〘 名詞 〙 戦争をきらうこと。戦争するのがいやになること。[初出の実例]「厭戦の気分が将兵のすべてにはっきりと兆し始めてゐた」(出典:日の果て(1947)〈梅崎春生〉)

大智 浩 オオチ ヒロシ 昭和期のグラフィックデザイナー 海外デザイン交流協会会長;実践女子大学教授。 生年明治41(1908)年8月10日 没年昭和49(1974)年7月18日 出生地岡山県御津町 学歴〔年〕東京美術学校図案科〔昭和13年〕卒 経歴戦時中は宣伝・情報工作要員として南方で従事。昭和24年に大智デザイン事務所を主宰。29年ニューヨークでグラフィック個展を開き注目された。同年世界的デザイナー団体AGI日本代表に選ばれる。出光興産や公明党のトレード・マークをデザインした。後、東京教育大学、金沢美術工芸大学、実践女子大学などの教壇に立ち、デザイン教育にも貢献、日本のグラフィック・デザインの開拓者として後輩の指導に当たった。また「デザインの色彩計画」「ポスターのデザイン」など著作も多く、デザイン雑誌「アイデア」のアートディレクターを長く務めた。
コンピューターのプログラムにより株の自動取引を行う「アルゴリズム取引」の一種。「ハイ・フリークエンシー・トレーディング」の頭文字をとったもので、日本では「超高速取引」「高頻度売買」「超高速売買」などと表現される。高速処理のコンピューターを駆使してミリ(1000分の1)秒単位で膨大な売買小口売買を行い、わずかな価格差を利用して利益を得ようとするもの。対象は株式だけでなく、外国為替や各種先物取引など多伎にわたる。2008年には、大手ヘッジファンドが、HFTを行う関連会社を通じて約10億ドルの利益をあげていたことが判明。11年には、HFT投資家が欧米を中心に200社を超えたとされ、米国ではHFTが原因とされる株式急落が度々発生している。13年5月に始まった日本の株価の乱高下の一因とも分析されている。 (2013-5-30)
陰陽師が邪気を払い除くため呪文を唱え大地を踏みしめ,千鳥足に歩む呪法。三足,五足,九足などさまざまの種類がある。平安朝以来天皇・将軍など貴族の外出にあたって多く行われ,悪い方角を踏み破る意味があるという。土御門(安倍)家の秘法では反閇のとき燃灯し,水,米,大豆,ゴマ,アワ,麦,酒,生牛乳などを用意して散供(さんぐ)を行う。平安朝,陰陽道の進出につれ,日本古来の鎮魂の作法が反閇と習合し,神楽が芸能化する中世にはそれに伴って反閇も《翁》《三番叟》《道成寺》など猿楽にとりいれられ,乱拍子(らんびようし)などとも呼び,祝福的意味をもつようになった。神楽などでも反閇を踏むことが行われる。 反閇を禹歩(うほ)とも呼ぶのは,昔禹が水土を治め,山川を歩くこと10年でそのため足を傷め満足に歩けなかったという由緒に基づくもので,古代中国の巫術として一方の足をひきずって歩くような形の呪法があったことから付会した
【舞台装置】より …俳優の動き,照明や音響の機具の配置もこの図面で検討される。スケッチと平面図にもとづいて仕上げられた舞台装置図を,日本では伝統的に〈道具帳〉と呼んでいるが,最近では〈セノグラフィ〉とも呼ばれるようになった。これはおもに客席の中央から舞台を見たようにして描き,表現は舞台美術家の個性により,雰囲気を主にしてラフに描いたもの,克明に細部まで描写したもの,ライトの効果や登場人物を描き入れたものなどさまざまである。…
…そこに現れるのは,演劇という営為につきものである〈他者〉という,結局は予見不可能な偶然性の働きであり,その〈他者〉とは,まずは演戯者自身の二重性にひそんでいる。世阿弥が〈離見の見〉という語で言おうとしたことは,このような他者の視線に身をさらして演戯することの条件そのものに対する戦略であった。 劇作術とのかかわりで付け加えれば,代行型演戯による演劇は,アリストテレスも定義するとおり,作者が報告者の立場に終始する〈歴史〉とも,作者が報告者でありかつ物語中の人物にもなる〈叙事詩〉とも異なって,作者が現実の人間を行動させることによって物語を語るのである。…
中国,北宋の思想家,程 顥,程頤兄弟のことで,思想傾向が近いこともあって一緒に論じられることが多い。彼らの学は「程学」「周張二程の学」ともいわれ,北宋道学の中心に位置し,宋学の集大成者朱子への道を開いた。その思想は,天地万物と人間を生成調和という原理で一貫させ,統一的にとらえた点に特質がある。程 顥の著作としては『定性書』『識仁書』,程頤のものとしては『四箴』『好学論』などがある。
〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Noesis ) フッサールの現象学の用語。意識の作用的側面。意識が志向的対象に意味を与える作用。志向的作用。→ノエマ。[初出の実例]「自覚的一般者に於て自己自身を直に志向するもの、云はばノエシスの中にノエマを含むものが個人的自覚である」(出典:叡智的世界(1928)〈西田幾多郎〉三) ギリシア語のヌース(精神,理性),およびそれと同系のノエイン(思惟する,知覚する,直観する)からの派生語noēsisに由来するフッサールの現象学の術語。フッサール自身,ある個所でノエインを〈直接的に見ること〉と訳し,〈対象を本質的に与える意識としての見ること一般〉は,したがって感性的直観だけでなく,むしろ本質直観が〈あらゆる理性的主張の正当性の究極の源泉〉であると述べている。ここにも現象学の直観主義的性格を認めうるが,しかし彼の場合,直観の能力としての感性と思惟の能力としての
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