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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/kenjiito (32)

  • 日本は高等教育過剰か?(2) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    この前のエントリーを書いてから二週間間があいてしまった。先週は、4S(Society for Social Studies of Science)とその前のワークショップが2件あり、一週間の間に4つプレゼンをするというむちゃなことをやって、先々週の日曜日はその準備でいそがしく、先週は学会終了後の虚脱状態で、ブログを書くどころではなかったのである。 前のエントリーで、高等教育過剰論の次の5つの議論について書いてみた。 大学卒業生および他の知的職業の就職難 少子化による若年人口の減少 学生の質の低下 大学の果たしている役割に対する予算の過大さと非効率性 財政危機・税収の減少に対する財政的考慮 今回のエントリーでは、これらにすべてについて検討するつもりだったが、一つのエントリーで書ききれそうにないので、最初の一つだけ取り上げる。検討というのは、それらの議論を批判して、否定することを目指すのではな

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    heis101 2010/09/12
  • 日本は高等教育過剰か?(1) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    は高等教育過剰か?この問い自体が様々な曖昧さを含んでいる。まず第一に、過剰かどうかは、何をもって適正な基準とするかに依存する。従って、日に高等教育が過剰であるとする議論において、何をもって適正なな基準とするかが示されていないのであれば、迷走した議論にしかなりえない。そして、何が適正であるかは、論理的に導きだされるものではなく、主権者の政治的判断によって決定されるべきことであると思う。 第二に、過剰ということ自体にも、様々な意味がありうる。なされている教育の量や質 が過剰なのか、大学生数ないし大学数が過剰なのか、あるいは使われている予算が過剰なのか。 このエントリーは4つほど続けてエントリーを書くシリーズの最初のものである。ここではまず、日は高等教育が過剰であるとする主張にどのようなものがあるのか考えてみる。そして、次のエントリーではそれを批判・検討する。三番目のエントリーで、逆に日

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    heis101 2010/09/12
  • 『ハーバード白熱教室』の裏側:ハーバードの一般教養の授業をサンデルの講義を例にして説明してみる - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    ハーバード大学におけるマイケル・サンデル(Michael Sandel)の授業が、『ハーバード白熱教室』としてNHKで放映され*1、かなりの人気を集めて話題になっているようだ。これはすべて再放送を待つまでもなく、ウェブ上で観ることができる(ただし英語だが)。*2 ちょうどいいので、これを使って、ハーバードの学部向け一般教養の授業の作りを説明してみようと思う。色々誤解もあるようであるし、あの映像だけでは分からないこともある。 私自身は、サンデルの授業を履修したことはないのだが、大学院生のときに、一般教養の授業のTAやHead TAをかなりやったので(といってもサンデルの授業ではもちろんなく、私の専門の科学史やSTS関係の授業である)、ハーバードの一般教養の授業の仕組みはかなり分かっているほうだと思う。とくに、日人のハーバードの学部生というのがほとんどいないわけであるし、私が説明するのもまっ

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    heis101 2010/07/25
    「大雑把に言ってサンデルの授業のリーディングtは、ハーバードの授業としては、やさしめ、軽めで、多分、これが人気の理由の一つではないかと思う。」「講義だけではなく、少人数のきめ細かい指導」
  • 「新成長戦略」についてのメモ - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2009/1230sinseichousenryaku.pdf 去年の12月30日に閣議決定されたもの。年末にちょっと見てみた。 マスメディアの報道で感じられたのは、空虚な数値目標を示して、夢物語を描いた選挙対策の文書、という印象だったし、今のマスメディアはたぶん意図的にそういう印象操作をしているだろう。実際に文書を見てみると、30ページ近い文書で、ただの空々しい数字を並べただけの文書ではない。こういう文書を出して世間に問うこと自体は私は高く評価したいと思う。全体的に、数字の根拠に乏しく、かなりの程度、絵に描いたであることは否めないだろう。ただ、私自身は、これは実はそれほど悪くないのではないかと考えている。世間ではかなり評価が低いようなので、私はあまのじゃくになるべくほめてみたいと思う。 概要 ここで示された

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    heis101 2010/01/04
    「全体的に、これは選挙向けの文書ではないと感じた。」「このような政策が出てくることが可能であること自体が、現在の政権の一つの長所として評価していいのではないだろうか。」
  • 大阪府立大学の改革についてのメモ - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    いくつかマスメディアで報道されている。たとえば、 「橋下知事「日一の理系大学に」 大阪府立大が改革案提示」(読売新聞) http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20091204-OYO8T00664.htm これに対して、卒業生が再考を求めている: 「大阪府立大再編案 卒業生が再考求め要望書提」(MBSニュース) http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE091211113100303687.shtml 大阪府立大学が、いかに改革したところで「日一の理系大学」になることができると当に思っているわけではまさかないだろう。もし気だとしたら、東大、京大、東工大も舐められたものである。そもそも大阪には阪大という立派な「理系」大学があると思うのだけれど。もし気でないとしたら、心にも思っていないことを目標にして

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    heis101 2009/12/11
  • 研究室の蔓延 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    今日の入試説明会を聞きつつ、漠然と思ったこと。 うちの専攻ができたとき、タコつぼ型の大学院の組織をやめようというのが理念の一つだったそうだ。生命系の大学院では、研究室ごとに完全に独立して、分断されていて、隣の研究室では何をやっているのか分からない、という状況が普通であり、院生も、一つの研究室に所属すると、そのなかで全生活が完結するような大学院生生活を送ることもよくあるらしい。うちの専攻では、そういうことをすると非常に視野の狭い生命科学の研究者しかできないので、なんとか別の仕方を考えようということだったようである。たとえば、物理的なスペースにしても、研究室に割り当てることはせず、専攻全体で管理する、というのが建前だった。 ところが、今日の入試説明会で感じたのは、結局、「研究室」というものが出来てしまっていて、どうやら縦割り、タコつぼ化の方向に動いているらしい、ということである。というのも、研

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    heis101 2009/11/10
    「研究室は非公式の制度」「これは土地の私有化と同じ問題」「現在の競争的な研究環境は、資源をシェアするという精神を育成するには向いていない。むしろ、まるで反対の価値観を研究者に押しつけている」
  • ポスドクは一万人がいいのか? - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    まず、よくある誤解として、ポスドク1万人計画が博士過剰問題の原因であるようかのような議論がある。これはあやまりで、当の起源は大学院重点化である。ポスドクの増加は、任期付きでも雇用機会が増えているのだから、全体として雇用者は増えているはずなのであり、博士過剰の問題を緩和しているはずである。 ただ、ポスドクのポストは一時的なものなので、問題の先送りでしかない、ということはよく言われる。つまりポスドクが終わったあとのことはどうなるのか、ということである。その観点から、ポスドク一万人計画の一万人というのはあまりにもキリの良い数字で、当にそのあとの雇用との関連で、適正数だったのか、という疑問が生じる。 今後5年間ぐらいにどれだけ大学のポストが空くか? ポスドクの適正数は、おおよそポスドクの任期の間にどれだけの大学のポストが空くかによって考えてみる。日の場合、ポストの数が比較的固定されているので

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    heis101 2009/10/29
    「65歳以上の大学教員は17,000人以上もいる。大部分は、私大であり、その半分近くが人文社会系である。理学系だけ見てみると、65歳以上の教員はたったの740名」
  • サイエンスカフェ - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    18日に「脳死カフェ」というものが開かれたらしい。このサイエンスカフェには興味をもった。というのも、日ではめずらしく当の意味でのサイエンスカフェのテーマだと思ったからであり、実際にどのような議論があったのか大いに興味が持てるからである。 日におけるサイエンスカフェの流行 ここ数年の日におけるサイエンスカフェの流行は目覚しい。「サイエンスカフェポータル」というウェブサイトがあって、これを見ると、日でいつどこでサイエンスカフェが開かれ、そして今後開かれるのか、知ることができる: http://scienceportal.jp/contents/guide/0910/0910.html これによると、過去6カ月の間におよそ480ぐらいのサイエンスカフェが開かれたようである。ということは毎日、日のどこか2.7か所ぐらいでサイエンスカフェが開かれていることになる。これはすごい数字ではない

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    heis101 2009/10/26
    「なぜエコノミックス・カフェやポリティックス・カフェがないのか?」
  • 今野浩『すべて僕に任せてください:東工大モーレツ天才助教授の悲劇』新潮社、2009 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    べつにこのを読むつもりで図書館に来たわけでもなかったのだが、つい手にとったら、おもわず最後まで読んでしまった。 著者は、もと東工大の金融工学の教授で、著者のところに最初助手、そして助教授としてついた白川浩がこのの主人公である。白川は、天才的な数理能力をもつ上に、泊まり込みで仕事を続けるモーレツ研究者だが、世事にうとく少年のように純粋で、頼まれもしない仕事を引きうおけるお人よしだ。学生の指導は熱心なのだが、人付き合いが不器用で不必要に上司や学会の大物を怒らせてばかりおり、大学の組織の中で様々な軋轢を引き起こす。つまりは非コミュの研究オタクといった感じの人だったらしい。発表する論文は質が高く、白川が発表するセミナーは教授の著者よりも注目を浴びて、大勢の聴衆を集め、いずれは世界的な研究者になると嘱望される。しかし、能力の割には論文を書く要領も悪く、学生を使って論文を多産しようとしない。著書を

    今野浩『すべて僕に任せてください:東工大モーレツ天才助教授の悲劇』新潮社、2009 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
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    heis101 2009/10/25
    「かなり生々しい内容の本」「こういうのを読むと、大学というのは本当に嫌な組織になる危険を常にもっているということを感じる。必ずしもそうでなくて良いはずなのだ。」
  • 博士は募集停止すべきか? - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    「博士は募集停止しろ、衝撃の提言」(科学政策ニュースクリップ) http://d.hatena.ne.jp/scicom/20091013/p1 次のの紹介: 詳しいことはを直接読んでから議論すべきだが、すでにこのエントリーでずいぶんと反響が広がっているようである。とりあえず、を読む前にこのエントリーで紹介されていることについてコメントしてみる。 ここで引用されている文章からすると、博士を募集停止せよというわけではなくて、研究者になる見込みのある院生だけ大学院に入れて、そこに教育資源を集中させよ、ということである。前のエントリーに書いたように、もし現在の大学院が変化しないのであれば、これはきわめてもっともな主張だ。なぜなら、現在の博士課程大学院の大部分は、研究者養成しか念頭においておらず、そこで教育をうけて博士号を取得しても、研究者以外のキャリアはほとんどないからである。 このような

    博士は募集停止すべきか? - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
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    heis101 2009/10/15
    「定員」という制度の存在理由が大学院設置基準にあって、定員充足の義務があることが根本的な問題ならば、大学院という組織で研究するのはやめて研究所にしてしまえばすべてが解決する(理屈上は)。
  • 学術雑誌の高騰 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    これはおそらく大学関係者はだれでもよく知っている問題だと思うけれど、今日、大学の図書委員会の会議に出席して、改めて痛感した。いかに学術雑誌が値上げされて、それが大学の予算を圧迫しているかということだ。 しかも奇妙なことに現在のデフレ経済にも関わらず、雑誌の購読契約は毎年5%値上げは珍しくなく、場合によっては10%値上げだったりする。それに円高はいったいどこにいったのだろう。 このように学術雑誌が高騰する理由にはいろいろなものがあるのかもしれない。たとえば、電子化のコストだ。たしかに電子化によって冊子を所有するスペースを持たない大学がより多くの文献にアクセスできるようになったことは重要であり、さらにインターネット上で文献が入手できるようになったことの利便性の向上は計り知れない。学術雑誌の高騰はこれらの便益に対する代価もあるのかもしれない。 それから、電子化された学術雑誌が高価か安価か、という

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    heis101 2009/10/10
    「今日、大学の図書委員会の会議に出席して、改めて痛感した。いかに学術雑誌が値上げされて、それが大学の予算を圧迫しているかということだ。」「適切な価格に落ち着くような市場メカニズムになっていない」
  • Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

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    heis101 2009/10/08
    「風邪かもしれないから、やめるべきかもしれないと思いつつ、プールまで体を引きずり、ややゆったり2000m泳ぐ。泳いでサウナでしばらく過ごすと、頭痛も消えてしまう。ストレス性の頭痛だったのか。」
  • 先端研究開発支援プログラム - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    「民主党さんへ、僕は内定取り消しになりました。」(ブックマクロ開発に) http://d.hatena.ne.jp/takuya_1st/20091006/1254845300 この内定取り消しになった研究者の資金が先端研究開発支援プログラムなのか、やや不明だけれど、ほかに思い当たらないので、多分そうなのだろう。大きな研究費が凍結されたり、打ち切られたりすれば、とぱっちりをうける人は多く出るし、そのダメージはしばしば立場の弱い人に大きくなものになる。そういうことは珍しいことではなく、SSCのキャンセルのときも多くの優秀な素粒子物理の若手研究者たちが人生を狂わされた。こういう実例を見るのはつらい。私だっていつどうなるか分からないのだけれど。 こういう立場の人に対して、冷たいようだが、若手にその一部が行くとしても、大部分は設備投資などに使われる巨額の研究資金をずさんな審査で配分するというのはや

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    heis101 2009/10/08
    「数千人の若手に5年間研究してもらうのと、重点的に大きな装置を使う研究をやってもらうのとどちらが学問的・経済的に有効か」「おそらく科学史こそ、こういう問題に対して一定の指針を与える事ができるべきはず」
  • 「プチ思想ブームの実像は」(Asahi.com) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909260077.html すこし前の記事だが、ちょと気になっていた。「プチ思想の実像」といいながらも、何が実像なのかよく分からない記事だけれど、ようするに、お手軽で分かりやすくした「思想」が出版分野で相対的に活況を呈しているらしい。そこでいわれている「プチ思想」とは、「 暗くて重くて難解、そしてエラそう 」なものでなく、「 困難な時代を把握する知識として、サバイバルのための技術でありツール 」であったり、「 実存のよりどころ 」だったりするらしい。それに対して、この記事は「プチ思想」に対する批判的な見解を紹介しており、「部数重視の市場主義」によって思想が面白くなくなったとする見解( 佐々木敦)や、「言説の中身のレベルは決し て高くない」「今の日当にエリートがいなくなった。モーツァルトが

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    heis101 2009/10/06
    「人のできないことができるという意味での希少性は、必ずしも価値のあるものとは思えない(それはただの特技だ)。」
  • 「日曜日の歴史探検:高学歴ワーキングプアとは何か」(IT Media エンタープライズ) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0910/04/news001.html 大学院生の数がここ20年で三倍になっているが、そのもとになっているのが1991年の文部省の「大学設置基準問等の改正」の中の「世界的水準の教育研究の推進」という方針で、そこには次のように書かれているという: 世界をリードするような研究を推進するとともに、優れた研究者や高度の専門能力を持った職業人を養成するための拠点として、大学院を充実強化していくことです こうして、このころから日の大学院に期待される役割が研究者養成だけではなく、高度な専門知識・専門技能をもった職業人の養成も含まれるようになり、それにともなって、研究者の就職市場での需要を上回る博士号・修士号取得者が大学院で養成されるようになった、ということらしい。大学院重点化の問題はもうすこしいろいろあるのだけ

  • 理工系の企業への就職 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    あちこちのウェブサイト、掲示板で、なにやらバイオ系大学院に対するネガティブ・キャンペーンのようなものが行われているようである。それも、特定の大学院の進学希望者向けの掲示板にまで、そういった書き込みが登場している。関係者にはお気の毒だが、しかし、大学側・教員側が、ちゃんと情報を出していればよかったのだと思う。何も知らないで、博士課程に入ってしまうよりは、ある程度実態について調べて、十分な知識をもったうえで、進学の是非を決めるべきだ。 ただ、生命系にやや厳しすぎる面が無きにしもあらずだ。生命系の大学院への進学をdiscourageする根拠としてよくあげられるのは、次のウェブページである: http://job.mynavi.jp/conts/saponet/release/needs/rikou/2008/03.html これは企業の理系人材のニーズを数値化したもので、確かに生命系の人にとって

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    heis101 2009/09/10
  • [時事]「基礎科学力強化における課題の関係」(基礎科学力強化委員会) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

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    heis101 2009/09/08
    「少なくとも科学技術の重視、関係予算の増大ということに関しては、文科省と研究者の利害は一致する」「文科省と大学、研究者がどのように効果的な協力関係と信頼関係を築くことができるかが重要」
  • 「ハーバード大学院留学生、国内大学に苦言」(中央日報) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119756&servcode=400&sectcode=400 韓国人のハーバード大学院生の国内の大学に対する苦言だが、つぎの発言に注目: ムン・ウンミさん(社会学)=先日、東京大学に行ったらそこも国際化が話題だった。しかし外国の学者を呼んで国際学術フォーラムをすることを国際化だと思っていたようだった。国内の大学の国際化もこんな方向に行っては困る。自分の満足のための国際化では意味がない。 まさに。

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    heis101 2009/08/31
    「外国の学者を呼んで国際学術フォーラムをすることを国際化だと思っていたようだった。国内の大学の国際化もこんな方向に行っては困る。自分の満足のための国際化では意味がない。」
  • ケン・オールダー(青木創訳)『嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々』早川書房、2008 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    科学史家にして、小説家でもあるケン・オールダーは、一般向けの科学史読み物を書かせたら、随一の人物である。前作の『万物の尺度』はたしかに傑作だった。この嘘発見器についてのは、あのほど、ドラマチックな展開をもっていないし、内容として多彩であるために構成が発散ぎみだが、嘘発見器という技術的産物の怪物的性格を余すところなく描き出していて、科学技術論的にはむしろより深い問題を提起しているように思う。嘘発見器を開発し、その機械に取りつかれ、そのために人生を大きく左右されたジョン・ラーソンとレナード・キーラーは現代のフランケンシュタインたちである。嘘発見器という機械自体は、それを見る者によってさまざまに異なる意味をもつ。そもそも、嘘発見器という名前自体がすでに大きな解釈を含むのであり、より中立的なポリグラフというほうがいいのかもしれない。それは、機械としては、被験者の生理的条件を記録するにすぎないし

    ケン・オールダー(青木創訳)『嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々』早川書房、2008 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
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    heis101 2009/08/28
  • 博物館頓挫で産業資料2万点余廃棄へ…大阪府など決定(Yomiuri Online) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

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    heis101 2009/08/28
    「なんともったいない。日本という国では信じがたいことが起こるものである。保存されるはずだった資料がかえって廃棄されてしまう結果になるのは残念だ。一部分は大学に引きとられるらしいが」