この手でキッチリ全てに見所を用意して魅せる。 パシフィックリムもそうだったし、ピクサーのアニメもそう。マトリクスも。 この辺の万人に受けるかどうかのABテストを繰り返したようなシナリオ(実際ABテストをやることも多い。エンディングを複数作って試写会、ウケの良かったものを上映するとか)は、さすが世界に向けて商売してるなと感じる。 ソシャゲ的だなという感想すら出る(ジンガのゲームはABテストのカタマリ)。 翻って、小畑キルは、わりと作家性を濃く感じさせる。構成自体もそうだし。変化球のキャ

  • アイテム課金に関して 島国大和のド畜生

    大量のアイテム課金に関するdisを読んだのだけれど。 アイテム課金に対するdisはたいていの場合「お前が遊びたいようなゲームはお前の求めるような値段では遊べない」で反論が終了してしまう。 以上終了でいいんだけど一応色々書いておく。 どうにもweb上の言論というのは、自分の感情を代弁してくれるものにしか賛同出来ない人が混ざっているようで、このあたりは残念極まりないのだけど。 ■前置き アイテム課金に関する意見は多くある。一問一答するとこうなる。 「アイテム課金なんかやってたらゲームが終わる ⇒やらなきゃとっくの昔に終わってる。 「ゲーム性にかかわるところで課金すんな」 ⇒まったく同意だが、そうでない手法の成功例が無い。(上回れない) 「コンシュマでアイテム課金すんな」 ⇒そして滅びる。 こんな感じじゃないすかね。 全部商品としてのゲームの話ね。 ■JoJoとパワプロ ちょっと前ではJoJoA

  • アイテム課金が滅びる日 島国大和のド畜生

    消費者庁からPDFが出た。 インターネット上の取引と「カード合わせ」に関する Q&A 凄げぇ。 語尾が濁してあるが厳密に適用すると殆どすべてのアイテム課金ゲームを殺す事が出来る。場合によっては「パズドラ」も引っかかるので誰か消費者庁に刺してみて欲しい。 Q18 (略)イベント等の進行中にアイテム等がランダムで入手でき、入手したアイテム等のうち2以上の異なる種類のアイテム等の特定の組合せをそろえるとゲーム上で使用することができるアイテム等の経済上の利益が提供される場合、景品規制を受けますか。 A. (略)アイテム等を販売するという取引に付随してアイテム等その他の経済上の利益が提供され、それが顧客を誘引するための手段となっている場合には、当該経済上の利益は景品類に該当し、景品規制を受ける可能性があると考えられます。 文は、月額固定課金ならば問題ないが、その中でアイテム課金を用いた場合という形

  • 創作者は自分の創作で性的快感を得れるか 島国大和のド畜生

    今回は果てしなく下世話で下品な話なので、18歳未満は閲覧禁止の方向でお願いします。 あと、数少ない女性読者が減るのも避けたいんで、女性読者は読まない方向でヨロシクどうぞ。 あと、酒の上の話なので信憑性は気にしてはいかん。ホラであって欲しい。 昔の飲み会での話なので今ならバラしていいだろう。 創作者は自分の創作で性的快感を得れるかというお話。 とりあえず自分は無理だったのだが。(だからこそ俺には絵描きは無理だったのだが) 知り合いのエロ絵師に聞いた所、余裕だという。 これは晴天の霹靂であった。 頑張ればオカズに使えない事もない、とかならばともかく、余裕とは何事だ。 意味が解らん。ニュータイプめ。 でだ。ここからは酒が進んだ上の話なので信憑性はさらに落ちるが。 フィギュアモデラーが俺も余裕だ。という話をし始めた。 何だそれは、パテ練ってるだけで興奮するのか。それともシンナー臭でぐっと来るのか。

  • 漫画の長期連載について思う事 島国大和のド畜生

    最近の漫画は人気が出ると長期連載になるので、どうしてもたるむ。 ゲームを作ってると、ネットゲ等は、長時間遊べるように時間を稼ぐ必要があり、同じような悩みを持つ。 遊ぶ側、読む側からすれば、手ごろな長さでスッキリ終わった方が嬉しい。 しかし作ってる側、描いてる側からすれば商売だし、っていかなければいけないのだから、長くなってしまう。 なんらかの落とし所はないものかと、常に考えを巡らせるが…。 というわけで、あまりまとめずに書く。 A-BOUT!というギャグヤンキー漫画が、連載長期化へ向けて消化試合エピソードを構築し始めたので、なるべく消化試合感を美味く誤魔化して欲しいと願う。 ヤンキー漫画と言えば、チャンピオンのシュガーレスという漫画が、あからさまな消化試合エピソード、エクレア編をやっていて(先週終わった)なにも連載始まって勢い付けるべき場所で、消化試合しなくてもいいのに。とはいえ両方とも

    feel
    feel 2010/08/22
  • 絵柄のお話(いかにして、鼻は輪郭だけを経て、点になったか) 島国大和のド畜生

    ■どうして最近の絵柄だと鼻筋をしっかり描かないのか考えてみた。(投げっぱなし日記さん) 反論というわけではないけど、ちょっと自分は違う理解をしているので、書いてみる。 凄い昔のコミッカーズでもこのような話を見た記憶がある。(鼻の穴を描いても美人というのは画力が必要) ■最近のマンガ絵で鼻を点で表現するのは何故か 映画や、ポートレート、CGは、レフ版やら専用ライトを使って顔の凹凸を消す。 これは顔の凹凸が多いのは、年寄りや、美しくない、という記号だから。とくにほうれい線(小鼻の横の線)は「年寄りの記号」として認識されるので、頑張って消す。CGの場合、最初からほうれい線を作ってなかったりする。 プリクラの美顔機能を見ても解るけど、目とクチ以外の情報を飛ばしてしまうのが、記号的な美人の顔の作り方なのね。 漫画は記号だというのは手塚の昔から言われているが、鼻筋を描かないというのは、解りやすい美人の

  • 漫画 風の谷のナウシカ 感想 島国大和のド畜生

    ■あらすじ 火の七日間と呼ばれる最終戦争で、生物を粘土のように加工出来るまでに極まった人類文明は滅んだ。 戦争によって、汚れ切った大地は、巨大菌糸類が群生し瘴気を吐き、大型の蟲が大量に住む「腐海」を生む。「腐海」の菌糸は風に乗り、蟲に乗り、範囲を広げ人類を辺境へ追いつめて行く。 そのような状況下でも、人類は国家間の争いが途絶えず、旧世紀の科学や蟲を利用していく。 辺境の小国の姫ナウシカは古くからの盟約により、大国の戦争に駆り出され、戦乱の中で世界の仕組みを知る。 「腐海」は時間をかけ、戦争で汚された大地と空気の汚れを浄化し結晶化していく。「蟲」はその「腐海」を守っている。 「腐海」と「蟲」は旧世紀の文明が残した世界の浄化装置だったのだ。 そしてナウシカたち現世紀の人類は汚れた環境で生きる事が可能なように作られた人類である事も知る。彼らは世界が浄化された後に生きることは出来ない。清浄な空気は

  • マンガは凄い。全てのメディアの中で最も物語るのに向いている。 島国大和のド畜生

    1.圧倒的な小回りの良さ。 紙とペンさえあれば描ける。その気になれば一人で描ける。短期間でも描ける。 映像作品は、その完成までに多数の人間と時間を必要とする。大勢が関わると小回りが効かない。時間がかかる、金がかかる。結果、誰の作品だか解らなくもなる。 実写映画や、アニメのように、多くの人が関わり、多くの資が乗っかり、権利も権限も分散されてしまうものに比べ、マンガの圧倒的な小回りの良さは、作品を作家のものにする。 「大量生産の大勢の聴衆が好む何か」以外のものを生み出せる可能性がある。 この小回りの良さは、物凄い武器になる。 2.圧倒的な取り回しの良さ。 文字が読めて、絵が見れればマンガを読む事が出来る。(当はマンガの文法を知らないとダメだけれど、なんとなく読むだけで習熟できる) ここまでは、映画やアニメの方が、読むという能動でなく、見るという受動で楽しめる分、敷居が低い。が、マンガは読む

    feel
    feel 2009/03/09
  • マンガ製作のプロダクション化 島国大和のド畜生

    『バクマン』に関するコメント欄の流れ(たけくまメモさん) 俺は、マンガ家・編集者・原作者のコンセンサスがあらかじめ とれるなら、原作者がネームまでやってその作品の「監督」に なったり、編集者がネームを決めて「監督」になることがあっても いいと思います。 おそらく、そういう流れになっていくんじゃないかなと思ってます。 アメコミはプロダクション制でつくられていて、シナリオライター、下書き、ペン入れ、文字書き(ここまでは名前が出る)+アシスタントの分業で、その上で著作権は会社が持つ、というパターンが多いです。でも、それがゆえにちょっとなーと思うところもあります。 (元文は、全部がそうなるといってるわけでなく、そういう作り方もアリという話ですし、それには賛同します。) 自分は、日のマンガの面白さに「漫画家が唯一絶対神としての創造主足りえる」というのがあると思っています。(編集の権限が強いのでそう

    feel
    feel 2009/01/11
  • 個性は仕事には要らない。 島国大和のド畜生

    ■そもそも君らに個性などない(地下生活者の手遊び) 「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」 この辺の話を受けて、個人的な感想を。 そもそも、引用先の例は、学生の話なので、別に被害が無いので構わんのですが、そういうスタンスで仕事する奴も稀にいたるするので。 ・個性を金にすることが出来るのは”センセイ”だけ。 ・あとの人は、プロジェクトのパーツとして雇われてる。 ・プロジェクトのパーツは卑下してるんじゃなくて職人としての技。 例えば、アニメを作るとして。 個性を出していいのは作家先生なわけで。 名前をカンバンにして絵や話を作ってる人。 動画を描いてる人が、個性出して似てない絵を描けば、それは役立たずというこ

    feel
    feel 2008/07/05
  • ほんとうは恐ろしい 水木しげる 島国大和のド畜生

    2023年03月 (1) ・2023年02月 (1) ・2023年01月 (2) ・2022年12月 (1) ・2022年11月 (3) ・2022年10月 (1) ・2022年09月 (1) ・2022年08月 (1) ・2022年07月 (1) ・2022年05月 (2) ・2022年04月 (1) ・2022年03月 (1) ・2022年02月 (1) ・2022年01月 (1) ・2021年10月 (1) ・2021年08月 (1) ・2021年07月 (2) ・2021年05月 (1) ・2021年04月 (1) ・2021年03月 (1) ・2021年02月 (1) ・2021年01月 (1) ・2020年12月 (1) ・2020年11月 (1) ・2020年10月 (1) ・2020年09月 (1) ・2020年08月 (2) ・2020年06月 (2) ・2020年04

  • 物語の進行方向について(日本漫画のメリットとか) 島国大和のド畜生

    果てしなく唐突だけれど。 「チキチキマシン猛レース(アニメ)」が治療中の医者のモニターで流されていたので、ボーっと見ていたら、日漫画の優位性に関して前々から感じてた事を思い出した。 ので、ツラツラと書いてみる。 「チキチキマシン猛レース」は常に右から左に向かってレースをしているのだ。 それがどうしたって? 物語の進行方向 うーんと、日漫画は「右開き」で物語が右から左にすすむ。これは縦書きの文字の進行方向にあわせてある。 西洋圏の漫画は「左開き」物語は左から右にすすむ。これは横書きの文字の進行方向にあわせてある。 「チキチキマシン猛レース」は、アメリカ製のアニメなので、あちらの漫画文化に照らし合わせた場合、左から右に進むべきではないか。しかし違う。 何故違うか?わりと簡単に想像が付く。2つあると思う。(想像はハズレかもしれないけども) 1つは、まず人間の顔は向かって左向きの方が、描き

  • 連載漫画家は、話を引っ張るのが上手いけど、終わらせるのはヘタだよな。 島国大和のド畜生

    不倒城さんところのエントリを読んで思ったこと。 思うに、浦沢直樹は「面白そうな序盤を描くこと」に関しては天才的な才能をもっていると思う。もう少し限定的に書くと、「設定の生かし方」及び「伏線の散りばめとストーリーとの絡ませ方」が非常に上手いんではないか、ということになる。 (中略) それに対して、伏線の展開・収束に関しては若干バランス的に劣るから、結果として終盤のパワーが序盤に比して落ちるのではないか、と私は思ったりするのだ。 全くそのように思う。 短距離走漫画家というよりは、終わらせ方がヘタなんじゃないかとも思っているけれど。 この後文は以下のように続く。 で、それと比較してみたくなるのがジャンプ系の漫画家だ。例えばドラゴンボールや幽白に関してよく言われることだが、「序盤とそれ以降の展開が全く違う漫画」をどう位置づけるべきなのかに関して、私は首傾する。 ちなみに、批判とか意見でなくて、単

    feel
    feel 2007/08/25
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