民主党参議院議員・犬塚直史の公式ホームページ長崎市から西へ100kmのところにある五島列島が私のルーツです。 父は奈留島、母は仲通島、両方ともたいへん美しい島です。 こうした離島をたくさんもつ長崎県選挙区で2004年に初当選しました。 私の最大の公約はICC国際刑事裁判所条約の早期締結でしたが、おかげさまで2007年4月27日、参議院本会議場でこの公約を実現させることができました! (詳しくは下のICCロゴの「日本語」リンクをクリックして下さい)。 もちろんこれはゴールでなく新しいスタートです。 任期6年の参議院議員は、じっくりと長期的な視野をもって仕事をすることができます。特に外交防衛委員会では「良識の府」として一党一派に拘らず参議院の本領を発揮しなければなりません。 こうしたすばらしい環境で、平和を愛する長崎の代表として国政に参加する機会を与えて頂き、改めて心から感謝申し上
東京都台東区出身。両親は長崎県五島市出身。立教大学経済学部卒業、ダラス大学大学院経営修士課程修了後、アメリカ合衆国ハワイ州でリゾートホテルを経営する米国法人エバ・インターナショナル・インクの代表取締役を務める[1][2]。 2000年 第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で長崎3区から出馬したが、自由民主党の虎島和夫(当選)、自由党の山田正彦(比例復活)らに敗北し、落選。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、同年の民由合併に伴う選挙区調整により、参議院長崎県選挙区への鞍替えが決定し、出馬を見送った。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で長崎県選挙区から出馬し、初当選。2010年の第22回参議院議員通常選挙に民主党公認で長崎県選挙区から出馬するが、前長崎県知事の金子原二郎に敗れ、落選。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に民主党公認で東京14区から出馬するが、比例東京ブ
2007年9月14日、ローマ(Rome)の首相官邸で、会談に先立ち握手を交わすロマーノ・プロディ(Romano Prodi)伊首相(右)とオマル・ハッサン・アハメド・バシル(Omar Hassan Ahmed al-Beshir)スーダン大統領。(c)AFP/ANDREAS SOLARO 【9月15日 AFP】イタリアを訪問中のオマル・ハッサン・アハメド・バシル(Omar Hassan Ahmed al-Beshir)スーダン大統領は14日、ロマーノ・プロディ(Romano Prodi)伊首相と会談し、ダルフール(Darfur)地方の紛争について停戦の用意があることを明らかにした。同地方における紛争に関して、10月27日に反政府勢力との和平協議が予定されている。 会談後の記者会見でバシル大統領は、「友好的な雰囲気のもとで(10月の)協議を成功に導けるよう、われわれは停戦の用意があることを示
ダルフール紛争の日本語・英語ニュース記事のアーカイブ(since June 2007)2007年6月〜2008年9月23日までダルフール関連ニュースをほぼ毎日配信したサイト。 主催者が引退したため更新は原則的に終了した。 【コメント】 この事故は、最初単なる事故と伝えられたが、AP・AFPは銃撃によるものと報道した。カルマ・キャンプを攻撃したいスーダン政府にとってあまりに都合のいい情報のため、即座に反政府勢力が否定の声明を出した。そういうわけで、だいぶ待って、もっとも断定的でない記事を訳出した。(別に報道を読んでないわけではない中村) Peacekeepers probe deadly Darfur helicopter crash 平和維持軍、死者を出したダルフールのヘリコプター墜落を確認 Reuters - Mon Sep 29, 2008 12:39pm EDT http://www
5年ほど前、同じ教会の信徒の方が亡くなったが、当時手術後で教会を離れていた私は、その方のお葬式に出なかった。ご遺体を見ていないため、その方の死は私の心の中で具体化されることがなく、ゆえに私の中でその方は今でも生き続けていて悲しむこともない。 コロナ禍が最悪の状況下で父が亡くなった。この数か月間、コロナ禍ゆえに家族すら面会を許されず、看取りに同居家族さえ間に合わず、独りぼっちで逝ってしまった。あまりに惨い。 家族なので送り出さなければならない。コロナ禍なので通夜もない直葬(家族はクリスチャンではないので無宗教式)だった。感受性の高い妹は、父の亡骸と同じ部屋に長時間居ることを嫌がった。翌日、火葬場まで霊柩車の後について私が家族を乗せて車で赴いた。焼き場に棺が入り、1時間後には骨だけになった。そこで私は初めて泣き崩れた。
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2007年08月07日 (火)視点・論点 「ダルフール紛争の解決へ」 龍谷大学教授 川端 正久 こんにちは。きょうは「世界最大の人道危機」ダルフール紛争についてお話します。 ダルフールはスーダンの西部地方で、面積はフランスとほぼ同じです。 アラブ人が政治を支配するスーダンにおいて、ダルフール住民の多数は フール人などアフリカ人です。 アフリカ系農民とアラブ系遊牧民は共存してきましたが、土地と水をめぐる争いは従来から ありました。 スーダン政府から差別されたダルフールは最も貧困な地域です。 2005年1月、包括和平協定が成立し、南北内戦は終わりました。 協定は石油収入を南北二つの政府で折半することを決めましたので、石油を産出しながら、 利益配分を受けられないダルフールの住民は、協定に反発しました。 石油、ウランなどの資源が
切れそう。 AP⇒The Associated Press: Sudanese Army Attacks Darfur Rebel Town KHARTOUM, Sudan (AP) Sudanese government forces resumed air strikes in Darfur on Monday with an attack on a town that killed more than a dozen civilians, African Union peacekeepers and rebels said. BBC⇒BBC NEWS | Africa | Sudan planes 'bomb Darfur town' Sudanese government planes have bombed the town of Haskinita in North Darfu
このエントリの標題は「ほっとけない先進国のアホさ」とでもしたかったのだが、そこまで言えるものでもないし、私のようなアホの筆頭にはよくわからないことも多い。ただ、アフリカの貧困に対する善意と援助の陰に隠されているものについては、やっぱり、書いておこうと思う。 なにが隠されているか。これまでの極東ブログの話の流れで言えば、「端的なところ、中国様のご威光」とかになりそうだ。ダルフール危機についても、端的に言ってしまえばこういうことだ、つまり… 南北内戦が片付いてきて、イスラム系スーダン政府が「け、南北問題では下手を打ったから石油の取り分が減ったじゃなねーか」と考え、さらに「もうこれ以上減らされるのはご免だな、じゃ、次にぐだぐだ言いそうな西のダルフールの住民を先手で追っ払っておけ」と考え、「なんか、うまい追っ払いの口実はないか? 古くからある住民対立を増長させておくのもいいが…なぬ!西側の反乱軍が
このWikiはスーダン・ダルフール危機の情報を共有していくために作成しました。 このページと一部例外的なページを除いて、誰でも書き込み・編集が可能です。新規ページ作成も可能です。 スーダン・ダルフール危機は、「史上最大の人道危機」とも言われています。 現在、この問題に、世界中のネットワーカー、ブロガーが立ち上がろうとしています。 ダルフール紛争はスーダン西部ダルフール地方で現在進行中の民族浄化です。民族浄化とは、特定の民族を虐殺など暴力によって駆逐していく行為です。 発端は民族紛争でしたが、現状、スーダン政府が支持するジャンジャウィードと呼ばれるアラブ系民族民兵が、地域の黒人住民(黒人のイスラム教徒を含む)を迫害しています。 2004年8月時点での概算で50.000人以上が既に殺害され、120万人以上が家を追われています。被害は止まりません。
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