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ブックマーク / www.gakushuin.ac.jp/~881791 (10)

  • Math book

    メインページ / 更新履歴 数学:物理を学び楽しむために 更新日 2024 年 3 月 18 日 (半永久的に)執筆中の数学の教科書の草稿を公開しています。どうぞご活用ください。著作権等についてはこのページの一番下をご覧ください。 これは、主として物理学(とそれに関連する分野)を学ぶ方を対象にした、大学レベルの数学の入門的な教科書である。 高校数学の知識を前提にして、大学生が学ぶべき数学をじっくりと解説する。 最終的には、大学で物理を学ぶために必須の基的な数学すべてを一冊で完全にカバーする教科書をつくることを夢見ているが、その目標が果たして達成されるのかはわからない。 今は、書き上げた範囲をこうやって公開している。 詳しい内容については目次をご覧いただきたいが、現段階では ■ 論理、集合、そして関数や収束についての基(2 章) ■ 一変数関数の微分とその応用(3 章) ■ 一変数関数の

  • 何がすごいのか? / Hal Tasaki's logW 1207

    日々の雑感的なもの ― 田崎晴明 一覧へ 最新の雑感へ タイトル付きのリスト リンクのはり方 前の月へ / 次の月へ 茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。 2012/7/8(日) 先週は週末も休みがなく、今週もずっと仕事があり、土曜日もセミナーと飲み会。 今日は元気なら遠くに出かけるつもりだったのだが、けっきょく、朝おきてみるともろに疲れが残っていて思うように活動的できない。 まあ、当然のことだからあきらめるしかない。水曜日からドイツなので、あまりばててしまうのも困りものだし。 ぼくは、昔から「Higgs 粒子はみつからないほうが面白い派」だった(たとえば、2004 年 9 月 2 日の日記)のだけれど、けっきょく、LHC で「質量約 125 GeV の新しいボソン」が発見されたとのことで、まあ、これは Higgs 粒子(ないし

  • Hal Tasaki's logW 1104

    日々の雑感的なもの ― 田崎晴明 一覧へ 最新の雑感へ タイトル付きのリスト リンクのはり方 前の月へ / 次の月へ 茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。 2011/4/1(金) 4 月1日は、十数年前に百八歳で世を去ったぼくの曾祖母の誕生日である。 ぼくの娘とちょうど百歳ちがいだったので、最晩年には八歳を筆頭に四人の玄孫(やしゃご)がいた(五世代が同時に生きていた)。 この日には、毎年、彼女にまつわるエピソードを書いてきた。 これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 と六回書いていて、2009 は祖父が亡くなったので番外編。 だんだんネタがなくなってきたのだが、ともかく去年もちょっと書いた。 その際の結びは「もっとすごいエピソードを思い出すのを来年の 4 月 1 日までの宿題としておきま

  • 「放射線の強さ」は距離の二乗に反比例する?(放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説)

    目次へ 公開: 2012年3月26日 / 最終更新日:2012年3月27日 更新情報を Twitter で伝えます 放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 「『放射線の強さ』は距離の二乗に反比例する」という法則がある。色々な解説で紹介されているので見たことがある人も多いだろう。 しかし、多くの場合に説明が不十分なためか、この法則についての誤解も広まっているようだ。 ここでは、この法則がどういう状況で使えるのか、この法則にどういう意味があるのかをきちんと説明しよう。 そして、この法則と内部被ばくの危険性を結びつける議論が間違っていること(解説「内部被ばくのリスク評価について」を参照)、また、今の日の状況ではこの法則が実用になることはほとんどないことを解説する。 また、せっかくだからこの法則がどうやって出てくるかも少し詳しく説明しておこう。 法則の意味 ま

  • 放射線と被ばくの問題を考えるための副読本

    日々の雑感的なもの ― 田崎晴明 一覧へ 最新の雑感へ タイトル付きのリスト リンクのはり方 前の月へ / 次の月へ 茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。 2012/3/18(日) ひええ。もう 3 月だ。 と思っていたら、もう 18 日だ。早い。 今日もちょっとしたイベントがあって出かけてたのだけれど、その話はいずれ気が向いたら。 ぼくにとっての 3 月の最初の山は、10 日の柏での講演会だった。 少し前の日記(2/27)にも書いたけれど、依頼が来たあと、随分と躊躇し、一度は断り、それでも、ぼくに話せる基礎のことでいいからしっかりと話してほしいという主催者の方の誠実さと熱意に押されて引き受けた講演だ。 やるからには全力を尽くそうと思い、一週間以上前からスライドを作って人に見てもらって改良を加え、直前には何度も声に出して練習した

  • 放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

    関連するページ: やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 (web ページ) 放射線の基礎をまとめた(初めての人には、こちらがおすすめです) まだやっかいな放射線:2 年半が経って汚染と被曝はどうなっているか(web ページ) タイトル通り、2013年10月の状況をまとめました ここでは、放射線や原子力発電所について、多くの人が知りたいだろうと(ぼくが)思うこと(の一部)について、わかりやすく、要点だけを短く(←というつもりで書き出したんだけど、けっこう長くなってしまった)、でも、ごまかしのないように説明しようと思う。 文は中学生以上なら時間さえかければ読めるはずだ。 また、もっと知りたい人のために詳しい(そして、少しむずかしい)解説もいくつか書いたし、 一部の内容については色々なところで使ってもらえるようプレゼンテーション用のスライド(目次)も用意した。 これまで、長

  • 普遍性と科学

    普遍性と科学 (1/25/1999) 「熱力学入門」の序章に書いたものに少し手を入れて、公表します。 Kuhn のいう「パラダイム」と「普遍的な構造」との関係を私がどう感じるか、 それによって、「パラダイム」も階層構造を持つと考えた方が 気持ちがよくなること、などもいずれは追加したいですが、どうなることか。 物理学には様々な「基礎理論」がある。 物体の運動を記述する基礎理論は、かつては Newton 力学だったという。 しかし、人類が原子の世界での現象を知るようになると、新たに量子力学が生まれ、 Newton 力学は基礎理論としての座を量子力学に譲ったという。 Newton 力学は、ある程度のマクロのスケールだけで成立する近似的な理論に成り下がってしまったのだろうか? 基礎理論であるべき量子力学にも、限界はあるだろう。 ならば、これもまた近似理論として扱うべきなのだろうか? そもそも、基礎

  • Hal Tasaki's Zakkan 0010

    日々の雑感的なもの ― 田崎晴明 一覧へ 最新の雑感へ タイトル付きのリスト リンクのはり方 前の月へ / 次の月へ 10/3/2000(火) あっという間に10月。 昨日は、なにも考えずに、前の日と同じように半袖の T シャツ、ジーパン、裸足にサンダルという出で立ちで外に出たら、やたら寒かった。 お陰様で、幸い会議や雑用も(少なくとも記憶している範囲では)なく、 ものを考えたり、 論文を読んだり、何人かの人たちと(e-mail で、お一人とは生身で)長々と議論したり、 物理学者らしく生活している。 もうお昼時なので(人間らしく)お腹が減った。 さて、かなり前になるけれど、 「机の裏においた紙に文字を書くと自然に裏文字になる」という中学の頃の再発見について書いたけれど、 これについて、 「目の位置からモニターしたつもりになっている」 というぼくの説明は、必ずしも成立しない、 話はそう単純で

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/12/27
    「シンコペーション翻訳」
  • 「水からの伝言」を信じないでください

    全ページと項目のリストと更新履歴 左の美しい雪の結晶の写真は、「水からの伝言」とは関係ありません。 空から降ってきた当の雪の結晶の顕微鏡写真です。 雪の結晶を研究している物理学者 リブレクト教授のホームページから許可を得てお借りしました。 クリックすれば、拡大します。 リブレクト教授の、雪の結晶のフォトギャラリーはすばらしいですから、ぜひ、ご覧ください。 また、美しい写真をたくさんのせた彼の「スノーフレーク」も出版されています(雪の結晶の研究については、「科学者は、水のつくる結晶を見て美しいと思わないのですか?」についての詳しい説明のページをご覧ください)。 「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というのが「水からの伝言」というお話です。 テレビで芸能人が取りあげたこともあるし、小学校

  • 科学と「ニセ科学」をめぐる風景

    この文書の pdf 版 科学と「ニセ科学」をめぐる風景 田崎晴明 物理教育学会誌54巻3号(2006年9月)の「企画」欄への寄稿 「科学的な機構の位置づけ」の部分に誤解を避けるための加筆(2007年8月) さる2006年3月に愛媛大学・松山大学で開催された第六十一回物理学会年次大会において、「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」というテーマのシンポジウムが開かれた[1]。 不穏な天候にもかかわらず、ジャーナリストや人文系研究者などの非会員を含む三百数十人が参加し、定員が三百人弱という会場を埋め尽くす大盛況だった。 また、シンポジウムの最後の討論では、幅広い参加者たちが活発に発言し、予定時刻を大幅に延長して熱い議論が続いた。 物理と社会にかかわる問題について大学院生を含む一般の会員が真摯に議論しあえる機会がもてたことは、きわめて有意義だった。 以下では、このシンポジウムの基調になる考えを説

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/08/10
    科学と「ニセ科学」をめぐる風景
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