○森鴎外『渋江抽斎』(中公文庫) 中央公論新社 1988.11 「渋江抽斎」といえば、鴎外の史伝小説の代表作、というのは、とりあえず文学史で習うところだ。史伝小説とは、著者の憶測や虚飾を排し、客観的な事実を積み上げて歴史を記述するスタイルのことと言われている。渋江抽斎(1805-1858)は、幕末の弘前藩の医官である。武鑑を蒐集していた鴎外が、しばしば抽斎の蔵書印に出会ったことから、その人物に興味を持ち、克明な調査を重ねて本書が生まれた、というのも有名なエピソードだ。しかし、抽斎の人生には、特にめざましい事件も、ロマンチックなドラマもない。山も谷もない平凡な人生が、史料の引用から窺い知れるだけだ…と思っていた。史伝小説なんて、絶対、読むまいと思っていたのだ。 その私が、本書を買うに至ったのは、前にも書いたとおり(→記事)、丸善・丸の内本店の「松丸本舗」で、髷を結った半裸の女性が描かれた表紙