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ブックマーク / www.1101.com (193)

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ほぷらす

    はい、そうでしたよね。 覚えています。糸井さん、それね、 ぱって手に取って、ほんとすぐに 「これ、ください」って、 ぱっと買われたんです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 目眩く愛書家の世界

    まことに、恐れ入ります! さっそくですが、アラマタ先生といえば 「延々とを読み続ける博覧強記」 というイメージで 一般に知れ渡っておりますが‥‥。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 続・大村憲司を知ってるかい?

    98年冬、しし座流星群の夜に永眠した、 この、ひとりのギター弾きの遺した 4枚のソロ・アルバムが再発されます。 ギタリストになり、21歳になった長男・大村真司が 父親をよく知るひとびとのところに 大村憲司の話を聞きに行きました。 Musician's Musicianといわれる大村憲司って、 どんなことをしていたのか、何をぼくらに残したのか、 同じ仕事を選んでしまった息子が探しに行きます。 真司くん、いま、どうしてますか。 大村真司くんから、 「父のむかしの音源が、CDになって再発されました。 よかったら、聴いてみてください」 というメッセージとともに、 「ほぼ日」宛てに3枚の紙ジャケットのCDがとどきました。 「ギター・ワークショップ」という、 1977年、78年、80年にリリースされたLPが リマスタリングされた、というのです。 「ギター・ワークショップ」は、 故・大村憲司さんをはじめ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 訪問

    今回、「ほぼ日」乗組員有志が向かう先は、 コズフィッシュ。 親しみ込めて「そぶちゃん」とお呼びしている、 日が誇るグラフィックデザイナー、 祖父江慎さん率いる事務所です。 さて、なぜ、コズフィッシュを 訪問することになったのでしょうか。 それは、糸井重里が、 あるミーティングで、こう発言したからです。 「おまえたち、 祖父江さんのところに行って、 祖父江さんを見てくるといいよ」 さらに、なぜ、糸井重里が このように発言することになったのかというと、 それはたまたま、 2010年4月22日から松屋銀座で開催される 「ゴーゴー・ミッフィー展」の 祖父江さんによるグッズデザインのアイデアラフを 糸井が拝見する機会があったからです。 こちらが、そのアイデアラフのコピーです。 肉筆で書かれた、あふれて出たような、 たくさんのアイデア。 めくってもめくっても たのしくかわいくうっとりするような思いつ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson485 「働きたくない」というあなたへ 9 「楽しく生きる。」 読者の反響には、 たしかに「楽しく生きる」に引っかかる、 という人もいるし、 「楽しく生きる」の何が悪い? いいことじゃないか? という人もいる。 正解はないのだが、 きょうは、「楽しく生きる」について、 さらに読者のおたよりから考えてみたい。 私は常日頃、「楽しい」というのは、 ものすごく偉大な価値だととらえている。 とくに表現教育の現場で。 「授業が楽しかったー!」という生徒に出会うと、 感心をとおりこして、尊敬するし、 天才じゃないかとさえ思ってしまう。 慣れない「表現する」ということを、 多くの人が、とまどいながら、苦しみながら、 やっており、その姿も、もちろんとても感動的なのだが、 生まれて初めて「表現する」ということをやり、 それを生き生きともう、「楽しんでいる」人に出会うと、 なんて感覚がいいんだろう

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2010/04/02
    不如樂之者
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 『音楽堂』ができるまで。

    「『音楽堂』ができるまで。」は、 この動画からはじめます。 矢野さんのチームのみなさんから、 こころよく許諾をいただき、 10分ほどの、ショートムービーのような トレーラー(予告編)を 「ほぼ日」で配信させていただくことになりました。 予告編といっても、 映像作品の予告編ではなく、 音楽作品の予告編です。 『音楽堂』ができるまでの記録、 どうぞ、ごらんください。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 大竹昭子さん、写真のたのしさ、教えてください。

    大竹さんの編集・執筆なさった 『この写真がすごい2008』、 とても面白かったです。 こんなふうに、撮った人が誰かを知らずに 写真だけを見るということは、 ふだん、まず、ないんだなと思いました。 それがまず新鮮でしたし、 なにより写真そのものがたのしくて。 そして写真に添えられた大竹さんのことばが、 ともだちに「これ、たのしいよね」って 話しかけられているみたいで、 それもすごく面白かったです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    <菊池寛って、すごい。> 知らないんですよ、ほんとは、なんにも、菊池寛のこと。 でもね、ちょっとだけ聞いたことがあったんですよ。 「菊池寛が、文藝春秋を創刊したのは、 文学者たちがメシをえるための場を つくるという目的もあったんだ」ということを。 そうだよなぁ、まだ、きっとその当時は、 「文学」をやろうなんて人たちの、 社会的に生きていく場なんかなかったんだろうなぁ。 いっぽうで、いわゆる講談というか、 大衆文学のほうは、仕事として成立していたのかな。 自分自身が流行作家ではあったらしいから。 とにかく、よく知らなかったわけだ。 日文学史を学んでいる人たちには常識なんだろうけど、 ぼくらが、普通に習ったり知ったりすることは、 文学の主役である「作家たち」の歴史ばかりで、 その主人公たちの活躍の「場をつくる」人については、 案外、知らないもののようだ。 プロデューサーが大事だと、 みん

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2010/01/07
    「菊池寛って、すごい。」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 婦人公論 井戸端会議

    独身上手と結婚上手の間で (全4回) 待つ人がいると思うと、 家路は遠い?近い? 創作とシングルライフは相性がいい? 五十代男性三人が語る、結婚離婚・ 家族サービスから肉体まで 構成:福永妙子 撮影:橘蓮二 (婦人公論1999年9月22日号から転載) 篠原勝之 ゲージツ家。 1942年北海道生まれ。 17歳で上京、 深沢七郎、 唐十郎らとの交流を 経て創作活動へ。 鉄の作品シリーズを経て、 ガラス、 石のゲージツに取り組む。 愛称は“クマさん” 橋治 作家。 1948年東京生まれ。 『桃尻娘』を振り出しに、 小説や評論、 時評など健筆は 多岐にわたる。 93年に 『窯変源氏物語』 全14巻を完結、 現在『双調平家物語』 (全12巻・小社刊)を 執筆中

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 総武線猿紀行

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのドラッカー

    それに、先生がお書きになった ダイヤモンド社の『ドラッカー入門』ってが、 当に役に立つんですよ。 ドラッカーについては、 これ読んどけば、まずオッケーというくらいに。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - バカボン

    『天才バカボン』をはじめ、数々の 名作マンガを生んだ 赤塚不二夫さんが亡くなって、一年。 一生をかけてギャグをやりきった赤塚さんは、 実際には、どんな方だったのでしょうか。 『天才バカボン』文庫版のブックデザインを担当し 松屋銀座の「追悼 赤塚不二夫展」の 会場デザインを担当される祖父江慎さんに お話をうかがいつつ、 バカボンの世界に近づいてみたいと思います。 そういえば、トキワ荘時代の未現像フィルムが いっぱい出てきたんです。 赤塚りえ子さんが見つけたんですが、 今回、それをプリントしてみたらすごくって。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ヤオモテ、OK

    まぁ、でも、あれだね。 こうやって、いま現在も まだまだ音楽でがんばれてるんだから、 それはうれしいよ。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 細野さん・慶一さんと、トリロー先生の話を。

    この間のコンサート 「三木鶏郎と異才たち~Sing with TORIRO」について、 終わってみての感想を ちゃんと聞いていなかったのですが、 いかがでした? 番でも、楽屋でもね、 皆さん、楽しそうにしていたので、 それは良かったですよ。 終わった後に打ち上げがありましてね。 あれが、また、良かったな! 二次会で、出演者が頭の1曲目から、 もう一回、全部やったの。 ウクレレとピアニカだけで、ずーっと。 最初は無伴奏だったけど。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 大瀧詠一さんと、トリロー先生の話を。

    1956年8月11日 旬刊「ラジオ東京」 (ラジオ東京発行) マイクに映った顔 記事タイトル:「冗談列車!発車」 第5次「冗談音楽」を KRTの電波にのせるにあたって

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - めがねのスタイリスト? 藤裕美さんのお仕事をご紹介します。

    いや、でも私がお話ししたことが すべて正しいわけではないんだと思います。 ひとりのめがね好きとして、 そう思っているというだけで‥‥。 めがねというものがもっと、みなさんの魅力を 引き出すきっかけになればいいなあ、と。 今日お話ししたことは、 あくまで私なりの 提案や考え方だと理解していただきたいです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - アニ(スチャダラパー) × 梅佳代 こう見えて報道系。

    うーん、まぁ、 「あ、今日カメラ忘れた」 みたいなときは、ありますよ。 以前はそういうこと、なかったけど。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 吉本隆明 「ほんとうの考え」

    やっぱり、おおごとがあった時には、 吉隆明さんはどう考えているかな、と思うわけです。 健康状態も、良好とはいえないのですが、 吉さん、腰を据えて、成り行きを見つめていました。 いつも感心するのですが、 吉さんの「ものごとのつかまえ方」というのは、 どれほど新しいことに見えようが、 「かつてあったことでもある」として、 二重画像のようにとらえるんですよね。 今回の、震災後の状況を、 「太平洋戦争」のときの日と、 「ロシア革命」の終幕の政争と重ねました。 「公にどんなことがあろうと、なんだろうと、 自分にとっていちばん大切だと 思えることをやる、それだけです」‥‥結論はここへ。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - タモリ先生の午後 2009

    ぼくは「下ネタを否定してはならない」と つねづね、思っているんですが、 「それ、NGだよな‥‥」って下ネタも ほっといたら、出てしまうじゃないですか。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 -吉本隆明・まかないめし。

    思想界の巨人とか言われていたって、世間話もするし、 「ただのおとうちゃん」として暮らしている時間がある。 ぼくはそっちの時間の吉さんの話ばかり聞いているんで、 まかないめしで栄養をつけてきたようなものだ。 吉隆明さんとは15年以上にもわたって、 しょっちゅうお会いしているのに、 ほとんど世間話しかしていないような気がする。 それでも、「世間」というものも大きいわけで、 詩やら文芸批評やら哲学、なんていうような話題が どうしても混じり込んでしまうものだ。 たまに、じぶんより若い人と話をしているときに、 「そういえば、そういうことについて、 吉さんがこんなこと言ってたっけなぁ」と、 思い出したことを話すと、 「思想家・吉隆明」を知らない人たちが、妙に感心する。 ぼくは、いわゆる吉信者でも隆明ファンでもないけれど、 (だいたいぼくには、<吉>は難しかったよ)、 近所の尊敬できる年長