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ブックマーク / qfwfq.hatenablog.com (98)

  • 菊池寛の「新刊」に感歎する - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    岩波文庫が好調だ。赤帯でクローデル『繻子の』の渡辺守章新訳、ジョイス『若い芸術家の肖像』の大澤正佳新訳が相次ぎ、『アーネスト・ダウスン作品集』にロペ・デ・ベガ『オルメードの騎士』、それにプリーストリー『夜の来訪者』という渋いところをヒットさせる。緑帯も負けてはいない。村井弦斎『道楽』『酒道楽』の連打(『女道楽』は無理か)に田山花袋の『温泉めぐり』。五人づれ『五足の』という珍品を発掘するかと思えば続いて北原白秋『フレップ・トリップ』を出すあたりはさすが。読書好きの琴線にふれるというか足の裏をこちょこちょ擽って頬を緩ませる。 今月の緑帯新刊が菊池寛『半自叙伝・無名作家の日記 他四篇』。なあんだ、菊池寛かと云う勿れ。従来の『無名作家の日記 他九篇』をそのまま復刊するのでなく、「半自叙伝」に自伝的小説二篇(「無名作家の日記」「葬式に行かぬ訳」)、定評のある人物スケッチ三篇(上田敏二篇に芥川龍

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  • わたしのなかのカフカへ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ふしぎなものだな、と思う。前回、前々回とカフカについて書いたら、わたしのなかでカフカがかふかに、じゃなかった、かすかに動きだした。まるでアニメートされたゴーレムのように。 ひところ、カフカに凝っていた。新潮社版の邦訳全集旧版と新版、それにカフカに関する評論などを目につくかぎり蒐めていた。マックス・ブロートの伝記(これも旧版と新版)、ヤノーホの『カフカとの対話』、マルト・ロベールの『カフカ』『カフカのように孤独に』『古きものと新しきもの』、ブランショ、カルージュ、バタイユ、クンデラ、ベンヤミン、アドルノ、ヴァルザー、バイスナー、ヴァーゲンバッハ、それに日の研究者、作家によるものも。それらのあるものはわたしにカフカに関する知識を少なからず与えてくれたし、あるものはカフカについてのわたしの考えをめざましく更新してくれた。その結果、カフカがすこし身近に感じられるようになった気がした。むろん錯覚に

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  • カフカ翻訳異文 その2 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    さて、光文社古典新訳文庫の『変身/掟の前で 他2編』を読んで当にびっくりしたのは、訳者あとがきに指摘されていた次のような事実であった。 光文社文庫収録の短篇「判決」に、こういう箇所がある。 「ぼくはほんとうに幸せだ。そして、君との関係もちょっと変化した。といっても、君にとってごくありきたりな友人ではなく、幸せな友人になったということにすぎないのだが。いや、それだけじゃない。婚約者が君によろしくと言っている。」(14ページ) これは主人公のゲオルク・ベンデマンが友人にフリーダとの婚約を報告する手紙の一節だが、これを池内紀さんは白水社版カフカ小説全集4『変身ほか』でこう訳している。 「ぼくは幸せだ。だからといって君との友情に変わりはない。彼女は君によろしくと言っている。」(42ページ) 「判決」はカフカが生前に出版された小説であるから、テクストは確定されており、どのエディションでもほとんど異

    カフカ翻訳異文 その2 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • カフカ翻訳異文 その1 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    おどろいた。いやあ、そうだったのか。ふうん。というようなことは、何かにつけて無知な私には日常茶飯事であるけれども、いや、これにはびっくりした。 カフカの短篇が丘沢静也さんの新訳で出たので買ってきた。『変身/掟の前で 他2編』(光文社古典新訳文庫)。ほかの二篇は「「判決」と「アカデミーで報告する」。帯のキャッチコピーが「カフカがカフカになった」(この翻訳によってカフカの真の姿が現れた、といった意味かと思ったが、そうではなく、これは「判決」によってカフカの文学が確立された、といった意味合いのことであった。訳者解説に出てくる。紛らわしいコピーですね)、そしてボディに「最新の<史的批判版カフカ全集>をピリオド奏法で」と小さく謳われている。 よく知られているように、カフカは生前ごくわずかな短篇を作品集として出版しただけで、長篇草稿や日記、手紙の類を友人のマックス・ブロートに託して自分の死後は焼却して

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  • 言葉のユートピア――塚本邦雄論序説(1) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    戀に死すてふ とほき檜のはつ霜にわれらがくちびるの火ぞ冷ゆる おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ ――「花曜」、『感幻楽』より 塚邦雄が生涯に遺した膨大な短歌のほとんどすべてが言語実験の賜物、塚の茂吉論の言葉を借りれば「破格大胆な冒険」といふべきであるが、なかんづく実験の意思を顕はにした歌集を一冊挙げるなら『感幻楽』であるといふのは衆目の一致するところだらう。塚自身、歌集の跋にかう記してゐる。 「第五歌集『緑色研究』のをはりに、言葉の無可有郷への首途を約してから、四年を閲した。かへりみて時のみが流れ、行きついたのは、いまだ言葉の修羅の域であつたといふ思ひが頻りである。」 言葉のユートピア。おそらくそれは字義どほりこの世に存在せぬ幻の楽土の謂ひであらう。かるがゆゑにそれを冀求する思ひは耐へがたいまでに熱い

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  • 『映画の呼吸――澤井信一郎の監督作法』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    映画の呼吸――澤井信一郎の監督作法』(ワイズ出版)を読む。 グラフィックデザイナーで見事な映画批評の書き手でもある鈴木一誌さんが、澤井さんにインタビューして纏めた。昨年十月に刊行されただが、ようやく読むことができた。澤井さんの手がけた全監督作品はむろんのこと、助監督作品(フォースからチーフにいたるまで)、脚、TV演出にいたるまで、ときにビデオで確かめながら場面場面を詳細に検討してゆく対話を月に一度、一年半かけて行なったものであるだけに、きわめて内容の濃い厚みのある書物(じっさいに二段組四百頁以上)になっている。澤井さんの自伝であるとともに、『ヒッチコック/トリュフォー』を想起させる澤井流演出術の書であり、なによりも第一級の映画製作の教科書である。 詳細に語られるのはデビュー作の『野菊の墓』、ついで第二作の『Wの悲劇』で、この自作解説には圧倒されるというしかないが、ここでは後半の作品

    『映画の呼吸――澤井信一郎の監督作法』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/04/23
    「泣かせはするのですが、『ひまわり』のように人間が生きるとはこういうことなんだという、泣きも笑いもできない人生の深みに行き着けない。こういう反省は強くありますね」
  • 愛ルケと戦メリ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    愛ルケ、と言うんである。愛の流刑地。このカジュアルな略称は、重々しく通俗的なタイトルの気恥ずかしさを軽やかに中和する効用がある。いずれにしても軽薄な感じがすることに違いはないけれども。山田風太郎の「流刑地の」ならルケか。 人名を、たとえばエノケンとか伴淳とか勝新とかと略すことはむかしからよくあるけれど、小説映画のタイトルなどをこういうふうに略称で呼ぶことはあまりない。小津の『風の中の牝鶏』を風メンだとか黒澤の『デルス・ウザーラ 』をデルウザだとか呼んだりはしない(と思う)。 愛ルケなどは略してもあまり言葉の節約にならないけれども、タイトルが長いため仕方なく略す場合もあって、『マルキ・ド・サドの演出のもとに シャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』は「サド・マラー」ではなく通常「マラー/サド」と表記される。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心

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  • 世の中にまじらぬとにはあらねども - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ファッション誌の人たちは、ジーンズと言わない」と、林真理子が週刊誌の連載エッセイ「夜ふけのなわとび」で、最近の言葉遣いについて書いている(「週刊文春」10月19日号)。ファッション誌の人とは、林が寄稿するファッション雑誌の編集者の謂だろう。では何というか。「デニムと言う。一年前から必ずそう言うようになった」。デニムという言葉はずっと以前から使われていたけれども、デニム=ジーンズになってしまったということか。「なぜだかわからないがそう決められたのである」。そう、世の物事はたいていなぜだかわからないが知らないうちに決められているのである。私などいまだにGパンである。松田優作の世代なのである。 「若い人は知らないだろうが、パンツのことを二十年ぐらい前まではパンタロンと呼んでいた」。ベルボトムのズボンですね。ま、早い話がそれまでラッパズボンと称していたものをちょっと気どってそう呼んだのだけれど、

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  • みそっかす - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    以前、ある映画の試写に招かれたときのことである。試写といっても、評論家や新聞記者・雑誌編集者のために映画会社の試写室で行なうものや、一般客に見せるホール試写ではない。ごく内輪のスタッフやキャストに仕上りを見せるための、編集や、科白・効果音などのダビングをひと通り終えたいわゆるゼロ号試写で、通常は現像所の試写室で行なわれる。上映が始まってまもない頃だった。主人公のナレーションであったか登場人物の科白であったかはもうさだかでないけれども、こういう科白があった。 「このへんじゃ、サキからこんなものでしたねえ」 一瞬、意味がわからず戸惑ったが、まもなく、ああそうかと思いあたった。映画はある小説を原作としたもので、その日の夜、家で当の小説にあたってみると確かにこう書かれていた。 「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」 翌日、人づてにその発音の誤りを監督に伝え、映画はその部分をリテイクして事なき

    みそっかす - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/10/01
    「かつて、漱石を注釈なしで読めない日本人がいると嘆く文章を読んだことがあるけれども、なに、ついこないだ死んだ幸田文だってもう危うい。いまに昭和の小説にはみな注釈がつくようになるだろう」
  • カラスか光か――大江健三郎調書 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    もう十年ほど昔のことになるけれど、その頃勤めていた出版社の海外出張で一週間ほどフランクフルトのブックフェアへ行ったことがある。ついでに、これも仕事でパリからアムステルダムへと足を延ばした。こちらはいずれも一日、二日の短い滞在だったが、パリでは書肆ガリマールで商談、アムステルダムではゴッホ美術館のキュレーターと会談したのだけれど思いがけなく話が長引いて美術館へは足を踏み入れることができなかった。美術館は折悪しく改修中で生憎とゴッホの絵は一枚も見ることができなかったが、翌日レンブラントの生家を美術館にしたレンブラントハウスでレンブラントの版画を見られたのがせめてもの慰めだった。レンブラントハウスの地下にあったお手洗いの男女それぞれのドアには、小用をたす男女それぞれの版画が掲げられていて、その遊び心が気に入ってミュージアム・ショップで絵葉書を買い求めた。絵柄が絵柄だけにしばらく使わず手もとに置い

    カラスか光か――大江健三郎調書 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • ロバート・フロストを読む皇后 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    一九九八年にニューデリーで開催された第二十六回国際児童図書評議会(IBBY)において、美智子皇后が基調講演(ビデオテープによる)をなさったことは広く知られている。「子供のを通しての平和――子供時代の読書の思い出」と題された講演内容は、宮内庁のホームページや書籍で英語と日語とによって読むことができ、事改めて書くまでもないけれども、このところ考えてきた詩の翻訳の問題にも聊かふれるところがあるので、トレースしながら若干の感想を記してみたい。なお、講演原稿は『橋をかける 子供時代の読書の思い出』*1より引用する。また、美智子皇后は皇后と表記し、敬語はくだくだしければ略す。諒とせられよ。 1 子供の頃、身近にあったにいかに楽しみを与えられ、励まされたかについて話してみたいと前置きをして、皇后は幼い頃に聞かされた「でんでん虫の話」を――「恐らくはそのお話の元はこれではないか」と新美南吉の「でんで

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/05/21
    「詩を読むとは、詩の意味するところを知ることではない。読者が詩の言語を生きることにほかならない」
  • 『細雪』を読む天皇 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    私がここに書くものはきわめて私的な回想と読書感想文のたぐいが殆どで、思い出話はともかく、感想文については記憶の中のや偶々手元にあるから気儘に抜書きをして他愛ない感想を附しただけで、剰え格別珍しいなどそこに含まれてはいない。したがって誰もが知っている著名なの周知の挿話を引き、事改めて感心しているに過ぎない。この児戯に類する漫文に目を留めてくださる少数の方々に予め御海容をお願いするしだいである。以下に記すのも、その類いであるかと思う。 1 尾崎一雄に『単線の駅』*1という随筆集がある。なかの「日の言葉・文章」と題した文で、尾崎は谷崎潤一郎全集第二十五巻の月報に掲載された入江相政の文を引用する。谷崎が『細雪』を書き上げ、文化勲章を受章(昭和二十四年/一九四九)した折りのこと。陪のあとのお茶の席で、総理の吉田茂が「陛下に内奏する時こまるから、今度から細雪みたいなむずかしい題はやめてほし

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  • キルヒベルクの鐘――翻訳詩の問題(5) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    1 高橋睦郎の『言葉の王国へ』*1は、おもに年少の頃の書物との出合いを綴った一種の自伝的読書ノートとも呼ぶべきエッセー集で、高橋睦郎の著書のなかで私のもっとも愛読するである。リルケとの出合いを回想した件で高橋は、中学の国語教師に「上智大学で富士川英郎教授についてリルケを学んだ井上忠雄氏」を紹介され、リルケの詩の読み方の手ほどきを受けたと書く。そして愛誦するリルケの「海の歌」を富士川英郎訳で引用する。ここでは第一連のみ掲げておこう*2。 大海の太古からの息吹き 夜の海風 お前は誰に向って吹いてくるのでもない このような夜ふけに目覚めている者は どんなにしてもお前に 堪えていなければならないのだ 高橋が「読まされたのは大山定一訳と高安国世訳」であったが、いまはいずれも手もとにない、と記憶をたどる。 「私の記憶によれば、この富士川訳は大山訳に遠く、高安訳に近い。高安訳の最初の三行はたぶんこうで

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  • 光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    「文学的技巧という点から見るならば、この作品はこの時代のもっとも目ざましい作品の一つであって、スインバーンと同様に詩的であり、かつ技術的にはスインバーンよりもはるかに見事な完璧に到達している。」*1 こう書くのはG・K・チェスタトン。「この時代」とはヴィクトリア朝、「この作品」とは『ルバイヤート』である。「この『ルバイアート』は」とチェスタトンは書く。「コールリッジやキーツに興ったあのロマン派の奔放な詩の中でただ一つ、十八世紀の機智と洗練とを保持しえた唯一の作品となった。」 この『ルバイヤート』とは、むろんエドワード・フィッツジェラルドが翻訳したオマル・カイヤームの「四行詩集」で、『ルバイヤート』の流麗な邦訳を手がけた英文学者矢野峰人が伝えるように、わずか二五〇部自費出版されたがいっこうに売れず店晒しになっていたのをD・G・ロセッティが偶々目に留め、手に取って見ると「豈図らんや、それぞれの

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  • 詩は何処にあるか――翻訳詩の問題(3) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    1 福永武彦の『異邦の薫り』は、森鴎外の『於母影』を皮切りに、明治〜昭和期の代表的な訳詩集を採り上げて紹介したエッセイ集で、「婦人之友」に一年間連載された十二篇にもう一篇を加えて一としたもの(麺麭屋の一ダースですね)。篠田一士のいう五大訳詩集はむろんのこと、日夏耿之介の『海表集』や『山内義雄訳詩集』など、目も綾な書目が並ぶ。「正確無比で誤訳が一つもないといふやうなことばかりで、面白さがきまるわけではない」と書くように、福永にとって翻訳詩が「詩」として自立していなければならないのは自明である。 福永の言及する訳詩集は「いずれも言わばわが国の翻訳文学の銀座通りに、その軒をつらねている大廈高屋の群であるが、そのほかに裏通りのささやかで、瀟洒な店舗のような訳詩や訳詩集が、たくさんにとまでは言えないまでも、あちこちにかなり見出されることは否定できない」と、専ら福永が採り上げた以外の秀れた訳詩集につ

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  • 『洛中書問』――翻訳詩の問題(2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    1 詩の翻訳は詩であるべきか否か。この問題をめぐって上田敏の訳詩を批判した折口信夫に篠田一士が加担したのは、一に戦時下に行なわれた吉川幸次郎と大山定一との往復書簡、『洛中書問』に係ってのことである。 篠田一士の『現代詩大要 三田の詩人たち』は、慶應義塾・久保田万太郎記念資金講座『詩学』における講義を「三田文學」に連載しのちに書籍化したものであり、講義が行われたのは一九八四年、篠田のあまりにも早すぎる死の五年前のことである。篠田が折口と同じく「原詩を尊重する」という考えをもつにいたった切っ掛けは、それよりおよそ四十年前のある雑誌との出合いにある。 あと半年余りで敗戦を迎える昭和二十年の冬、勤労動員に駆り出されて工場で飛行機の部品を作っていた旧制高校一年の篠田は、工場からの帰り道にふと立ち寄った古屋で一冊の雑誌を手にする。それは新村出の主宰する「学海」という雑誌で、そこに掲載されていた「洛中

    『洛中書問』――翻訳詩の問題(2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/04/19
    詩の翻訳は詩であるべきか否か。
  • すべて世は事も無し――翻訳詩の問題(1) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    翻訳小説を読んだり自分でも翻訳書を編集したりするせいもあって、翻訳に関するはわりあいよく読む。最近出版された柴田元幸さんの『翻訳教室』(新書館)は、東大文学部での授業(「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」)を文章化したもので、じつに面白かった。 スチュアート・ダイベック、バリー・ユアグロー、レベッカ・ブラウンといった柴田さんが翻訳を手がけている作家をはじめ、レイモンド・カーヴァー、ハルキ・ムラカミ(これは日文学研究者ジェイ・ルービンが訳した英文)、リチャード・ブローティガン等々のテキストを訳した学生の文章を、柴田先生や学生たちが「ああでもないこうでもない」と討議してゆくさまが臨場感に溢れていて、読んでいるとその授業に出席しているような錯覚に陥るほどだ。 村上春樹を招いて学生たちが翻訳について質問をする<特別講座>もある。「いちばん僕がたいへんだと思うのは詩です。レイモンド・カー

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  • qfwfqの水に流して Una pietra sopra::藤田三男、そして三島由紀夫

    ――三島由紀夫の「仮面」と「素面」 1 今月、河出文庫の新刊で三島由紀夫の対談集『源泉の感情』が出た。親は一九七〇年十月三十日、自決のひと月前に刊行された三島由紀夫生前最後の単行である。小林秀雄、安部公房、福田恆存といった文学者、および坂東三津五郎、喜多六平太、豊竹山城少掾といった伝統藝術家との対話からなる。 解説を藤田三男さんが書いている。作家に親しく接しえた編集者ならではの行き届いた観察が三島の素顔を髣髴とさせる文章であるが、それだけでなく、一筆で三島の質を射抜いた作家論にもなっているところが見事というしかない。 たとえば巻頭に据えられた『金閣寺』をめぐる小林秀雄との対話で、小林はのっけから、『金閣寺』は小説というより抒情詩であると断言する。ドストエフスキーの『罪と罰』を引き合いに出しながら、ある観念に憑かれた主人公の告白はそれだけでは小説にならない。抒情的にはきわめて美しいがす

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