学校に弾きに行ってもやっとすること。 先生が児童に向かって 「クラシックは豪華なホールで正装して聴くものでチケットもとっても高いから、生演奏を聴けるなんて皆さんもう一生無いかもしれません!だから今しっかり聴いて思い出に残しましょ… https://t.co/Netq7Krmuz
学校に弾きに行ってもやっとすること。 先生が児童に向かって 「クラシックは豪華なホールで正装して聴くものでチケットもとっても高いから、生演奏を聴けるなんて皆さんもう一生無いかもしれません!だから今しっかり聴いて思い出に残しましょ… https://t.co/Netq7Krmuz
今回は、吹奏楽についてふれてみたいと思う。 私が吹奏楽と出会ったのは、中学1年生の頃。 幼少期から父と行くプロ野球観戦が大好きで、父に肩車をしてもらって後楽園球場に巨人戦を見に行った。父は根っからの野球好きで、休日は草野球や少年野球の代表などをやっていた。家には野球の試合の際に使われるスコアブックがいくつも置いてあり、玄関にはゴルフバッグとともに野球バッグもでかでかと並び、当時子どもであった私には、それらはとても大きく重たく感じられた。 プロ野球観戦の際、私は次第に応援席で鳴るトランペットに憧れ、中学生になったら野球部か、もしくは吹奏楽でトランペットをやろうと決めていた。家族と相談をし、兄からの「今から始めるなら、野球より音楽の方が良い」というアドヴァイスを受け、吹奏楽部に入部。 中学の吹奏楽部の志望動機には「甲子園でトランペットを吹きたいから」と記入した。希望楽器は第1希望から第3希望ま
2019年2月末より、ハンガリーの首都・ブダペストにあるエルテ大学*で、「日本の歌を歌うサークル」が始まった。ブダペストにはエルテ大学とカーロリ大学に日本学科があり、日本語を学ぶハンガリー人学生が少なくない*。ハンガリーで日本の歌を歌うきっかけを作ってくださったのは、カーロリ大学*の後藤先生であったが、今回はエルテ大学の日本学科に勤める内川先生から、このサークルの歌の指導の依頼を頂戴し、昨年から少しずつ話を進めてきた。 それでは、このサークルで何をやるのか? 実はまだしっかり決めてない。サークルの名前も決めていない。 内川先生と私の希望は、ゆったりと息の長い活動を続けていこう、ということだけだ。活動費も設けないし、私自身、謝礼もいただかない。 謝礼をいただかないなんて、私自身一文無しなのに、なんで痩せ我慢をするのか?ということだが、これには私なりの信念がある。 「指揮者以外の活動での収入を
・受験世界史の音楽史がやばい(増補あり)(allezvous’s blog) これの受験世界史側から見たあれこれを。 ・そもそもこんなに覚えなくてもよい 私をして見たこと無い入試問題がめちゃくちゃ多い。これは私が00年代半ば以前だとさすがに私大は綿密に解いていないという事情があるので,半ば私の調査不足が原因である。とはいえ元のpdfに掲載されている入試問題の年度を見ていただけると,2001年や2003年の問題がけっこう含まれており,中京大や愛知淑徳大といった,あまり特別に大学別の対策をしないような大学の入試問題からも拾っている。このプリントの作者は,中堅以下の私大に限れば私よりも断然研究している。 逆に言ってしまうと,そこまでしないと音楽史の入試問題抜粋集なんて作れないのである。拙著でも何度か取り上げているが,高校世界史は明らかに文学偏重であって,扱いの重さは文学>美術・建築>その他である
※ご指摘いただいたので、説明を補充しました なんとなくググっていたら以下のページを見つけた。 テーマ史(音楽史編) https://masudajuku.jp/justbefore/textbook/wor01.music.pdf まずはきれいにまとまっていることに敬意を表する。ただ全体的にやばみを感じたのでブクマしたところ、それなりのブクマが付いた。 b.hatena.ne.jp やばさを共有していただいたようで何よりだ。ブコメの指摘もいちいちごもっとも。 ということで、何がやばいかを自分なりに整理しておこうと思う。 嘘・大げさ・紛らわしい 時系列順に並べる。 《中世》 ・グレゴリウス1世はグレゴリオ聖歌を作っていない 解説*1。思いっきりグレゴリウス1世が「グレゴリオ聖歌作成」したと書いてあるが、現存するグレゴリオ聖歌はほぼ9世紀以降の作と判明している。6世紀末の人であるグレゴリウス1
第65回全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学校と高校の部が21、22の両日、名古屋市熱田区の名古屋国際会議場で開かれる。大のクラシック音楽ファンで知られるカレーチェーン「CoCo壱番屋」創業者の宗次(むねつぐ)徳二さん(69)は毎年、愛知県内の小中高校へ楽器を贈り続け、吹奏楽部の活動を支えてきた。 宗次さんは経営の一線から退くと、クラシック専門の「宗次ホール」を名古屋・栄の中心部に開業。2009年からは自ら設立したNPO法人「イエロー・エンジェル」を通じて、学校へ楽器を贈る取り組みを始めた。 当初は公募した個人に贈っていたが、愛知県内の公立中学の吹奏楽部の教員から「予算が足りなくて必要な楽器が買えない」という手紙を受け取り、希望を募って学校へ届けるように改めた。これまでに楽器など約1600点、計6億6千万円相当を寄贈。今年は7月、小学校と高校の計144校に約35
音楽教育事業を展開する7つの企業や団体は3日、日本音楽著作権協会(JASRAC)による音楽教室からの著作権料徴収に対応する『音楽教育を守る会』を発足した。 『音楽教育を守る会』は、ヤマハ音楽振興会を代表に、河合楽器製作所や全日本ピアノ指導者協会など音楽教育事業に携わる7つの企業や団体で結成。今後はさらに、「関係各社、各団体へ参加を呼びかけ、合同でこの問題にあたってゆく」としている。 JASRACの方針を受け、2日に実施した1回目の会合では、「演奏権が及ぶのは公衆に聞かせるための演奏であり、音楽教室での練習や指導のための演奏は該当しない。文化の発展に寄与するという著作権法の目的にも合致しない。今後は本会を通じて対応していく」という活動方針を決定した。 JASRACは、これまでコンサートや演奏会での演奏をはじめ、ダンス教室や歌謡教室などでも使用料を徴収してきた。今回、楽器の演奏を教える音楽教室
一昨日あたりツイッター(そして、そのまとめ)で話題になったのが、これです。 「なぜクラシック音楽の人口が減り続け、今も激減しているのか」をとてもわかりやすく説明→分かり易すぎると話題に この発言の内容(というか比喩)にわかりやすい、という人がある程度いる、ということについて、少し考えてみたいと思います。 要点としては3つにわかれます 1 クラシック音楽はそんなに敷居が高いのか 2 クラシック音楽を敷居高いイメージにしてるのは誰か 3 実際のところクラシック音楽のファンは激減してるのか ってことで、最終的には具体的な数値の一つとして「日本プロフェッショナル・オーケストラ年鑑」のこの10年ほどのデータを参考にしてみたいと思います。 1 クラシック音楽はそんなに敷居高いの?まずは、冒頭のツイートの比喩の私の解釈は、 「クラシック音楽に全く無縁だった人が興味を持とうとした時に、気軽に入れるものをア
世界有数の音楽大学、イギリスの王立音楽院と東京芸術大学が、学生や教授らの相互交流や琴や尺八など邦楽の研究で協力することになり、13日にロンドンで協定の調印式が行われました。 13日に行われた協定の調印式には、王立音楽院のフリーマン=アトウッド学長と東京芸術大学の澤和樹音楽学部長が出席しました。今後は学生や教授らの相互交流を促進し、合同で演奏会を開くほか、王立音楽院で琴や尺八などを教えたり、学生を日本に招いたりして邦楽への理解を深めてもらい、ゆくゆくは邦楽を取り入れた作曲にも取り組んでもらうということです。 澤学部長は「東京芸大は邦楽科を持っているのが強みで、これを生かして交流を深めていきたい」と話していました。 王立音楽院が海外の大学とこうした協定を結ぶのは初めてだということで、フリーマン=アトウッド学長は「東京芸大との協定は、2つの異なる文化が互いに学び合おうとしていることがポイントで、
カレー店チェーンの壱番屋創業者の宗次徳二さん(65)が理事長を務めるNPO法人イエロー・エンジェル(名古屋市中区)は、県内の小、中、高校の計百八校に対してティンパニーやハープ、スーザフォンなどの楽器二百五十九点(約一億円相当)を贈ることにし十三日、中区の宗次ホールで贈呈式を開く。このうち六十八校には予算カットでままならない楽器修理代計七百七十万円を寄付する。 宗次さんは「楽器が老朽化したり、壊れたりして、足りないと訴えてくる吹奏楽部の現状は悲惨」として、対象校、寄付額を昨年より二倍強に拡充した。「私に続く企業人が現れて、県外でも青少年に楽器を贈る運動が広がってほしい」と話している。 同NPOの「青少年に楽器を贈る運動」の一環。昨年、四十七校に五千万円相当を寄付したことが反響を呼び、県吹奏楽連盟(四百八十三校加盟)の協力で行ったアンケートに窮状を訴える学校が激増した。回答のあった全校をNPO
小柄でエネルギッシュ。本番で感情があふれすぎて指揮台の上をぴょんぴょん跳ねることもある。行く先々のオーケストラで目からウロコの美しい音を紡ぎ出す。ユニークな天才は「庶民代表の指揮者」を自任。仕事場への移動には、もちろん電車を使う。 「電車と歩きが一番、時間を守れますね。車内で人をみていると時代の移り変わりが分かりますし。あ、そうそう。この前ね、ラッシュ時に(東京の)自由が丘駅に着いて『降ります』って言っているのに前の人がどいてくれないの。自由に降りられないなら“不自由が丘”じゃねぇか、ハハッ!」 満員電車の悲哀を分かち合える、親しみやすい指揮者の先生である。 いまでこそエネルギーに満ちあふれているが、枯渇しそうになったときがあった。「43歳のときに半年ほど休みました。あれがなければ死んでいたか、転職していたか」というほど、重要な休養だったと振り返る。 当時もクラシック界の第一線で活躍し、国
みわです。 昨日書こうと思っていましたが~コンサートのご報告でいっぱいだったので、今日にしました。 アペルトのコンサートに年齢制限がないことについて。 よく「未就学児は入場できません」っていうコンサートがありますよね。 オーケストラ等の演奏会ではシンフォニーやコンチェルトが1曲30分以上は当たり前。 弦楽器の繊細なppの音を大ホールで聴き取るには、やはりちょっとした音楽以外の音が出ていては聞き取れません。 こんな状況で、小さなお子さんに静かに声を出さずに座っているというのは不可能です。 演奏者側もそのために「親子コンサート」や「小さな子供のためのコンサート」なんか企画して対応していますよね。 アペルトもそれができればいいのですが、今のアペルトの企画力と状況では、まだなかなかそこまでできません。 でも「親子コンサート」となると曲はお子さんに合わせた形になると思います。 それでは、音楽好きのパ
いきものや嵐 音楽の教科書にのるそうな いつから音楽で生物や気象を扱うようになったんだ? ・・・てな軽いギャグはさておき、毎年のように「音楽の教科書に○○が」と流行りの歌手が出てきてニュースになってますけど、こういう五年たったら知らない人だらけになる曲を教えて何になるんでしょうかね? そういう身近な題材をもとにして「こういう曲はどのように作るのか」で作曲の基本を教えたり、「どのように歌うとよいか」で発声や腹式呼吸をおしえるならともかく、楽譜のせておしまいではただのカラオケではないでしょうかね? そういうのがクローズアップされるかたわら日本の伝統音楽やクラシックは「あって当たり前」の空気のような存在になり、「古くさいもの」「なくてもよいもの」と捉えられるというのは危険ではないかと思うわけです 流行の曲だって五線譜を使う以上はクラシックやジャズなどがすでにそのフィールドで数多の積み上げをしてき
先日(今年の5月)、ベルリン・フィルの定期演奏会を指揮した佐渡裕氏は、小学校の時の卒業文集に「ぼくはベルリン・フィルの指揮者になる!」と書いていたそうだ。 当時は、「総理大臣になる」とか「ノーベル賞を取る」というのと同じ大風呂敷で他愛もない子供の夢と聞こえたことだろう。 でも、38年後、その夢は実現された。 私も、14歳の時に始めて「運命」を聴き、「ぼくも交響曲を5つ書く!」と決めた。 当時はまだ、クラシックを聴き始めたばかりの普通の中学生だったから、総理大臣やノーベル賞どころか「火星に行く」というクラスの99%あり得ない「夢のまた夢」だった。 でも、34年後、夢は実現した。 子供の時に抱く「夢」は、一生の宝だ。 そして、夢は壮大な方がいい。 叶っても、まだ上があるから。 □音楽との出会い 音楽との出会いは人それぞれで、音楽を楽しむのに決まり事は何もない。好きなように聴き、好きなように楽し
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