震災から15年後に初代熊谷市長の新井良作さんが建てた朝鮮人の供養塔の前に立つ山岸さん。碑文には「この尊き犠牲が同胞国民の自覚反省を促し…」などと記されている=熊谷市大原 今年は日韓併合100年。朝鮮半島の植民地支配に伴う悲劇は県内でも起こった。関東大震災後、流言に惑わされた民衆が朝鮮人の避難民を虐殺した事件だ。県内で犠牲者が多かったのは県北部だが、このうち熊谷の惨劇の地を同市在住で、関東大震災の朝鮮人虐殺に関する著作もある国際刑法学者の山岸秀(しげる)さん(65)と歩いた。 ▼徒歩で県外に移送 1923(大正12)年9月1日、大きな被害をもたらした関東大震災。都内では「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言が広がった。震災と迫害から逃れてきた朝鮮人を、県警察部は保護の名目で県外へと移送を始めた。川口、蕨から徒歩で中山道を北上。9月4日、熊谷に差し掛かった時は200人ほどの人数だったという