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地元民はなかなか行かないのですが金沢観光で必ずガイドブックに出てくる忍者寺(妙立寺)です。忍者が出てくるの?忍者がいたの?営業妨害でも何でも無く恐れず言いますと、忍者とは一切関係のない忍者寺、それが妙立寺(みょうりつじ)です。 このお寺がなぜ忍者寺と呼ばれるか。それは忍者がいてもおかしくないくらい敵を巻く多くの仕掛けがあるというところに由来するとのこと。 お寺の由来はサイトを見ると 寛永二十年(1643年)、利常公の命により、城内にあった祈願所を移し、運上町に創建された。前田利常は当時すでに隠居し小松に居を構えていたが、四代藩主光高の後見人として依然としてその権力の座にあった。当時、加賀藩は百万石の禄高を誇る外様大名の雄として徳川幕府から常に監視下に置かれ相当の緊張状態にあった。実際、幕府内では加賀征伐の計画すら存在したという。こうした背景にあって、利常は金沢の街をはじめとして、幕府の軍勢
ソ連による捕虜・抑留体験を語り、聞き、書き、描いて、次の世代にと世界に伝えよう! 1945.8.23.⇒2024.8. 世代に伝える悲劇の記憶と教訓 シベリア抑留1945~1956⇒2024 たった一人で46,300人の死亡者名簿を作った村山常雄さんの仕事を知る回顧展 戦後ソ連・モンゴルに抑留されて亡くなった犠牲者の名簿がカタカナで発表され、正確さに欠けていることに怒り、70代になってから10年間かけてたった一人で名簿をパソコンに打ち込み、漢字名を探し当てながら死亡者名簿を作成・発表された村山常雄さんが亡くなられてから今年は10年になります。 2020年から毎年8月にこの名簿の46,300人の名前を4日間かけて読みあげる犠牲者追悼イベントも行っていますが、改めて村山常雄さんの超人的な仕事を振り返り、シベリア抑留の歴史と教訓を考えます。併せて、抑留体験者が描いた絵画、貴重なスケッチも展示
2014年8月19日 16時0分 by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 不二家のミルキー線香を筆者が実際に使用している 同商品は、デザイナーやプランナーに「本当に良い商品」と絶賛された 甘い香りが懐かしさを感じさせ、心から癒やされる感じがするという 美味しくてソフトな口当たりの良いキャンディーとして人気の『』。 誰もが食べた事があるだろうし、子供時代の懐かしい思い出として残っている人もいるはず。まさに「ミルキーはママの味」。 その『ミルキー』が『ミルキー線香』として発売されているのを知っているだろうか。 この『ミルキー線香』、プロダクトデザイナーやプランナーに「本当に良い商品とはこういうもの」と言わしめた、素晴らしい商品なのだ。 これはと線香ブランドのカメヤマがコラボレーションして作った線香。 この線香を購入した人からは、「新たなるミルキー観を与えてくれる商品」「先日、急逝してし
ライターの上條桂子さんと、東京造形大学の大学院生、同期の卒業生、合計4人で見に行く。 去年も夏休みに大学院生らと目黒区美術館に行ったのだけれど、夏休みの目黒区美術館周辺というのは、木が多く、セミがミンミン鳴いていて、プールがあって、と、ものすごく「夏休み!」感を満喫できて好きなのだ。 さておき、本題。 ジョージ・ネルソンというと「マシュマロソファ」と「ボールクロック」などの時計のイメージが強い。 展示では、上の写真のような家具から始まり、1959年モスクワで開催された「アメリカ博覧会」(当時そんなものがあったのか!?と、そのこと自体にびっくりし、さらに記録映像に出て来るソビエトの働く女性のカッコ良さに上條さん興奮してしまい、どうも音量が高くなってしまったようで美術館の人に怒られてしまった…)、各所で行われた講義の素材、ネルソン事務所で手がけたロゴやグラフィック、ネルソンの書籍など、幅広く見
前回、チョコレートのパッケージに書いてある英語に注目した。(「チョコレートに書いてあること」) あの記事を書いて一息ついてビールを飲んでいるときにまた気づいた。 ビールにも変なこと書いてある。 またかよ! と思われるかもしれませんが、今回も懲りずにサブリミナルみたいに小さく書いてある英語を追います。パッケージで静かに訴える世間の無意識を照射できれば幸いです。(林 雄司) シーンを語る系 チョコレートでも多かったが、味ではなくそれを飲む状況を説明する文章のパターン。ビールを飲んで一息ついてね、要はそんなことなのだが、ついつい英語だと大きくでがちである(僕の翻訳が大げさという可能性もあるけどね)。
日本ではいろいろな科学についての研究が進んでいます。天文学では、地球外生命を見つける大きな夢をかかげ、太陽系の外に地球のような惑星を探すプロジェクトが注目を浴びています。新しい薬を開発する研究もあるし、ロボットを作り人間らしさとは何かに迫る分野もある。さまざまな科学があり、さまざまな目標を掲げて研究している人がいます。それが日本の強みといっていいかもしれません。 しかし、さまざまな科学が整理されずバラバラに存在しているわけではありません。これをきちんと分類することによって、はじめて外から一定の評価をすることができます。そこで今回は、科学を見るコツ、科学を見るときのモノサシとなる科学の分類を紹介します。 役立つ科学か これまでの連載記事で、巨額の予算・時間・人材がかかるのがビッグサイエンスである、と説明してきました。予算規模で言えば、1プロジェクトあたり100億円以上が目安です。ビッグサイエ
ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ 著者:ブライアン・ウォード=パーキンズ 出版社:白水社 ジャンル:歴史・地理・民俗 ローマ帝国の崩壊——文明が終わるということ [著]ブライアン・ウォード=パーキンズ 近年の欧米の主流歴史学の表現では、ローマ帝国は「崩壊」したのではなく「変容」したということになる。この立場は「古代の教養は死に絶え、『暗黒時代』の軛(くびき)のなかに取り残された」という伝統的な見方を否定し、「200年ごろに始まり8世紀まで続く新しい時代としての『古代末期』を(略)活気に満ちた宗教的・文化的議論の時代として定義した」。 そうした「正統教義」に対して、ローマ生まれの考古学・歴史学者である著者は異を唱える。陶器、屋根瓦、貨幣など考古学的証拠から「5世紀から6世紀にかけて、帝国西方の生活水準が驚くほど衰退した」と結論づけている。例えば、鉛・銅・銀の精錬がローマ期の水準に戻っ
東常縁が所領を取り戻した篠脇城のふもとにある「東氏館跡庭園」。昭和54年に発見され、中世武将の居館跡として国の名勝に指定されている=岐阜県郡上市大和町 「本能寺の変」で「是非もなし」と言い残して自刃した織田信長、「三方原の戦い」で敗走したとき馬上で脱糞した徳川家康…。映画の名シーンのようなエピソードが次々生みだされたのが、戦国乱世という時代だった。和歌を贈ることで、奪われた所領を取り戻した東常縁(とうのつねより)の奇譚(きたん)も、その一つに挙げていいだろう。彼が生きたのは、文化が武器以上の力を発揮した不思議な時代でもあったのだ。室町時代の武将歌人 東常縁といっても、知る人は少ないのではないか。生まれた年や亡くなった時期もはっきりしない。活躍したのは「応仁の乱」(1467~77年)をはさんだ激動の時代である。 美濃国郡上郡(ぐじょうぐん、岐阜県郡上市)にある篠脇城の城主であった。東氏はもと
〈 この連載・企画は… 〉 町の本屋を巡る現状は厳しい。いま、町に本屋をつくるとしたらどうなるのか――。 本づくりに携わるライターが、本をつくるように本屋をつくることを目指す、ささやかな試みの記録。 writer's profile Masatsugu Kayahara 萱原正嗣 かやはら・まさつぐ●フリーライター。主に本づくりやインタビュー記事を手掛ける。1976年大阪に生まれ神奈川に育つも、東京的なるものに馴染めず京都で大学生活を送る。新卒で入社した通信企業を1年3か月で辞め、アメリカもコンピュータも好きではないのに、なぜかアメリカのコンピュータメーカーに転職。「会社員」たろうと7年近く頑張るも限界を感じ、 直後にリーマン・ショックが訪れるとも知らず2008年春に退社。路頭に迷いかけた末にライターとして歩み始め、幸運な出会いに恵まれ、今日までどうにか生き抜く。 (前編よりつづく) 札幌
東京都新宿区は明治、大正期の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家の一部復元を進めている。「漱石山房」と呼ばれ、芥川龍之介ら多くの門下生が出入りした。漱石生誕150年となる2017年2月に開館する漱石山房記念館(仮称)内に併設する。区によると、新宿区早稲田南町にあった漱石山房は和洋折衷で約200平方メートルの平屋建て。太平洋戦争中の1945年に空襲で焼失した。区は漱石山房があった場所に整備された漱
大都市では初。サンフランシスコがペットボトル飲料水販売を禁止2014.03.07 19:0011,014 satomi 水は汲んで飲むのが一番。 2020年までに埋め立てゴミゼロを目指す人口82万人のサンフランシスコ郡・市議会が今週、ペットボトル飲料水の販売を公用地で禁じる新法を可決しました。 2007年には市役所内で禁じたんですが、それで予算がすごくセーブできたので規模を拡大したかたち。 新法施行後は21オンス(621ml)以下の水のペットボトルは市用地で屋内・屋外ともに全面禁止となります。例えば、ストリートフェア(路上に屋台が出るお祭り)も公園の売店もモスコーニ・コンベンションセンターも、です。 水飲み場が近くになければ例外措置もあるんですが、サンフランシスコは水筒に無料でドボドボ継ぎ足せる水飲み場が結構充実してるので(動画下)、その心配はあまりなさそう。違反者には最大1000ドル(1
8月18 競輪だけの強み カテゴリ:公営競技全般競輪 前日付のエントリに対してコメントを書いてくださった方の中に、アマチュア競技との連続性を指摘するものがありましたが、それはある程度正解でして、私が用意していた正解は「競技場そのものはある程度残る」ということです。 競馬やオートは廃止と決まれば跡地は転用されて「場」は無くなります。転用に手こずった上山のようなケースもありますが、そのまま放置されることはありえません。中津のようにわざわざ金使って上書きするようなケースもありますし、土地によっては跡地利用が廃止への意欲につながるケースもあります。 一方で競輪場は、バンクとしては残る可能性があります。同県に他のバンクがあってさらに民間の持ち物だと西宮や花月園(宅地になる予定)のようにどうにもなりませんが、なんだかんだでバンクが残るケースはあります。確か門司もそうでしたし、観音寺もそうでしょう。兵庫
「ニセ医学」に騙されないために 危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る! 著者:NATROM 出版社:メタモル出版 ジャンル:暮らし・実用 「ニセ医学」に騙されないために——危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る! [著]NATROM 「水に汚い言葉をかけると壊れた結晶になる」だの、「EM菌なるものを河川などに投入すると浄化作用がある」だの、今でも多くのニセ科学が広がっている。根拠がないにもかかわらず、科学のフリをするニセ科学。荒唐無稽のようでいて、その伝播(でんぱ)力は侮れない。 本書が取り扱うニセ医学も、ニセ科学の一種だ。「医学のふりをしているが医学的な根拠のない、インチキ医学」であるニセ医学は、人々に無駄な努力を促し、治療機会を逃すことに加担する。時には、具体的に人の健康を損なう。 がん治療を否定する独自理論、ワクチン有害論、医療介入を極端に避ける自然分娩(ぶんべん)至上主義
「100円マック」の大ヒットなどでデフレの“勝ち組”と見られてきたマクドナルド。しかし、昨年度に110店、そして今年度も74店もの閉鎖をすることを明らかにし、飲食業界の厳しさを改めて教えてくれた。しかし、そうしたなかにあって、いつも不思議に思っていたのが立ち食いそば屋の存在なのだ。 主要な駅や繁華街に必ずある立ち食いそば屋だが、なかにはわずか10メートルくらいしか離れていないところに、ライバル店が軒を連ねているようなところもある。当然、競争が厳しいように思えるのだが、閉店したところを見た経験があまりない。 確かに立ち食いそば屋はワンコインでお釣りがくるくらいリーズナブルであるし、ぱっと食事を済ませられ、毎日忙しいビジネスマンにとっては強い味方である。しかし、どうして厳しい世間の荒波をかいくぐることができるのだろう。 まず考えられるのは、「回転率」のよさだ。これは一定の時間にどれだけのお客が
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江戸時代後期、伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818年)が作成した日本全国測量地図の蝦夷地(えぞち)(北海道)全体が、忠敬の弟子で探検家の間宮林蔵(1780?~1844年)の測量データに基づいて描かれたと考えられると、伊能忠敬研究会が18日、発表した。 定説では、忠敬が未測量の北海道北側部分のみを林蔵のデータで補足したとされていた。 同会は、1800年の第1次測量で測った函館付近から厚岸(あっけし)付近まで南側の海岸線について忠敬が作った測量図と、1821年の最終版「大日本沿海輿地(よち)全図」のデジタル画像を重ね合わせて比較。その結果、両図で海岸線が最大数キロ離れていることを確認した。 同会によると、忠敬は第1次測量で南側だけを測って以後、蝦夷地を訪れていない。一方、林蔵は蝦夷地を測量したデータを1817年に忠敬に引き継いだとされる。忠敬は、弟子以外のデータを用いない方針だったと
私は、都立大学の修士課程のとき、非常勤で来られた青木先生の授業をうけた。最初の授業で印象的だったのは、自分の夢は、もし奈良時代に時空を超えて行くことができるとして、朝、起きて、官吏の着る服をきちんと着て、奈良の都の大内裏の門を入って役所まで疑われずに行くことだ。それだけの知識と感覚をもちたいと言われたことだった。すでにそのころ、『奈良の都』は読んでいたと思う。 『奈良の都』は中央公論社版の『日本の歴史』の一冊である。このシリーズは、戦争から解放されて学問をはじめた世代の歴史家が、戦後二〇年の成果を注ぎ込んだもので名著が多い。そのなかでも、この本は格が高いと思う。政治史が中心だが記述の筋は明瞭に通っていて、しかも文化史も社会史も基本的なことはすべて書いてある。 とくに青木さんは、この本を出してからちょうど一〇年後に、もう一冊、今度は小学館からでたシリーズ『日本の歴史』にも『古代豪族』という巻
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