1993(平成5)年2月、アメリカ、アリゾナ州ユマ――。 野村克也は、内面から湧き出る喜びと興奮を隠すことができなかった。ヤクルトスワローズの監督に就任して4年目。これまで、こんな新人投手を見たことがなかった。いや、長いプロ野球人生においても、ここまで完成された投手に出会ったことがなかった。キャンプが始まってわずか数日ではあったが、稀代の名将はこの時点ですでに「屈指の名投手が入団した」と確信していた。 野村は自ら右打席に立ち、マウンド上の新人右腕が一球を投じるたびに、「パーフェクト!」「バッチリ!」と、称賛の言葉を並び立てる。そして、何度も何度も、大きく首を横に振りながら「信じられない!」と口にした。そして、野村は自ら「架空実況中継」を始めた。 「……さぁ、9回裏二死満塁、カウントはフルカウント。ピッチャー伊藤、投げました。見事な球だ。ストライク。三振!」 あまりにも無邪気に大騒ぎをし、大