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Critiqueに関するgentoのブックマーク (61)

  • 傑作かどうかを周りの評価で判断する愚かしさ - orangestarの雑記

    とりあえず言っておかないといけないと思ったので p-shirokuma.hatenadiary.com 『鉄血のオルフェンズ』を、私は傑作と評することはできません。ただ、ここでいう「傑作」とは、セールス良好で、みんなの話題と記憶に残るような作品になる、という意味です。この視点で言うと、『Vガンダム』『ガンダムF91』といった、一部の愛好家に熱烈に愛される作品は「傑作」に含まれません。もちろん『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』も「傑作」に含まれず、どちらかというと『けものフレンズ』や『魔法少女まどかマギカTV版』あたりのほうが「傑作」という認識です。 って書かれているんですけれども、これって、とても、良くない価値観だと思うんですよ。 じゃあ、最初に世の中に公開されたときは、全然売れず一部の好事家のみ知っていたが、100年後に日中の全員が知っているになったとして、(たとえば宮沢賢治とか)

    傑作かどうかを周りの評価で判断する愚かしさ - orangestarの雑記
  • ユール「ハーフリアル」邦訳書の発売に寄せて | 実録:食卓遊戯密着大本営発表廿四時

    イェスパー・ユール「ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム」が、ニューゲームズオーダー社から9月末に発売されます(PDF版は先行で発売済)。わたくしはこの翻訳の企画者として諸々の作業に関わっておりまして、なんでこのの翻訳を企画したのか、ということについて少し書かせていただきたいと思います。 以前「捏造ドイツボードゲーム現代史」というプレゼンを行った時にも触れたのですが、そもそもわたくしには個人的に、ゲームについて喋りたいという願望があります。現にゲームというものは存在していて、更に言えば面白いゲームと詰まらないゲームが存在していて、面白いゲームには面白いゲームにおける、詰まらないゲームには詰まらないゲームにおける、なにがしかの傾向もある。そうであるのにもかかわらず、喋るための十分な言葉は用意されていません。日語www界隈には「小学生並の感想」というスラングがありますが、ゲームにつ

    ユール「ハーフリアル」邦訳書の発売に寄せて | 実録:食卓遊戯密着大本営発表廿四時
    gento
    gento 2016/09/20
    > 誰も! 翻訳を出さないから! 英語で読むしか無い! いや読むけど、読むけど! 俺が欲しいのは「俺が手頃に使用できそうな成果」なんであって!
  • イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』書評 - 9bit

    イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する: 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン』(Bスプラウト訳、ボーンデジタル、2015)の見をご恵投いただいたので、レビューします。 原著は、Jesper Juul, The Art of Failure: An Essay on the Pain of Playing Video Games(MIT Press, 2013)で、MIT Pressの「Playful Thinking」シリーズの一冊。このシリーズは、ゲームや遊びに関するユニークな議論をコンパクトなサイズで出すというコンセプトらしい。内容と文体からして、研究書と一般書の中間くらいの雰囲気がある。個人的にもこのシリーズには注目している。 ユールの著作の邦訳が出版されるのは初めてだ。人文系ゲーム研究の格的な研究書の邦訳も初めてと言えるかもしれない。ゲームデザインの

    イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』書評 - 9bit
  • なぜ日本のソシャゲは国内で儲かり海外で流行らないのか - しっきーのブログ

    ゲームとは何か?」という問いかけが途方もないほど、「ゲーム」という言葉はあまりに様々に使われているが、今回は思い切って不遜な疑問を投げかけてみたい。 日で「ゲーム」とされている作品の多くは当にゲームなのか? それはむしろ、ゲームの形式を借りた何かなのではないか? というよりも、日ゲームが世界的に流行したある時点で、「ゲーム」と呼ばれるものの定義が大きく変わったのではないだろうか? 日のコンピューターゲームは、伝統的に「ゲーム」と呼ばれてきた双六や囲碁やチェスやボードゲームの系譜に位置づけられるものではなく、別の発想から来たものではないのか。 あらかじめ自分の主張を述べておくと、僕はこの記事で、日で「ゲーム」と呼ばれているのは伝統的なゲームとは違った種類のものだということを示そうとしている。 僕達が遊んでいる日の「コンピューターゲーム」は、視聴作品の延長にある、欲望を満たすた

    なぜ日本のソシャゲは国内で儲かり海外で流行らないのか - しっきーのブログ
    gento
    gento 2015/11/25
    熱い良記事。 【読んでて気になったメモ】 * 「海外市場の法的制限がどうなってるのか?」 性表現の記号化だけでなく、冒頭で焦点の当たった「ガチャ」「射幸心」の扱いなど。
  • modern fart | うたのしくみ Season2 第8回 WM、もしくは『マッドマックス怒りのデスロード』

    こんにちは。 ずいぶんご無沙汰してました。 ご無沙汰している間に何をしていたかというと、今をときめく「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を見てきたのです。見てすぐに見たくなって、翌日も観に行きました。いやあ、マッドマックス怒り、すばらしい。映像も音もすばらしい。しかし、何といっても、ことばがすばらしい。とにかく台詞のあちこちが立っている。まるで2時間にわたる音楽付きのリリックをきいているみたいだ。なんて日だ。なんてラブリーな日だ。 そんなわけで、今回取り上げるのは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」という「うた」です。 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、いきなり名乗りから始まります。「名前はマックス。世界は火と血。」ここで、「マックス」という名前は「マッド・マックス」という威勢のよいタイトルからは切り離されて、まるでタロウやヒロシのような、ごくありふれた名前として響いています。

    modern fart | うたのしくみ Season2 第8回 WM、もしくは『マッドマックス怒りのデスロード』
  • 『水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」』

    先週東京で「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を観て未だ興奮冷めやらずV2、V3…と何度でも劇場で観たくなるのですが、残念ながらこの秋田県では上映館が次々と減り、現在秋田市のルミエール秋田でしか上映されていません(8月6日まで)。それにしても秋田なんてクソ田舎で6月公開の映画が8月まで延長されるとは余程人気なのでしょう。今頃秋田市では丸刈り&白塗りで口に銀スプレーを吹き英雄の館を目指して爆死する人が相次ぎ、ただでさえ高い自殺率がさらにうなぎ登りになっているに違いありません。 作を観た直後に私の脳内に浮かんだ感想は「車とガソリンが必需品の世界でジジイが女を生む機械としか見ておらず男は車バカで病気で短命なんてイモータン・ジョーの砦はまさに秋田県だな」でした。というかイモータン・ジョーは住民から税金を徴収せずにタダで水をあげていたので秋田県よりマシです。秋田県なんて住民税と公共料金が必要なん

    『水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」』
  • ゲーム研究における美学の役割 - 9bit

    というか私の役割について。 先日モリス・ワイツの古典的論文を訳してアップしたんですが、その結論部分でいかにも美学ってかんじの上から目線の文章があって、あらためて美学と自分のお仕事について反省しているところです。 M. Weitz「美学における理論の役割」|まつなが|note われわれ哲学者としては、芸術の定義とその背後にあるものの区別をいったん理解したなら、伝統的な芸術理論に寛大な態度で接するのが適切だろう。〔…〕理論の役割を理解することは、それを定義――論理的に言って失敗が運命づけられているもの――として理解することではない。 ここで「芸術理論」と呼ばれてるのは、「芸術とはxxなんである」という「定義」を主張する俺理論みたいなやつで、哲学的に洗練されてないような理論のこと。ようするに、ワイツは、「そういう俺理論が言ってることは定義としてはおかしいんだけど、それはそれでそれなりの役割と意義

    ゲーム研究における美学の役割 - 9bit
  • 忘れたという、その空白の隙間で−−門倉直人『ローズ・トゥ・ロード』試論 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

    稿は、2017年発売の岡和田晃『世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷 SF・現代文学・ゲーム論集』(アトリエサード/書苑新社)に収録されました。

    忘れたという、その空白の隙間で−−門倉直人『ローズ・トゥ・ロード』試論 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
  • マンガ研究者3人が島耕作を語り尽くす、今野輝常の魅力やBL視点も

    「文藝別冊 総特集 弘兼憲史:デビュー40周年記念号」に論考を寄せた3人のマンガ研究者が、文章を書くだけでは収まりきらなかった「島耕作」への思いを放つこのイベント。伊藤は登場キャラクターの今野輝常の魅力について、岩下は作中に登場する奇想天外な事件の数々について、そして金田は「もしも『島耕作』がBLゲームだったら」と、それぞれ独自の視点からシマコーを語り尽くす。 伊藤剛×岩下朋世×金田淳子「島耕作トークの夕べ」日時:2014年11月30日(日)15:00~17:00 会場:屋B&B チケット:1500円+1ドリンク 出演:伊藤剛、岩下朋世、金田淳子

    マンガ研究者3人が島耕作を語り尽くす、今野輝常の魅力やBL視点も
    gento
    gento 2014/11/16
    今野輝常、なにげに好きなキャラなので(笑)
  • 日本のゲーム産業の現状 - しっきーのブログ

    概要 ゲームについて語るが、その前に日のコンテンツ産業全体の話から。 ハリウッド型コンテンツの武器は大規模な宣伝とクオリティの高さ。日型コンテンツの武器はタブーの少なさと参加する敷居の低さが生み出す「多様性」。 大手のゲーム産業は「ハリウッド化」している。 ソーシャルゲームは日型コンテンツの正統な後継者なのか? 「ソーシャルゲーム的なもの」が「日のコンテンツ産業的なもの」でもあるなら、批判するんじゃなくて、それを良い方向に持っていくことを考えるべき。 久々のゲーム記事だぜ。でも、まずはゲームについて語る準備として、漫画、アニメ、ラノベなどの日のコンテンツ産業全般の話から始める必要がある。日はコンテンツ大国と言われていて、コンテンツ産業の規模もアメリカに次ぐ世界2位だ。日の作品は国際的に認知されてきていると言われる。ただ、それはアメリカのハリウッド型の広まり方とはまったく別なん

    日本のゲーム産業の現状 - しっきーのブログ
    gento
    gento 2014/10/23
    これは僕が本を書くのを渋った理由の一つでもあるんだけど、ブログをやっていてわかるのは、「批判」みたいなもののパフォーマンスがあまりにも低いことだ。ネットの世界では誰もが安易に批判できるし、そのぶんだけ
  • 面白いとは何か?楽しいとは何か? | ボードゲームラブ

    面白いとは何か? 楽しいとは何か? について個人的に考察したものをまとめたものです。また、長くなりましたので、最初に結論を書いておきます。 個人的結論 面白いとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解 面白さとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解量 楽しいとは、気分が高揚している状態 以下は、そのような結論に至った考察です。 ゲームをプレイしていて面白いと感じるときがしばしばあります。 その面白いとは何でしょうか? 私が面白いと感じるのは、多くの場合、ゲームシステムです。またボードゲームなどの場合、コンポーネント(コマの形や絵柄、表現方法など)を見たときも、面白いと感じることがあります。 面白い自体は感情ですが、個人的に面白いの質は、物の特性にあるのではないか?と考えています。 つまり、「○○が面白い」という表現を使った場合、○○の特性

    gento
    gento 2014/10/19
    "・面白いとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解 ・面白さとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解量 ・楽しいとは気分が高揚している状態 ・ボードゲー
  • 「家族が納得できる娯楽」としてのゲーム 『妖怪ウォッチ』成功の理由に迫る - ジセダイ総研 | ジセダイ

    ゲームを皮切りに、社会現象となっている「妖怪ウォッチ」。 「妖怪ウォッチ」は、なぜ社会現象になったのか? そこには、開発者側の緻密な計算があった。 「ポケモン」以来の「集めゲー」の伝統を受け継ぎつつ、「日常との地続き感」をより一層強化したものとなっている。また、ゲーム内に社会道徳の要素を盛り込むことで、親にとっても受け容れやすいものとなっているのだ。 「ゲームPTAの敵」と長らく言われてきた。「妖怪ウォッチ」は、ゲームとしての面白さを追求しつつ、「家族が納得できる娯楽」をつくりあげることで、同時にその壁も乗り越えたのだ。 発売一ヶ月で200万を突破 「妖怪ウォッチ」が話題である。 これはニンテンドー3DS用のゲームで、2013年にレベルファイブから発売された。以後、子供たちを中心にじわじわと支持を伸ばし、気付いてみれば関連グッズが品薄で全く手に入らなくなるほどの大ブームとなっていた。

    「家族が納得できる娯楽」としてのゲーム 『妖怪ウォッチ』成功の理由に迫る - ジセダイ総研 | ジセダイ
    gento
    gento 2014/08/28
    受け入れられるだけの理屈と環境を整えた妖怪ウォッチ。イチイチ納得の良記事。
  • 今のアニメデザイン傾向を8つに区分けする これらがせめぎ合ってシーンは進んでる(追記と修正版) - 17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

    様々なアニメが日にはあります。全体としてはどこかしら客層に合わせて形式的に見えますが、その映像・演出や構成の中に様々なデザインの傾向が出ていると思われます。そんな膨大にリリースされるアニメの中で、特に目立っているデザインの傾向を簡単に区分けした場合どんな傾向に分けられるのか?の実験的メモです。なにやら勝手な横文字使ってここまでやってたので、そのまとめのようなものです。 現行のアニメシーンは大きく適当に分けて8つの傾向でデザイン競い合ってると見ております。 コンテンポラリー(京都アニメーションなど) 現在の14ー21歳のガキの主人公たちの視点を掘り下げていけば、ジャンルがハーレムだろうとロボットだろうと魔法だろうとその多くは(かっこわるい標記だろうが)青春の光と影やガキの頃にしかない日常の情景のささやかな永遠がポイントであるかに見えます。それを脚以上に映像やキャラデザなど総合したデザイン

    今のアニメデザイン傾向を8つに区分けする これらがせめぎ合ってシーンは進んでる(追記と修正版) - 17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード
    gento
    gento 2014/07/29
    なるほどなー
  • ゲーム研究と「形式」 - 9bit

    遅まきですが、七邊信重さんによる日デジタルゲーム学会2013年度年次大会での発表資料を読みつつ思ったことなど。 140310 digra_japan_presentation ゲーム研究者の日常(Daily Life of Game Researcher): 学会発表「『形式』から『文脈』へ―イェスパー・ユールのゲーム学再考」をアップしました。 ゲーム研究において「形式」(form)、「形式的」(formal)、「形式主義」(formalism)といった言葉がつかわれる場合の留意事項をまとめたあとで、七邊さんの発表資料についてちょっとだけコメントします。 「形式」のいろいろな意味 「形式」という言葉それ自体がそもそも膨大な用法(専門的であれ日常的であれ)を持つが、ゲーム研究でもそれは同じである。あいまいな用法は除外してそれなりに明確な意味をもってつかわれている場合にかぎっても、かなりのバ

    ゲーム研究と「形式」 - 9bit
  • シミュレーションと表象 - 9bit

    先日の表象文化論学会大会でのAIとジェンダー表象のパネルにいくらか関連した雑記。ビデオゲームについてふだん考えていることとかかわりのある話なので、思うところを書いておく。 参照したものは以下(学会自体には行ってません)。 表象文化論学会第9回大会パネル発表レジュメ:電子の時代のピュグマリオン:ポストヒューマン技術のジェンダー化をめぐる文化的想像力 | Kyoko Ozawa - Academia.edu 西條 玲奈「人工知能にジェンダーは必要か:ソーシャルロボットとしてのAIと被行為者性の観点から」表象文化論学会第9回大会 2014年7月6日 表象文化論学会パネル「知/性、そこは最新のフロンティア——人工知能とジェンダーの表象」に関するツイート - Togetterまとめ 表象文化論学会パネル「知/性、そこは最新のフロンティア——人工知能とジェンダーの表象」後日談 - Togetterまと

    シミュレーションと表象 - 9bit
  • ソーシャルゲーム批判 - しっきーのブログ

    どうしてソーシャルゲームを批判しなければならないのだろうか。僕が子供の頃、「ゲーム」は親にもまわりの大人にもいい顔をされないものだった。一見眉をしかめたくなるものであっても、目の前に現れた新しい「遊び」を安易に非難するべきではない。それは何より、小さな頃ゲームを手にしていた僕たち自身が一番わかっているはずだ。僕が大切にしていたゲームソフトの数々は、一部の「子供じみた」大人と、僕たち子供のためのものだった。 今は状況が違う。今の子供を持つ大人たちは、もう子供だった頃にゲームが身近だった世代だ。今や「ゲーム」は一大産業であり、日が世界に誇れる文化の一つとしても認められている。ゲームはもう子供だけのものとは言えないし、僕自身ももう子供ではなくなってしまった。 そして、僕は今ここで、「ゲーム」を批判しようとしている。新しく出てきた「ソーシャルゲーム」は家庭用ゲームを越えて、すでに国内のゲーム産業

    ソーシャルゲーム批判 - しっきーのブログ
  • 「透明な批評(transparent criticism)」とライトノベル | Kousyoublog

    先日の記事『「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー著』で紹介した『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)』で紹介されている批評理論の一つに「透明な批評(transparent criticism)」というのがあった。批評理論などは全く詳しくないのでへぇと思ったというメモ的な記事なのだが、同書によると、透明な批評とは『作品世界と読者の世界との間に仕切りが存在しないかのように、テクストのなかに入り込んで論じるような方法』(P231)なのだという。 この「透明な批評」を巡ってはL・C・ナイツが『劇の登場人物が現実の人間であるかのように、テクストから逸脱した憶測に踏み込んでゆくようなやり方を批判し、客観的な批評を推奨』(P231)したのに対し、A・D・ナトールが『芸術と現実とを厳密に切り離すことは困難であり、それを突き詰めると、読者と作者を際限なく隔てて文学の喜びを粉砕す

    「透明な批評(transparent criticism)」とライトノベル | Kousyoublog
  • マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 色々水平思考

    「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」 これは、任天堂のゲームクリエイター宮茂の言葉である。この言葉ほどアイディアというものの質を突いた言葉は無く、故・横井軍平の「枯れた技術の水平思考」に匹敵する名言だと思う。 ではこの言葉の示すアイディアとは具体的にどのようなものなのだろうか?その答えはこの言葉を発した当人である、宮茂が作った大ヒットタイトル、「スーパーマリオブラザーズ」の「ジャンプ」というアクションに込められている。 「スーパーマリオブラザーズ」における「ジャンプ」というアクションは、目の前の障害物や落とし穴を乗り越えるという機能以外に、頭上のブロックを叩く、「ジャンプ」からの落下地点にいる敵キャラクターを踏んづけるという機能を持っている。だから「ジャンプ」で障害物を乗り越えた先にいる敵を踏むという複数の行為を一つのアクションの中で行うことが出来る。一つのアク

    マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 色々水平思考
  • n11books.com

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  • ひだりの灰色 何故複数回遊んでから感想を書けと言われるの?

    ※こう思いました。と言うだけなので落ちはありません。 たまにというか定期的にというか、1回プレイしただけの“感想”(もっぱらレビューと呼ばれる)で、そのゲームの面白い/つまらないに言及することが良くないというような話がでてきます。まあ、きっちりした評論であれば1回だけというのは問題かもしれませんが、書き手がいっぱしの批評家であるとか、選ばれたひとしか公表できないならともかく、そこらのおっさん、おばちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんの感想に文句をつけてもはじまらないですし、そもそも、情報の取捨選択や解釈は読み手に任されるのだから、読み手が書き手の文章自体や嗜好の傾向をふまえて判断すれば済む話くらいに僕は思ってます。まあ、逆に同じゲーマーが言ってることだから口コミ効果で参考にされやすいてのもあるんでしょうけど。 (余談:なので、僕は書き手は好きなこと書けばいいじゃんと思いますし、書いてるつもり