はい、そうでしたよね。 覚えています。糸井さん、それね、 ぱって手に取って、ほんとすぐに 「これ、ください」って、 ぱっと買われたんです。
はい、そうでしたよね。 覚えています。糸井さん、それね、 ぱって手に取って、ほんとすぐに 「これ、ください」って、 ぱっと買われたんです。
まことに、恐れ入ります! さっそくですが、アラマタ先生といえば 「延々と本を読み続ける博覧強記」 というイメージで 一般に知れ渡っておりますが‥‥。
98年冬、しし座流星群の夜に永眠した、 この、ひとりのギター弾きの遺した 4枚のソロ・アルバムが再発されます。 ギタリストになり、21歳になった長男・大村真司が 父親をよく知るひとびとのところに 大村憲司の話を聞きに行きました。 Musician's Musicianといわれる大村憲司って、 どんなことをしていたのか、何をぼくらに残したのか、 同じ仕事を選んでしまった息子が探しに行きます。 真司くん、いま、どうしてますか。 大村真司くんから、 「父のむかしの音源が、CDになって再発されました。 よかったら、聴いてみてください」 というメッセージとともに、 「ほぼ日」宛てに3枚の紙ジャケットのCDがとどきました。 「ギター・ワークショップ」という、 1977年、78年、80年にリリースされたLPが リマスタリングされた、というのです。 「ギター・ワークショップ」は、 故・大村憲司さんをはじめ
今回、「ほぼ日」乗組員有志が向かう先は、 コズフィッシュ。 親しみ込めて「そぶちゃん」とお呼びしている、 日本が誇るグラフィックデザイナー、 祖父江慎さん率いる事務所です。 さて、なぜ、コズフィッシュを 訪問することになったのでしょうか。 それは、糸井重里が、 あるミーティングで、こう発言したからです。 「おまえたち、 祖父江さんのところに行って、 祖父江さんを見てくるといいよ」 さらに、なぜ、糸井重里が このように発言することになったのかというと、 それはたまたま、 2010年4月22日から松屋銀座で開催される 「ゴーゴー・ミッフィー展」の 祖父江さんによるグッズデザインのアイデアラフを 糸井が拝見する機会があったからです。 こちらが、そのアイデアラフのコピーです。 肉筆で書かれた、あふれて出たような、 たくさんのアイデア。 めくってもめくっても たのしくかわいくうっとりするような思いつ
Lesson485 「働きたくない」というあなたへ 9 「楽しく生きる。」 読者の反響には、 たしかに「楽しく生きる」に引っかかる、 という人もいるし、 「楽しく生きる」の何が悪い? いいことじゃないか? という人もいる。 正解はないのだが、 きょうは、「楽しく生きる」について、 さらに読者のおたよりから考えてみたい。 私は常日頃、「楽しい」というのは、 ものすごく偉大な価値だととらえている。 とくに表現教育の現場で。 「授業が楽しかったー!」という生徒に出会うと、 感心をとおりこして、尊敬するし、 天才じゃないかとさえ思ってしまう。 慣れない「表現する」ということを、 多くの人が、とまどいながら、苦しみながら、 やっており、その姿も、もちろんとても感動的なのだが、 生まれて初めて「表現する」ということをやり、 それを生き生きともう、「楽しんでいる」人に出会うと、 なんて感覚がいいんだろう
大竹さんの編集・執筆なさった 『この写真がすごい2008』、 とても面白かったです。 こんなふうに、撮った人が誰かを知らずに 写真だけを見るということは、 ふだん、まず、ないんだなと思いました。 それがまず新鮮でしたし、 なにより写真そのものがたのしくて。 そして写真に添えられた大竹さんのことばが、 ともだちに「これ、たのしいよね」って 話しかけられているみたいで、 それもすごく面白かったです。
<菊池寛って、すごい。> 知らないんですよ、ほんとは、なんにも、菊池寛のこと。 でもね、ちょっとだけ聞いたことがあったんですよ。 「菊池寛が、文藝春秋を創刊したのは、 文学者たちがメシを食えるための場を つくるという目的もあったんだ」ということを。 そうだよなぁ、まだ、きっとその当時は、 「文学」をやろうなんて人たちの、 社会的に生きていく場なんかなかったんだろうなぁ。 いっぽうで、いわゆる講談本というか、 大衆文学のほうは、仕事として成立していたのかな。 自分自身が流行作家ではあったらしいから。 とにかく、よく知らなかったわけだ。 日本文学史を学んでいる人たちには常識なんだろうけど、 ぼくらが、普通に習ったり知ったりすることは、 文学の主役である「作家たち」の歴史ばかりで、 その主人公たちの活躍の「場をつくる」人については、 案外、知らないもののようだ。 プロデューサーが大事だと、 みん
独身上手と結婚上手の間で (全4回) 待つ人がいると思うと、 家路は遠い?近い? 創作とシングルライフは相性がいい? 五十代男性三人が語る、結婚・離婚・ 家族サービスから肉体まで 構成:福永妙子 撮影:橘蓮二 (婦人公論1999年9月22日号から転載) 篠原勝之 ゲージツ家。 1942年北海道生まれ。 17歳で上京、 深沢七郎、 唐十郎らとの交流を 経て創作活動へ。 鉄の作品シリーズを経て、 ガラス、 石のゲージツに取り組む。 愛称は“クマさん” 橋本治 作家。 1948年東京生まれ。 『桃尻娘』を振り出しに、 小説や評論、 時評など健筆は 多岐にわたる。 93年に 『窯変源氏物語』 全14巻を完結、 現在『双調平家物語』 (全12巻・小社刊)を 執筆中
『天才バカボン』をはじめ、数々の 名作マンガを生んだ 赤塚不二夫さんが亡くなって、一年。 一生をかけてギャグをやりきった赤塚さんは、 実際には、どんな方だったのでしょうか。 『天才バカボン』文庫版のブックデザインを担当し 松屋銀座の「追悼 赤塚不二夫展」の 会場デザインを担当される祖父江慎さんに お話をうかがいつつ、 バカボンの世界に近づいてみたいと思います。 そういえば、トキワ荘時代の未現像フィルムが いっぱい出てきたんです。 赤塚りえ子さんが見つけたんですが、 今回、それをプリントしてみたらすごくって。
1956年8月11日 旬刊「ラジオ東京」 (ラジオ東京発行) マイクに映った顔 記事タイトル:「冗談列車!発車」 第5次「冗談音楽」を KRTの電波にのせるにあたって
いや、でも私がお話ししたことが すべて正しいわけではないんだと思います。 ひとりのめがね好きとして、 そう思っているというだけで‥‥。 めがねというものがもっと、みなさんの魅力を 引き出すきっかけになればいいなあ、と。 今日お話ししたことは、 あくまで私なりの 提案や考え方だと理解していただきたいです。
うーん、まぁ、 「あ、今日カメラ忘れた」 みたいなときは、ありますよ。 以前はそういうこと、なかったけど。
ぼくは「下ネタを否定してはならない」と つねづね、思っているんですが、 「それ、NGだよな‥‥」って下ネタも ほっといたら、出てしまうじゃないですか。
思想界の巨人とか言われていたって、世間話もするし、 「ただのおとうちゃん」として暮らしている時間がある。 ぼくはそっちの時間の吉本さんの話ばかり聞いているんで、 まかないめしで栄養をつけてきたようなものだ。 吉本隆明さんとは15年以上にもわたって、 しょっちゅうお会いしているのに、 ほとんど世間話しかしていないような気がする。 それでも、「世間」というものも大きいわけで、 詩やら文芸批評やら哲学、なんていうような話題が どうしても混じり込んでしまうものだ。 たまに、じぶんより若い人と話をしているときに、 「そういえば、そういうことについて、 吉本さんがこんなこと言ってたっけなぁ」と、 思い出したことを話すと、 「思想家・吉本隆明」を知らない人たちが、妙に感心する。 ぼくは、いわゆる吉本信者でも隆明ファンでもないけれど、 (だいたいぼくには、<吉本本>は難しかったよ)、 近所の尊敬できる年長
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く