ビートルズ、カルチャー・クラブ、T・レックス、おニャン子クラブにSMAP……古今東西191、一世を風靡した人気バンドの解散理由を全暴露、音楽ファン悶絶の名著が文庫に。刊行を記念して、各著者による文庫未収録のコラムを5日間連続で公開します! 『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』 (速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲 著)「解散しておけば、解散コンサートをやって(中略)もっと儲かった」 ZIGGY・森重樹一が語るとおり、解散はバンドやグループにとって最後のビジネスチャンス。それだけに、ポップミュージックやロックが大きなビジネスになり始めた80年代以降、国内のバンド・グループの中には、解散ツアーを開催したり、その模様を収録したライブアルバムや解散記念ベスト盤をリリースしたりするだけでは飽きたらず、「解散」という行為そのものを独特の言い回しで演出するものも少なくない。
ビートルズ、カルチャー・クラブ、T・レックス、おニャン子クラブにSMAP……古今東西191、一世を風靡した人気バンドの解散理由を全暴露、音楽ファン悶絶の名著が文庫に。刊行を記念して、各著者による文庫未収録のコラムを5日間連続で公開します! 『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』 (速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲 著) キャンディーズは73年9月にデビューし78年4月に解散した。ピンク・レディーは76年8月にデビューし81年3月に解散した。どちらも活動期間は4年半ほどであり、国民的な人気を獲得したのちに解散したという点で表面的には似た出来事のようにも見えるが、両者の「解散」が意味するところには大きな隔たりがあった。 キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」と叫んで解散した。ランとスーは芸能界に復帰したけれど(ミキも一時的に復帰)、結果的にそうなったという話であ
ビートルズ、カルチャー・クラブ、T・レックス、おニャン子クラブにSMAP……古今東西191、一世を風靡した人気バンドの解散理由を全暴露、音楽ファン悶絶の名著が文庫に。刊行を記念して、各著者による文庫未収録のコラムを5日間連続で公開します! 『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』 (速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲 著) 主要メンバーが抜けたんだからもう終わりだな、とファンが思っても、バンドというものはなかなか解散しない。往生際が悪い。メンバー交代を繰り返し、臨終のときを必死に先送りする。プログレッシブロックやハードロックはその典型であり、ジャンル内で個々のプレイヤーが複数のバンドを行き来するのが当たり前。流浪のドラマー、コージー・パウエルなど死ぬまでにいくつのバンドに所属したのか、数えるのも面倒くさい。プログレ村、ハードロック村という互助的な共同体全体が解散しな
騎手として、また調教師としても活躍し、“ミスター競馬”と呼ばれた野平祐二は、温厚な性格で多くの人々から親しまれた。昭和三年(一九二八年)、千葉県船橋市生まれ。父省三も騎手であり、調教師だった。 「栴檀は双葉より芳し」の格言どおりに幼少の頃から馬に慣れ親しみ、尋常小学校卒業後、中学を辞め、競馬騎手をめざした。昭和十七年、尾形藤吉厩舎に入る。昭和十九年、初勝利を飾る。戦争の激化にともない宇都宮に疎開、馬の世話をするが、激務と栄養不良から、心身に変調をきたす。戦後の昭和二十一年、公認競馬が再開したのにあわせ、騎手に復帰する。 名騎手と呼ばれた保田隆芳とともに、モンキースタイルを普及させた。 「昭和二十三年のある日、ニュース映画を見て外人騎手が、極端に短いアブミを使い馬の首にかじりつくようにして走っているのを見て感動し、日本人騎手の今までの乗り方を捨てて、“モンキースタイル”に転向。永いスランプを
「男はつらいよ」で主役車寅次郎を演じた渥美清は、昭和三年(一九二八年)、東京の下谷に生まれる。本名は田所康雄。父は新聞記者だった。生来病弱で、学校も欠席がちだったようだ。昭和二十年三月十日の空襲で自宅が焼け、生活のためテキヤの手伝いをしたとされる。戦後、旅回りの一座に同行、喜劇俳優の道に入る。 昭和二十七年、浅草のストリップ劇場の専属コメディアンになり、のちにフランス座に移る。ここには、長門勇、東八郎、関敬六らがいた。コント作家として井上ひさしもいた。しかし、翌年肺結核を患い、右肺を切除、二年間療養生活を送る。 昭和三十四年、谷幹一、関敬六とともにスリーポケッツを結成するが、すぐに辞める。昭和三十九年、野村芳太郎監督「拝啓天皇陛下様」で俳優として評価された。 その渥美清がなりたかったのは、郵便屋さん。 「僕のオヤジは若かりし頃、地方の新聞記者をやっていたことがあり、ささやかな気位もわざわい
初代のドラマ『鬼平犯科帳』から現場に立ち続け、吉右衛門版でも二十八年間を務め上げた宇仁貫三氏にインタビュー。 宇仁貫三(うにかんぞう)は、中村吉右衛門版『鬼平犯科帳』のシリーズ開始当初から二十八年間、殺陣師(たてし)として作品に携わり続けてきた。 「『鬼平』と関わっている時間が物凄く長かっただけに、今回で最後という話を最初に聞いた時は二日ぐらい寝付けなかったです。 最後の撮影に臨むということに興奮しているのもありましたし、『これで終わりなんだ……』という寂しさもありました。そういう、いろいろ複雑な感情が入り混じりまして、しばらくの間はどうすればいいのか分からなくなっていました。それまで、『鬼平』が終わるということは全く考えていませんでした。行けるところまでやるんだろうという感覚でしたから」 最終作となる「雲竜剣」は、吉右衛門の娘婿でもある尾上菊之助が演じる虎太郎、田中泯が演じる伯道、そして
『神経症の時代 わが内なる森田正馬』 (渡辺利夫 著) 職業柄、腰痛持ちである。もう十数年前になるが、ほかの人はどうしているのかという軽い好奇心で『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』という本を読んだ。著者は『Wの悲劇』などのヒット作で知られる作家の夏樹静子で、のたうち回るような地獄の苦しみと、そこから抜け出して劇的に回復するまでの道のりを描いた闘病記だった。 椅子に座り続けて仕事をする者として、夏樹の経験は決して他人事ではなかった。夏樹と同様、私も整形外科や鍼灸や指圧に通い、プールで筋肉を鍛え、なんとしても治してやろうと必死になればなるほど痛みが増すという悪循環に陥っていた。それでもまだ、自分のほうがずいぶんましだと慰められるような想いで読み進め、中盤、夏樹に医師の診断が下ったところで絶句した。夏樹が苦しんでいた腰痛に器質的な問題はなく、心身症と呼ばれる心因性のもの、すなわちメンタルが原因だっ
リオ五輪が終わり、二〇二〇年の東京五輪が近づいてきました。一九年にはラグビーW杯が大分市や釜石市など、日本各地で開催されます。“外国人が魅力的と感じる日本”といったテーマのテレビ番組も増えてきました。外国人観光客にとって、日本が誇る“温泉”はどのようにうつっているのでしょうか。 やはり、文化風習、宗教も異なる外国人にとって、他人と裸で入浴することは抵抗があるようです。それでもひとたび湯船に入り寛げば、温泉ファンになる外国人をたくさん見てきました。 長野県野沢温泉の共同浴場「大湯」で四十五度以上もの高温の湯に身体を沈め、白い肌を真っ赤にし、「う~」と吐息を漏らしながら入浴していた若い女性は豪州からの観光客。「熱い湯に日本人のソウルを感じる」と語っていました。 また、日本ミシュランタイヤでアジア地域を統括するフランス人デルマスさんは、温泉好きが高じて神奈川県の湯河原温泉に温泉付きの別荘を購入し
『そばと私』 (季刊「新そば」 編) 二十センチ四方の「季刊新そば」が創刊したのは一九六〇(昭和35)年。関西で俳句の同人誌に携わっていた中野沙代子さんがそばに魅せられ、大阪で「蕎麦新社」を興して出版した。 中野さんは新幹線も高速道路もない昭和三十年代の日本を行脚し、そばの味と主人や女将の人柄も確かめて季刊誌の賛同店を募った。「かんだやぶそば」三代目故堀田康一さんの支援もあり、結成したのが「全国新そば会」。いまでは北海道から沖縄まで百軒近くの老舗、名店が集う会となった。 私が二代目編集長に就いたのは七七年、四十号からである。四十号の準備中に中野さんが急逝し四年間休刊。当時名古屋でグルメ誌を手がけていた私に、新そば会名古屋会員である「し奈乃庵」、「えびすや本店」の当主から声が掛かったのだ。 創刊当初から中野さんとともに、新そば誌の発行と新そば会の発展に尽力してきた大阪「しのぶ庵」大橋鍈二さん
5月27日、アメリカの現職最高指導者のバラク・オバマ大統領が、被爆地・ヒロシマを訪問した。もちろん前例のないことで、まさに歴史上の画期的なエポックであった。 ただ、オバマ大統領のあの文明論的なスピーチと、米兵被爆死者の調査を続けてきた森重昭さんとの抱擁シーンは誰もが覚えているが、どんなプロセスで、あの歴史的訪問が実現したのか、となると、誰も知らないのではないか。日米政府ともその経緯は明らかにしていないし、今後もしないだろう。 本書は、この歴史的訪問の実現を水面下で動かした現地メディア社長が、日本政府、ホワイトハウス内部、広島市、広島県に食い込んでウォッチした、秘話満載のインサイドドキュメントである。 『オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録』 (三山秀昭 著)――タイトルにもなった「オバマへの手紙」は、三山さんの企画だそうですね。これは、どんな経緯で始まったものなのですか? 「オバマへの手紙」と
7月13日発売の『ねないこはわたし』(せなけいこ)刊行を記念して、銀座教文館ナルニア国で原画展を開催します。ぜひ、足をお運びください。 累計200万部以上の永遠の名作絵本『ねないこ だれだ』や、『めがねうさぎ』『いやだ いやだ』などの著者である、日本を代表する絵本作家せなけいこさん(84)の初自伝、『ねないこはわたし』が7月13日(水)に発売されることを記念して、原画展を行います。 先生のご自宅の書庫にある膨大な資料から、『ねないこはわたし』の取材の過程で発見された貼り絵の素材や製作過程がわかる資料、先生自身も数十年ぶりの再会となる『ねないこだれだ』の原画など、貴重な資料が満載です。 イベント詳細 日時
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