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ブックマーク / olj.cocolog-nifty.com (17)

  • デジタルで木版発見 - フロム京都

    私の経営する中西印刷は明治の非常に早い時期に京都の地に活版印刷を導入し、その後活版印刷の会社として百年以上の歴史がある。この件については、誌の印刷史関係の記事でも何度か紹介していただいている。 実はさらに活版以前に、木版の時代があったというのが口伝としてあった。しかし、その証拠となる木版時代のというのはこれまで発見されていなかった。木版・活版・平版・デジタルという4つの印刷形式を駆け抜けた会社という当社のキャッチフレーズには実のところ証拠がなかったのだ。 そのことを気にして、亡くなった伯父は京都中の古屋から明治初期の書籍をかたっぱしから取りよせて、中西製木版を探したが、結局、亡くなるまでに中西製木版を発見することはなかった。 ところが木版による出版物が発見できたのである。それも国立国会図書館デジタルコレクションでなのだ。 国立国会図書館デジタルコレクションは書籍の全ページの画像を

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  • 創業150年 - フロム京都

    わが社の創業は1865年でまだ江戸時代、幕末のことだった。今年が2015年だから創立150年を迎える。創業当時はまだ活版すらなく木板の書肆としてのスタートだった。それ以来、明治の10年頃に当時の最先端である活版印刷をご先祖が導入。活版印刷の会社として、以後100有余年間、京都で公官庁中心の地味な印刷会社として営業を続けてきた。150年続いたのは、公官庁中心にそれほど規模は大きくないが確実な得意先をつかんでいたことと、意外と思われるかもしれないが、技術的には進取の気性に富んでいたからだと思う。 出版学には明治20年の壁ということばがある。江戸時代から続いていた書肆は、明治20年頃を境にほぼ姿を消す。書肆という形態は、出版社と屋、印刷屋をあわせたような業態で、江戸時代以前は出版の機能分化は進んでいなかったのだ。これは西欧でもそうで、グーテンベルクからしばらくは書店と出版社、印刷会社は兼ねられ

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  • 「紙の」校正 - フロム京都

    新しい単行を印刷学会出版部から出します。現在、校正中なのだが、さて、今回はその校正の話である。 印刷学会出版部の中村さんから「『紙の』校正はいりますか」というメールが来た。つまり校正は紙を送らず、PDFによる電子校正だけでいいかという質問なのだ。少し前までは、校正というと紙で行うことが当たり前だった。校正刷りはゲラ刷りとも言う。「ゲラ」は活版用語でもあり、あまり最近では聞かなくなったが、わら半紙をコヨリで綴じたゲラ刷りを出版社や著者に届けるのが印刷会社営業の最大の仕事だった。ゲラをなくしたとか、初校と再校が入れ違ったというような校正にまつわる悲喜劇が印刷会社では日常茶飯に起こっていた。 これが急速に電子校正、特にPDFでの校正に変わって来ている。 PDFによる電子校正は便利である。まず第一、紙という物理媒体のやりとりがないから、郵送の必要も、営業の配達の要もない。印刷所で校正ができれば、

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  • オフセットの搬出 - フロム京都

    菊半裁判のオフセット二色印刷機が一台、工場から搬出された。中古として買い取るという業者はもうあらわれなかった。無理もない。30年近く前の機械で、水棒はモルトンだし、インクの調節はねじでまわすタイプだ。その上、この機械を作っていたメーカーはとうに印刷機事業から撤退してしまっている。 実際、もう半年動いていなかった。二色機なので表紙を刷ったりするのに便利だということで、しばらく残してあったのだが、工場スペースの有効利用のため廃棄を決めた。 私はこの機械には愛着があった。私が入社して初めて導入した機械なのだ。当時は活版印刷機と入れ替わるように平版印刷機を導入していた時期にあたる。私自身も亡き父に命じられて、平版機械を使えるようになるため、メーカーの工場まで研修に行ったりもした。その後は営業に出るようなったので、実際に仕事で動かすことはなかったが、忙しい時期にはモルトン洗いを手伝ったりしていた。

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  • 日曜研究者はネットで - フロム京都

    突然ですが、私、博士号を取得し、博士(創造都市)となりました。 対象となった論文は「学術出版の技術変遷論考-活版からDTPまで-」です。印刷学会出版部から同名の書籍として出版されておりますので、是非お買いあげください。と、まずは宣伝からはじまり申し訳ない。 「仕事をしながらの論文執筆は大変だったでしょう」とみなさんに感心していただくのだが、私はこのコラムを書いているぐらいで文章を書くのは苦にならないし、論文の素材については、自社の記録を元にしているので、それほど大変だったという感じはない。むしろ、父の時代の古い見積書を探し出したり、退職者にインタビューしたりと割と執筆過程そのものを楽しませていただいた。 大変だったのは文献による記述の裏付けだった。博士論文は論文なので、このコラムのように憶測とか、曖昧な記憶だけで書くわけにはいかない(失礼!)。たとえば「DTP以前にレイアウトが可能なパソコ

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  • PDFではなぜだめか - フロム京都

    和文オンラインジャーナルがついに現実のものになった。日のオンラインジャーナルの総山J-STAGEで、日語学術雑誌のフルテキストオンラインジャーナルが初掲載になったのだ。とにかく、ここを見て欲しい。 https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjgs/-char/ja と言っても、この電子書籍時代「何を今更」と言われるかもしれない。和文であっても、オンラインで提供される学術雑誌など巷にあふれているではないかと。しかし、よくよく見て欲しい。そうしたオンラインの和文学術雑誌の文はPDFでしか供給されていないはずだ。 英文のオンラインジャーナルは、すでに10数年前から、PDFではなく、ブラウザ画面上でHTMLで画面に表示されるフルテキストオンラインジャーナルになっている。英文誌はHTML、和文誌はPDF。この時代が日では長く続いてきた。実は、国際的にはPDF

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  •  本を処分する - フロム京都

    私はを買うのが好きだ。もちろん読むかどうかは別としての話だが、蔵書は膨れあがる一方ということになる。棚からあふれるたびに棚を買い増していったが、日の家屋事情ではすぐに限界となり、数年前から段ボール箱に詰めて、納戸に積みあげている。しかしこれでは所持している意味がないことにすぐ気づいた。段ボールにいれてしまうと、読みたいときにとりだせない。資料としては役にたたないのだ。しかも何をどこの箱にいれたかを忘れてしまう。棚に並べてあれば、を探す時、なにげなく他のの背表紙を眺めているわけで、どこにどのがあるかの記憶があらたにされる。つまりは棚こそは人間書誌データベースの源でもあるのだ。これがない以上、段ボールづめは意味がない。 古屋に来てもらうことにした。馴染みの古屋があるような愛書家ではないので、ネットから古買い取り屋をさがす。新刊のネット書店が隆盛であるように、古

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  • 「学術出版の技術変遷論考 活版からDTPまで」 - フロム京都

    新著です。 今回は活字からDTPまでの印刷会社の変遷を学術印刷の動向に絞って記述。 A5上製 450ページ という大作になってしまいました。ちょっと高いですが、是非お買い上げください。 印刷学会出版部刊 6800円+税 詳しくはこちら

    「学術出版の技術変遷論考 活版からDTPまで」 - フロム京都
  • 電子書籍と明朝体 - フロム京都

    電子書籍英語圏の急速な普及に比べて、日語の世界ではもうひとつ伸び悩んでいる。原因については出版社の抵抗とか、再販制度の功罪とかさまざまに取りざたされているが、印刷業界からはひとこと言っておきたい。やはり、画面における文字の問題だと。今の電子書籍画面では文字が悪い。 英語では画面の文字の悪さはそれほど目立たないが、それは当たり前で、ラテンアルファベットと漢字の複雑さの違いからもこれは明白だ。漢字の方が圧倒的に画数が多い。これは10画20画がざらにある漢字に比べてラテン文字大文字の画数を数えあげててみればすぐにわかる。CやI、それにOは一画だし、DやMにしても2画、もっとも画数の多いのはEで、それでも4画である。ということはアルファベットに比べて漢字一字の中に引かれている線がはるかに多いことになる。もちろん、漢字はやや大きい文字で印刷されることになるが、それでも漢字の線密度が濃いことにかわ

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  • IVSで漢字コード問題は終わるか - フロム京都

    (この問題、現在のシステムでは表現しきれないので、CIDをふっておきます。) 印刷会社にとって厄介な名字というのがいくつかある。いや誤解しないでいただきたい。個々の個人についての話ではない。あくまで字としての名字のことだ。いくつかあるが、一番よくお目にかかって、処理に難渋するのが、渡辺さんである。 渡辺は名字の中でも5指にはいる多い名字なのに渡辺の「辺」にやたらに異体字が多いのである。渡邉(CID6930)さんと渡邊(CID6929)さんぐらいならまだしも、一点しんにゅうの渡邉(CID14241)でなきゃ気が済まない人もいる。となると当然渡邉(CID6929)さんも登場することになる。田辺さんも同じく厄介なのだが、なにせ渡辺さんは人数が多く、その分異体バリエーションも多岐にわたる。 印刷に使う文字は、常用漢字とか、JIS漢字に限定してくれれば楽なのだろうが、一般名詞はともかく人名は許しても

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  • モノタイプを知っていますか - フロム京都

    当社の応接間に天井からつきだした謎の配管がある。応接間に水道管はおかしいし、ガス管にしてはあまりに無防備だ。ずっと不思議には思っていたが、ITの進化を追うのに忙しく、深く詮索しもしなかった。ところが、退職した社員と応接室で昔話をしていてふとその話になった。 「そういえばあの配管なんのためにあるのか知ってます?あれはね、モノタイプのキーボードに圧搾空気を送る管なんですよ」 今の、応接間はその昔、モノタイプのキーボード部屋だったのだ。 モノタイプと言っても、既に印刷人でもその姿かたちどころか名前を知っている人すら多くないと思う。モノタイプは自動活字鋳植機のひとつである。キーボードから入力した文字が、モノタイプキャスターから自動的に鋳造され活字として並んででてくる。いわば、出力が活字のワープロといっていい。今から30年前には印刷近代化の花形でもあった。活字と言えば活字の棚から手で拾うのが普通だっ

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  • 電子出版EXPOに見る印刷屋の未来 - フロム京都

    夏の楽しみ、電子出版EXPOに今年も行ってきた。電子出版に関する展示会は、印刷関係の展示会が寂れる一方なのとは対照的に、年々隆盛になっている。今年は節電のお達しのためか、空調もあまり効かず、動く歩道も動かないという状況下、平日というのに大変な人出だった。まさしく熱気渦巻くという奴だ。 今年は去年あれほど目立っていた電子書籍専用端末の姿が目立たない。目立たないというより、もう電子書籍専用端末それ自身は電子出版の主要に関心事ではなくなっているということだ。特にiPadのようなタブレットタイプの電子書籍は、結局の所、キーボードを取り去ったノートパソコンにすぎないわけで、これはもう電子書籍展示会よりパソコン展示会でお披露目する性格の物になっている。そして電子ペーパーを使ったモノクロ電子書籍端末は進化がない。去年、初めて実物を見て進化に期待したカラー電子ペーパーも液晶画面のタブレットタイプ電子書籍

    電子出版EXPOに見る印刷屋の未来 - フロム京都
  • 本の解剖学 - フロム京都

    の解剖学」というワークショップを図書館の依頼で立て続けに行った。参加者に(特に古い上製)をカッターで解体してもらうというただそれだけの試みなのだが、参加者は単にをカッターで切り刻むのではない。見返しをはがし、表紙を取り去り、寒冷紗を抜き、かがりの糸を切って折丁をばらぱらにするという製と逆の工程を体験してもらい、逆の面から製と印刷を理解してもらおうというものだ。図書館で告知したイベントということもあるが、がなにより好きという人が多く、参加者全員熱心に取り組んでいただいた。 もっとも、実際の解剖作業はすんなりとはいかない。参加者一同カッター片手に苦闘されていた。みなさんもやっていただくとわかると思うが、「の解剖」は簡単なことではない。簡単に壊れないからこその製であって、そもそもがちょっとカッターで切ったぐらいで分解するようであってはの役割を果たさない。表紙を剥がすという

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  • 「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」ついに発売。反響は? - フロム京都

    「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」ついに発売いたしました。今日はほぼ一日、パシフィコ横浜のPRIMEDEX会場にて、売り子さんをやっていました。著者みずから、「著者がサインします」と声をはりあげて売ってきました。コモリ印刷機械の小森社長はじめ、多くの方々にお買い上げいただき、印刷学会出版部ブースどころか、会場にあった、出版社ブースの中でも圧倒的な売り上量げだったと思いますよ。 下の写真は売り子やっている私。もうひとりは、印刷学会出版部の古性(ふるしょう)君です。 で、そろそろ読後反響もでているわけですが。 まずは、「抵抗勢力たらん」というこの挑戦的な題名について。まず、一番最初に言われたのが、「抵抗勢力」もなにも、紙のはポッとでてきた電子書籍にそもそも負けるわけがないので、わざわざ「抵抗勢力」というようにまともに相手にしていること自体がおかしいんではないかという意見です。古典的な印刷

    「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」ついに発売。反響は? - フロム京都
  • 富士通のカラー電子ペーパーに期待 - フロム京都

    7月8日からの国際ブックフェアは、iPad博覧会とおもわせるほどのiPadを利用したアプリであふれていた。Kindleからはじまった電子書籍の波は日の業界人にもついに電子書籍が使いものになるという印象をあたえたのだと思う。 さまざまな端末が展示されていたが、たいていはKindleか、iPadの亜流。中国製品ではあからさまなKindleの偽物といいたいものまであった。 そのなかで、目についてのはこれだ。 参考出品の富士通の端末。カラー電子ぺーパー端末である。カラー電子ペーパー端末は富士通から、FLEPIAという商品名で昨年から発売されている。ただし、お世辞にも売れているとは聞かない。価格が9万円と高い上に、カラーの発色がよくなく、iPadのあのあざやかな発色と見比べたらいかにも見劣りがする。しかし、カラー液晶ではなくカラー電子ペーパーの実用商品をいちはやく発売した意気は買っていた。 今回の

    富士通のカラー電子ペーパーに期待 - フロム京都
  • 電子式年遷宮のすすめ - フロム京都

    電子書籍の話題がかまびすしい。しかし、ひとつ忘れてやしませんか。保存の問題だ。図書館においておけば、未来に伝えられる。国立国会図書館には、明治以来めんめんと文書が保存され、また未来にひきつがけている。はて電子書籍はどうだ。 の「日における電子書籍の流通・利用・保存に関する調査研究」の委員を仰せつかっておりました。先日その 調べていくと、電子書籍の保存は紙以上に難物だということがわかった。まず、媒体CD-ROMとかDVD-ROMをもつパッケージ系電子書籍では物理媒体が長年の保存に耐え得ないという問題がある。プラスチック盤が20-30年で劣化して読めなくなるというのだ。それ以前にこのドッグイヤーの電子業界のこと、劣化限界の30年もたつ以前にハードもソフトもまったく違ったものになってしまって、物はあっても読めなくなってしまう。実際、国立国会図書館で2003 年度に実施されたパッケージ系電子

    電子式年遷宮のすすめ - フロム京都
  • 電子書籍時代、出版社は必要なのか? - フロム京都

    鎌田氏との対論 京都人へのご評価ありがとうございます。おっしやるとおり、京都人は、数の力で圧倒したり、論理でねじふせたりすることは好みません。京都は平安貴族の昔から、すべてを受け入れていく「たおやめ」の文化です。ところが、今の文化は良きにつけ悪しきにつけ武士道的な「ますらお」文化です。猛々しく、勇ましく、そして己が信念を貫くことを清しとする文化です。電子書籍でも勝つか負けるか、勝てば電子書籍の利益がすべてが手に入り、負ければ失業するのみ、という「ますらお」の原理で語られています。 平治物語絵詞をみてください。堂々と行進する武士、それを怖々遠巻きに眺める公家衆。これが、今から1000年前、武士が台頭して平安公家の「たおやめ」文化が「ますらお」文化にとってかわられた瞬間でした。 なぜ、日では欧米のように出版社がDTPをおこなったり、コンテンツの製作をおこなってこなかったのか。アメリカの電子書

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