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ブックマーク / kotobahyogen.seesaa.net (9)

  • 森鴎外の朗読批評論「朗読法についての争い」: Blogことば・言葉・コトバ

    先日、知人からもらったコピーを発見した。森鴎外の朗読批評論である。文語体で読みにくいので現代語に訳してみた。ここに紹介をする。副題も小見出しも、わたしがつけたものである。内容については「論文の紹介」を参照のこと。 ◎朗読法についての争い ――朗読という概念のいろいろ 森鴎外(渡辺知明訳) ※論文の紹介 明治二十四年(1891)三月二十五日発行の雑誌『棚草紙』第十八号に「朗読法につきての争ひ」と題して、「森林太郎」の署名で掲載されて、のち『月草』に収められた。朗読に関する重要な発言を取り出して、渡辺が読みやすく書き直した。小見出しも渡辺がつけた。原文は『鴎外全集』第二十二巻(1973第一刷、1988第二刷。岩波書店)に収録されている。 ●二人の論争者 関根、饗庭の二氏が、東京専門学校で和文朗読法の科目を設けようというと、とたんに読売新聞の紙上で一場の筆戦が始まった。科目を設けることを可とする

  • 音楽と朗読との共存はできない!: Blogことば・言葉・コトバ

    わたしは以前から「朗読」には音楽をつけないほうがいいという考えである。音楽の側がよほどの配慮をしないと、朗読がわれてしまうだろうと思っていた。最近、S.K.ランガー『芸術とは何か』(岩波新書E50)で、「同化の原理」というものを読んだ。ひとつの芸術ジャンルが他の芸術ジャンルを同化してしまうので、二つの芸術の同居はあり得ないというものである。 これは次のように結論づけられている。102ページ 「すべての作品は、ただ一種類の芸術のなかにその質的な存在を保っている。さまざまな芸術によって組み立てられた作品は、ただ結合されたのではなく、そのうちの一つを除いて、他はすべてもとの姿ではなくなる。」 具体的にはいろいろな例があるが、朗読と音楽との関係では、詩と音楽との関係が近いだろう。101ページ 「すぐれた詩を巧みに作曲した場合を考えてみよう。その結果はすぐれた歌曲である。」 「詩的創作は、歌のな

  • 芥川賞作家の接続語の芸: Blogことば・言葉・コトバ

    今回の芥川賞作家・川上未映子さんのエッセイが、東京新聞3月6日に載っていました。一目見て、わたしは文章の芸というものを感じました。 まずはお読みください。以下のセンテンスはわずか三つです。それをどのようにつないでいるか意識しながらお読みください。 「小説や文章の原稿依頼は前作が候補になったあたりからそんなに変わらずに、直線が先の方まで伸びてゆく、といった感じでしたが、さすがにこのたび芥川賞を受賞して、取材のご依頼などなどが集中して、この1ヶ月は多い日で一日で五件とかをほとんど毎日繰り返し、そして短編、コメント、朝起きてエッセイやそれにまつわるゲラの見直しなどをして、こういうのを多分「忙しい」というのだと思うのだけれど、実感としては、何かとてつもなく巨大なものが巨大な足を一歩踏み出して、ぶんと時間をひとまたぎ、それを下から見上げてた、というような感じであって、誰が何をしていたのかが、はっきり

  • 朗読批評講座(10)高低アクセントのよみ: Blogことば・言葉・コトバ

    このシリーズのきっかけは、「蜘蛛の糸」をテキストにして朗読の実験的なパターンを16通り録音してみたことです。そして、わたしの「蜘蛛の糸」のよみをまとめとして示しました。(参考=『Web表現よみ入門』) 第10回は、高低アクセントによる読み調子です。日語のアクセントというと、高低アクセントというのが常識のように言われます。しかし、わたしの考えでは、日語のアクセントにも強弱があります。というよりも、むしろ、強弱アクセントの方が優勢だと思われます。いわば強弱が8割で高低が2割くらいの感じです。 アナウンサーでも実際には高低アクセントではなく強弱アクセントで読んでいる人の方が多いのです。男性アナウンサーはほとんど強弱アクセントです。男性アナウンサーの高低アクセントには、2、30年前の古い録音などで出会うことができます。近ごろでは、女性アナウンサーの高低アクセントも珍しいものになりつつあります。

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/02/26
    「日本語のアクセントにも強弱があります。というよりも、むしろ、強弱アクセントの方が優勢だと思われます」
  • AmiVoiceの使い方―細かい入力の方法: Blogことば・言葉・コトバ

    2008年1月6日の東京新聞によると、この1月から国会では速記の議事録作成にパソコン入力や音声認識を取り入れるということである。参議院では録音を聞きながら手で入力するようだが、衆議院では音声認識を使用するようだ。そうなると、一般の人たちにも音声認識というものが広く知られるようになるかもしれない。しかし、日文化状況からいうと、口述筆記というのはなかなか定着しないような気がする。というのも、日文化はことばで語るよりも文章で記録するという文化だからである。 さて、今回わたしが書きたいのは、AmiVoiceの細かい入力方法のことである。わたしは基的にはダイレクト入力を使っている。入力したいソフトの上で直接に文字化していくモードである。入力の仕方はできるだけ文の単位で行うのがよい。というのは、学習機能が働いて語句と語句との関係まで認識するからである。 しかし、音声認識ソフトの弱点として単独

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/01/06
    「日本の文化はことばで語るよりも文章で記録するという文化」
  • 朗読の発声法と「密息」の原理: Blogことば・言葉・コトバ

    尺八の演奏家・中村明一さんが「密息」という呼吸法を唱えている。 その特徴は、次のようなものである。 「ごく簡単にいえば、腰を落し(骨盤を後ろに倒し)た姿勢をとり、腹は吸うときも吐くときもやや張り出したまま保ち、どこにも力を入れず、身体を動かすことなく行う、深い呼吸です。外側の筋肉でなく深層筋を用い、横隔膜だけを上下することによって行うこの呼吸法では、一度の呼気量・吸気量が非常に大きくなり、身体は安定性と静かさを保つことができ、精神面では集中力が高まり、同時に自由な開放感を感じます。」13ページ(中村明一『「密息」で身体が変わる』2006新潮社) 「密息」は呼吸法というよりも発声法としての意義が大きい。現在、わたしが表現よみのトレーニングで実行している発声法はまさに「密息」なのである。これはまた、野口三千三さんのいう「保息」にも通じるものである。 右の図は前著61ページに収録されている。この

  • さまざまな朗読パターンの実験「蜘蛛の糸」: Blogことば・言葉・コトバ

    (1)学校風朗読―教科書を読み上げるとき文節で区切って止めを力む (2)ヒロシ風朗読―悲しみの感情がよみの全体を占めている (3)講談風朗読―2音節目を強くあげると講談風になる (4)落語風朗読―講談よりもややくだけた「語り口」である (5)女性アニメ声優風―口先の発声で鼻にかけると子どものようになる (6)天に向う朗読―聴き手に聴かせるのでなく自己に陶酔する感じ (7)テレビ特派員風―遠方の地から放送をつうじて人々に呼びかける (8)落語風朗読―(4)よりもリラックスして録音したもの (9)外国人吹き替え風―テレビで外国人の語りを日語で吹き替える (10)高低アクセント朗読―高アクセントは女性の場合裏返りやすい (11)強弱アクセント朗読―男性アナウンサーの声の実質は強弱である (12)演劇風朗読―地の文もセリフも舞台上のナマの声でよむ (13)朗読的表現(演劇との比較用)―ナマの声を

  • 古典文学には強弱アクセントが必要だ: Blogことば・言葉・コトバ

    Twitter発言「朗読」批評(413) パンフレットシリーズ(8) 『読書の教科書』(6) 『声を鍛える』(7) 『朗読の教科書』(2) 『文章添削の教科書』(5) 表現よみの「記号づけ」(5) 音声表現(63) 音声認識ソフト(11) 録音技術(5) 文章表現(17) 朗読批評講座(10) 文章推敲力を育てる添削入門講座(23) 著作権延長と朗読(9) 読書(14) 旧記事一覧(1) 「はなしがい通信」(6) 批評と感想(7) 表現よみ(32) 銀河鉄道の夜(13) 2023年10月(2) 2023年08月(2) 2023年07月(1) 2022年10月(1) 2022年09月(2) 2022年08月(1) 2022年06月(1) 2020年09月(1) 2020年06月(1) 2020年05月(1) 2020年04月(1) 2020年02月(3) 2020年01月(1) 2019

  • 著作権延長と朗読: Blogことば・言葉・コトバ

    今回は、こがわ法律事務所webnotesの「朗読と著作権(3)」についてのわたしのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある) ●「朗読」の創造性 こがわ氏は結論的にこう述べている。 「朗読」が原著作物のの「複製」でないとすれば公衆送信は、原著作物それ自体の公衆送信にはあたらない。 「公衆送信」という用語の意味は、インターネットで複数の人たちに見せたり聞かせたりすることである。「朗読」の場合には、ネットで録音を聞かせることになる。 ここでも問題は文字メディアと音声メディアのちがいである。音楽の場合、「複製」も音声メディアであるし、映画の「複製」にもメディアの変化はない。ところが、「朗読」は、原著作物をメディア変換している。それは創造的な行為である。 福井健策『著作権とは何か』(2005集英社新書)はアメリカの著作権問題の事例

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