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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Trou (11)

  • 人の人生と一緒に走る - 花と石ころ

    先日インターネットが日常的なものになったことで生じた気分の変化ってなんだろうね、って話になって、それはつまりこないだの90年代と00年代の違いってことになるのかもしれないんですけど、そのときには言わなかったし考えつかなかったのだけれど、まったく知らない人の人生の一端がたくさん見られるようになったことによる変化ってのはあるのかなーと思いました。 たとえばtwitterでもそうだろうし、日々のできごとを綴るブログなどでもそうなのでしょうけれど、よく書かれたそれらは、その人が生きている、ということを読み手にすっと感じさせてくれます。朝起きれば遅刻しそうになったり、電車を乗り間違ったりしているtwittrerがいるし、ブログを読めば、おいしそうなご飯をべている人や、楽しそうに友だちや同僚と遊んでいる人がいる。インターネット以前、というのは、そういった、見知らぬ人たちの生活の息づかいのようなものを

  • 「意味」を問うことの意味について - 花と石ころ

    「「意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」 - 花と石ころ」について予想外にブックマークをいただいたので、少し続けて考えてみます。 先の記事で述べたとおり、「“意味”を問うことで、受け取ることができるものが狭くなる領域」というのはあると思うのですが、すると、ブックマークにおけるid:kokokubetaさんの指摘のとおり、「こう考えると、逆になぜ意味を問うてしまうのだろうとも考えられる」という問いが発生します。あるいは、id:udyさんの「国語の授業における文章読解訓練の賜物」という指摘を受けると、「「意味」を問うことの意味」って何なのだろう、ということを考える必要が生じます。 このことについては、私もずっともやもやしたままなんですが、あやふやな言い方をすると、「「意味」しか問えなくなることも問題だけれども、「意味」について考えることができないというのもま

  • 「意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」 - 花と石ころ

    ほぼ日刊イトイ新聞より、谷川俊太郎の言葉。谷川俊太郎さんが、TV番組「題名のない音楽会」でこう言っておられました。「詩の朗読会で、詩の意味はよく聞かれるが、意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。 詩にせよ短歌にせよ俳句にせよ、あるいは小説にせよ“意味”を問うことで、受け取ることができるものが狭くなる領域というのが確実に存在する。 短歌を読む際に、“これはどういう状況をあらわしているのだろうか”という問いは、最初にはこない。ふとしたときに“あれはどういうことだったのだろう?”と思うことはあるけれど、しかし、それはその歌を読むときの最優先事項ではない。短歌は、ひとまずは言葉の連鎖でしかなく、その歌の向こうに状況はないと私は考える。なにかを背景にして歌は生まれるのではない。あるいは、読まれるのではない。 花束を受け取る

  • 「「文学の政治性」とか寝言言われるともう逆上するんです」 - 花と石ころ

    『群像』2009年3月号、津村記久子インタビュー「「ポトスライムの舟」で試みたこと」における石川忠司の言葉。 自分としては文学とか小説、言葉や言論のたぐいは現実の問題にかんしてはまったくの無力、というか、その無力さを前提にしなけりゃ何もできないと思っていて、「文学の政治性」とか寝言言われるともう逆上するわけですが、正直な話、そのあたりはどうですか? 今月の文芸誌はどこもかしこも津村記久子一色で、このインタビューをはじめに読んだのは偶然なのですが、インタビュアーが石川忠司だったので、ああ、これは普通のインタビューにはならない、と思いました。 上記の発言については、言葉が少ないこともあって、この時点ではなんとも言えないですが、文学や、あるいは言論一般の持つ権力性について無自覚な発言ではないはずで、今後、石川忠司の著作を読んでいく上で、何度も思い返して、反芻したいフレーズだと思います。 他にも、

  • 薪を「くべる」 - 花と石ころ

    方言系の話題。次のような質問記事がありました。「くべる(焼べる)」という言葉について、お伺いします。私は札幌育ちで、昔はストーブに石炭や薪を加えて燃やすことを、「くべる」と言っていました。いつの頃からか石油ストーブが主流になり、私も20代で首都圏に移り、かれこれ40年近くの間「くべる」という言葉を聞くことがありませんでした。この言葉は辞書にも載っており、私は標準語だと思っていたのですが、「北海道の方言」という説もあります。ほかの地方では、「くべる」を使わないのでしょうか?北海道以外で、薪ストーブなどをお使いの方、よろしくお願いいたします。北海道以外の方、「薪をくべる」と言いますか? : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) で、おおかたの予想通り方言じゃないよ、知ってるよ、という答えがたくさん返ってきているわけですが、たしかにこの言葉は

  • 短歌と俳句と定型性 - 花と石ころ

  • 柴崎友香『ワンダーワード 漫画家対談エッセイ集』 - 花と石ころ

  • 漢字力が“深刻”らしいです - 花と石ころ

    こんな記事。 小学2年で習う「戸(こ)外」を書けた小3は1.4%、小6で習う「革(かく)新」を書けた中1は5.9%−。小学校6年間で学習する「学年別漢字配当表」の1006字のうち、習った次の学年で書けるかどうかの“漢字力”を、ベネッセ教育研究開発センター(東京)が調べたところ、普段の生活でなじみの薄い言葉の漢字が苦手な傾向があることが3日、分かった。 調査を担当した日国語教育学会の河西泰道理事は「暮らしの中にはいくつもの言葉や言い方があり、その面白さに気付いてほしい。指導の際に漢字の由来などで興味を引く工夫も必要」としている。 調査は昨年5−6月、無作為抽出した全国の公立小学2−6年と中学1年の計約9000人を対象に、前学年で習った配当表の漢字の書き取り問題を解いてもらった。 その結果、小1で習う字では「木の下」の「き」や「木よう日」の「もく」は90%以上の小2が書けたが「木のは(葉)」

  • http://d.hatena.ne.jp/Trou/20071020

  • 2007-09-05 - 花と石ころ

    ■[ニュースのあれこれ]武道の必修化 中学校における武道必修化の記事を、いくつか比べてみた。一番最初に目にした記事はこれ。 学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の専門部会は4日、中学校の保健体育で選択必修になっている武道(柔道、剣道、相撲など)を1、2年生の男女を対象に原則、必修化することを大筋で了承した。昨年12月改正の教育法に盛り込まれた教育目標「伝統と文化の尊重」の実現を目指す。 この教育目標は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」といういわゆる「愛国心」表記として、賛否を呼んでいた。 専門部会は、武道の必修化は教育目標と一致するとともに、子供の成長過程を考えると、中2までは、男女ともに複数の競技を体験させるのが望ましいと判断した。 現行の学習指導要領では、中1が武道かダンスのいずれかを選択。2、3年生は

  • http://d.hatena.ne.jp/Trou/20070701

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