○自己の配慮が無視され、「汝自身を知れ」が重視された理由 さてフーコーはこの概念の重要性と、それがてがかり、導きの糸としてどのような意味をもつかを説明した後で、西洋の哲学史においてこの自己の配慮の概念がまったく無視された理由を考察する。自己の配慮の方が土台であるのに、「汝自身を知れ」という格言ばかりが重視されたのはなぜだろうか。 まずフーコーは「表面的な」(笑)理由から始める。それは自己の配慮のさまざまな定式化が、ポリスの政治、公的なものの重視という伝統からそれ、暗く、メランコリックに聞こえるからだという。そのために自己の配慮についてよく検討してみるという作業が行われなかったのだという。現在では自己の配慮がエゴイズムのように聞こえるとしても、以前は極端に厳格な道徳に対する積極的な原理としての意味をもっていたことをフーコーは強調する。 さらにフーコーは、この自己の配慮という原則がキリスト教の