村田真彌子さんは長野県松本市を拠点に「香り・色・スパイス・ハーブ」をテーマにした講座や施術を行っているセラピストです。 植物から抽出される香りを利用する「アロマセラピー(=芳香療法)」や、薬用植物であるスパイスやハーブなどの自然療法をはじめ、色彩心理、月の満ち欠けと心身のリズムとの関連性......といったテーマに長年取り組んでいます。 独自の視点と知識を駆使した、一人一人のリズムに合わせた心の処方することで定評があり、私自身も彼女と「食と色」をテーマにしたコラボ講座を開催したことがあります。 村田さんは、子供の頃から「体調の優れない時にいただくといい食の知恵はあるのに、気持ちに元気がない時にそれに添うお食事がないのはなぜだろう?」と考えていたそうです。 その疑問は、セラピストとしての人生を歩むうち、食に色彩や香り、月のリズムといった新しい視点を取り入れることで、解決することになりま
生後間もない赤ちゃんが泣いていると、母親は「あーぁ可哀そうに、お腹が空いたのね」とか、「オムツを替えてほしいのね」とか、「ちょっと寒いのかな」とか言いながら対応する。父親には「オギャー、オギャー」の騒音にしか聞こえないのに、なぜ解るのだ? 赤ちゃんが微妙に泣き別けているのか、それとも母親の判断力が優れているのか、いずれにしても父性は母性に敵わない。これは子育て時代の私の実感。 それはさておき、ラジオやCDで音声だけの落語でも、複数の登場人物を聞き別けながら、なぜ解るのだ? と考えてしまう。落語家が上下(かみしも)を振って(顔を左右に向けて)、登場人物を演じ別けていると考えるのは間違いだ、と以前に書いたことがある(本コラム「壱 落語は究極の3D映像だ」)。たしかにビジュアルに頼らなくても落語は楽しめるのだから。 では、どうして登場人物を聞き別けることが出来るのか? 声色(こわいろ)の使い分
こんにちは。はじめまして。 沖縄県那覇市の海側、若狭地区にある古本屋「ちはや書房」です。 沖縄観光コースからは少し離れた若狭地区ですが、那覇市の中心街やネオン街からも徒歩圏内にあり、那覇唯一の海水浴場"波の上ビーチ"も近く、離島フェリーの玄関口"とまりん"や超大型クルーズ船用バースがあるため、県内・県外・海外からの人々が行き交う雰囲気があるまちです。 2006年から、大好きな沖縄で、やってみたかった古本屋を、家族3人で始めました。 沖縄に知り合いがいたわけでもなく、書店でバイトした経験すらなく始めてしまったため、古書店好きのお客さんに古本のイロハを教えてもらいながらの手探り営業。徐々に知り合った自営業者の友人や先輩たちからビリビリ刺激を受け応援されながら、なんとか営業9周年。最近、やっとカタチになってきたな、と思えるようになりました。 「ちはや書房」という屋号は、他界した祖母の名前
5月9日(土)、奈良県立図書情報館の「魅力的な本棚をつくる」というイベントに呼んでいただきました。 なんでも、「ブックセレクトのプロである書店員をお招きし、本のセレクトとディスプレイについて考える」ワークショップだそう。聴きたい聴きたい! と喜んでいたら、なんと講師をしていただけないか、とのこと。 軽い気持ちで引き受けてみたものの、そもそも自分は書店員なのか? 「本のセレクトとディスプレイについて」なにか話せることはあるのか? 日が近づくにつれてどんどん不安は増していくばかりです。 普段からミシマ社の本屋さんのディスプレイとセレクトについて、質問されることがよくあります。 誰が選んでいるのですか? どういう基準で並べているのですか? 聞かれたとき、僕は決まって答えに詰まります。 昨年の本屋さんオープン前夜、棚に並べられるのを待つ本たちはまだダンボールの中。この日のために新調さ
「おむすびは単純に練習を重ねるだけでは上手くならない」とかねてから感じています。そこに「純粋な思い」と「あたたかい記憶」が込められて、初めておむすびレシピが完成されるのではないかと。 そういう意味でおむすびは「料理」のカテゴリーとは一線を画しているような気がします。握る人の素直な心を直に伝えるのがおむすびであり、だからこそおいしいおむすびを完成させるのは易しいようで難しく、深いのかもしれません。 学べば一様に作れる料理とは違い、その人自身がおむすびという形になって表れる。握る時間はほんの数秒だけれど、大げさに言えばその人の人生すべてがおむすびに込められるという、ごまかしのきかない世界があると思うのです。 そんなおむすびに秘められた「心」を紐解きたい。日本各地で暮らす様々な人たちが握る「お店では買えない」おむすびを、冒険心と好奇心を持ってこの連載を書いていきたいと思います。 子どもにと
場所。 「いま、ミシマ社から出す本を書いているんですが、 これは京都の本、というか、京都で考えて、京都で書く本なんです。 これまでは、東京で考えて、東京で書いて、東京から発信する、 というのが当たり前になっていたんですが、 もし、宇宙人が地球にやってきて日本を見学したら、 この国はビジネスと政治は東京でやってもいいけど、 文化はすべて京都から発信すべきだと、 指摘するんじゃないかと思うんです。 実は、三島さん(ミシマ社社長)が 京都にオフィスを構えようと思う、と言ったとき、 僕も、背中を押したうちの一人なんです。 それで、僕もそれに乗じて、 京都で書いて、印刷も製本も京都でやって、 という本を出そうということになりました。 たぶん、『京都で考えた』というタイトルになると思います」 「僕らは二人とも、外国に行ったことがないんです。 本の中の『クラフト・エヴィ
インタビューの場に誰がいて何が起こるのか、 始まるまでまったくわからない戦慄の企画「闇鍋インタビュー」最終回は、 東京で行われた。 これまではずっと、京都や大阪など、関西でやってきたので なんとなく雰囲気が違う。 ミシマ社の新居さんから場所の候補を聞かれたので、 このところちょくちょく打ち合わせなどで使っている、 東京駅のトラヤ・カフェをお願いした。 ここは駅の中で、とにかく便がいい。 そして、いつもすごく混んでいるけれど、 なぜか静かな空気感でゆっくりできるのだ。 今回は三島社長も同席で、 席が五人分用意されている。 あれ? 五人って、へんだよね、、 インタビュイーでしょ、私でしょ、新居さんでしょ、で、三島さん、、、 と思っていたら、 今回のインタビュイーはなんと、お二人だった。 落ち着いた、知的な雰囲気の男性がひとりと、 軽やかな、ひかるようなさわや
アメリカで生まれた私の遊び場は、いつも何もない芝生だった。それが小学校の校庭であっても、近所の公園でも、はたまた自宅の裏庭でも、どこまでも広い芝生が、いつもそこにあった。太陽が降り注ぐ芝生の上で走り回って遊ぶのが、ごくごく日常として、私は育った。 80年代に多くの日本企業が海外進出するなかで、私の父もニューヨークにある日本の大手家電メーカーに勤務し、ベットタウンであるニュージャージーに家を構えた。緑豊かな閑静な住宅街が多く、自由な芝生の遊び場がとにかくたくさんあった。父と二人で週末にキャッチボールをしたり、兄弟3人で遊んだりするのもいつも、遠くまで見渡せる芝生の上。周りを見渡せば、のんびり犬と散歩する人や、フリスビーをして遊ぶ人、ただ日向ぼっこする人などさまざまな行為を広い芝生は提供していた。何もないからこそ、そこにいろんなものをイメージすることもできる。キャッチボールをすることが多かった
身体を鍛えるためのトレーニング方法はたくさんある。それこそ枚挙に遑がない。どれを選べばよいかよくわからず困っているという方が身近にいて、ネットで調べてみても書籍を紐解いてみてもイマイチピンとこず、そのうち面倒になってしまうらしい。運動したいという気持ちはあるというのだが...。 ヒラオはこう考えている。より効果的なトレーニング方法を探すよりも、まずはやってみることが大切なんじゃないかと。気の合う仲間の呼びかけに応じればなおよしで、たとえジムに通うにしても一人でやるより二人、三人で取り組む。その方が楽しいはずだし、楽しければとにかく続く。続ければ身体は変わる。大会で優勝を目指すなど、シビアに競技力を上げるのでなければそれで十分である。 と、かなりお気楽なのである。これには確固たる理由があって、「そもそもどんなトレーニングであってもやり始めのころにはそれなりに効果が出る」と考えているからだ。
2015.03.24更新 日々のニュース、歳事、ウチナーグチ(沖縄方言)......など、読むと沖縄の日常が生き生きと伝わってくる「がじゅまるファミリー」。 では実際、どのように描かれているのでしょうか? ファミリー誕生の裏話や、作品のモチーフについてお話をうかがいました。 ―― なぜ家族だったんですか? ももココロあえて家族を描こうしたというよりは、沖縄のことを漫画で表現するんだったら、この人たちが必要だという感じでしたね。 まず、沖縄のことを描こうと思ったときに、おじいちゃん、おばあちゃんの存在は絶対に必要だと思いました。あと、沖縄によくいる、おっちょこちょいなお母さんだったり、のんべえのお父さんは必須で、そこにいるほうがおもしろい。それにたくさん兄弟がいれば、それぞれ社会人だったり小学生だったり、いろいろな表情が見えてくるし、いろいろな切り口ができるかなと思って。 だから「がじゅま
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