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2010年2月5日のブックマーク (15件)

  • 大井町のすし店が「ツイッター割引」-「ダダ漏れ女子」の中継も

    大井町の池上通り沿いにあるすし店「すし処さいしょ」(品川区大井4、TEL 03-5709-0572)は2月4日、フォロワーの数だけ料金を割引く1日限定の「Twitter(ツイッター)割引」を行った。 ツイッターユーザーの行列ができた「すし処さいしょ」 フォロワーとは、自分のツイート(つぶやき)を登録している人のこと。入店時、店舗スタッフにツイッターユーザーであることを伝え、会計時にフォロワー数を表示することで、1フォロワー=1円を会計料金から割引くルールを設定した。会計は個別精算で、フォロワー数の貸し借りはできない。割引の上限はなく、フォロワー数が会計総額以上なら無料になることも。 当日は20時30分の時点で8人待ち。ピーク時でおよそ1時間待ちだったが、並びながら「ツイッターですか?」「初めまして」と言葉を交わし、名刺交換をするユーザーの姿も見られた。フォロワー数が約6,000人のビジネス

    大井町のすし店が「ツイッター割引」-「ダダ漏れ女子」の中継も
  • 穴漏峠<ウェーバー、ジンメル、ルーマンの権力>

    国家の起源に社会契約があるとする社会契約論は、統治権力の正統性を社会と国家の相互契約という契機に求めたが、権力の正統性を保障する自発的服従は実は社会そのものの作動のプロセスの中にあるのというのがフーコーのディシプリンであったと思う。フーコーの『監獄の誕生』で描かれていたのは王制のもとでの身体刑のスペクタルと近代におけるパノプティコンのエコノミーの対比である。前者の場合、死刑囚の身体に加えられる過剰な暴力は王の身体に取り集められた過剰な権力の影絵に他ならず、それを通して超コード化の働きをくっきりと浮かび上がらせていた。脱コード化によって王の首が落ち、権力が顔を失って非人称化されるとき、そこに集中されていた過剰な力は社会全域に拡散し、日常生活の隅々にまで浸透する権力と転化する(浅田彰『構造と力』)。非人称化された視線により自らを監視するというこの図式は、我々はここ(社会内)にいる限り権力から逃

    heis101
    heis101 2010/02/05
    「このようにして信頼のネットワークは信頼のネットワークを自己創出し定常システムを維持している。このような信頼を別の言葉で存在論的安定性というが、その反語を存在論的不安だと考えてみよう」
  • 『崖の上のポニョ』について(1)――あなたは中間存在を愛せるのか - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

    私、今までずっと黙っていたんですが、公開から今までの間に、『崖の上のポニョ』を2回観てきました。 同じ映画を2回観に行くというのは、私にとってはかなり珍しいケースです。 この入れ込み具合は、マーロン・ブランドーが亡くなった直後に築地市場で再放映していた『ゴッドファーザー』をわざわざ観に行った時と同じくらいでしょうか。……って、ファミリーアニメとマフィア映画を同列にするなよって突っ込みが来そうですが。 そんなわけで、私にとってはそれくらい面白かったわけです、『崖の上のポニョ』。 ジブリ作品ファンというわけではないです。なんだかんだで新作が公開されるたびに色んな縁で観に行くのですが、だからといって宮崎駿が特別好きだというわけではない。『カリオストロ』や『ラピュタ』に特に思い入れはないし、『となりのトトロ』をVHSテープが擦り切れるまで見たなんて武勇伝も別にない。『風の谷のナウシカ』は、最近よう

    『崖の上のポニョ』について(1)――あなたは中間存在を愛せるのか - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)
  • Amazon.co.jp: 遊びの現象学: 西村清和: 本

    Amazon.co.jp: 遊びの現象学: 西村清和: 本
    heis101
    heis101 2010/02/05
    「オイゲン・フィンクやジャック・アンリオの遊びについての考察よりもこの著書の考察の方が優れている。「遊び」を「安全な場所に戻って来れるだけの余裕」と捕らえる考え方は素晴らしい。独創的な名著だと思う」
  • Amazon.co.jp: 「わかる」とはどういうことか ――認識の脳科学 (ちくま新書 339): 山鳥重: 本

    Amazon.co.jp: 「わかる」とはどういうことか ――認識の脳科学 (ちくま新書 339): 山鳥重: 本
    heis101
    heis101 2010/02/05
    「症状を分類し損傷部位に対応させ,「わかる」をとにかく分類し経験に対応させる。そしてやや唐突に「わかる」とは運動化できることだと宣言する。分類した症状をナントカ症候群と宣言する神経心理学のスタイル」
  • メンタルモデルについて書いてみた - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    メンタルモデルはいくつ想定すればよいのか? http://blog.goo.ne.jp/woodywood/e/47010ceddba25b68da454562eb8eead0 ネット上で調べ物をしていたら、メンタルモデルについて書かれた記事を見つけた。そこに書かれていることに違和感を感じ、さらに検索して調べてもろくな記事に当たらない。しょうがないので少し説明してみる。その前に、少しおしゃべり。 私がメンタルモデルといってすぐに思い出したのは推論のメンタルモデルと文章理解のメンタルモデルだ。前者はジョンソン・レアードによるもので簡単な説明は「考えることの科学」ISBN:412101345Xので説明しない。後者は確か「認知心理学〈5〉学習と発達」ISBN:4130151053はずなので興味のある人は読んでもらうとよい。しかし、どうもどちらもネット上で言及されているのとは違うようだ。と思ってさ

    メンタルモデルについて書いてみた - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    heis101
    heis101 2010/02/05
    「メンタルモデルはいくつ想定すればよいのか?、答え:必要ならいくらでも。ただし実際にはそうもいかないから、そのあたりは適当にやる。それ以前に重要なのは多様なメンタルモデルが現われないようなデザイン」
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
  • 理解と納得

    劇作家の平田オリザが書いたからの抜き書き。 演劇という技術 演劇の技術とは、自分の妄想を他者に伝える技術である。それが技術としてたしかなものであるならば、それはある程度の部分まで言語化できる 人間は人間を正確に把握することなどできない。だからこそ表現者は、「私はこのように世界を把握する」という認識を示していかなくてはならない。芸術家がなすべきは、評論家のように事の善悪を説くのではなく、事件を直接的に捕まえ描写すること 舞台は時間軸が一定で、場面もそんなに変えられない。漫画や文章なら、100年も、地球の裏側もすぐだけれど、舞台ではそういう、出来事の連鎖によってストーリーを進めるやりかたができない 小説のように、だんだんと状況がのみこめてくる展開は、用意できる舞台道具に限りのある演劇では難しい。戯曲の場合には、だからその戯曲、その舞台が何についての、どういう作品なのかを、できるだけ早い時期に

    heis101
    heis101 2010/02/05
    「戯曲の素人は「会話」を台本に書いてしまう。対話がないと戯曲が成立しない」「芸術作品を見て人が感動するのは、突き詰めていえば、「ああ、たしかに私は世界をこのように認識している」という感覚が起点となる」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    heis101
    heis101 2010/02/05
    「時代の閉塞感は「鬱屈を何処に向けて良いのかすらも分からない」苛立ちに起因している。だからこそ「適切に攻撃性を、比較的誰も傷付けない形で外部化するのか?」という点を考えるのは決して無駄な事ではない」
  • Amazon.co.jp: ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか (ディスカヴァー携書): 青木高夫: 本

    Amazon.co.jp: ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか (ディスカヴァー携書): 青木高夫: 本
    heis101
    heis101 2010/02/05
    「著者は、こうした事態の背景には、「ルールに対する考え方の違い」があるといいます。 「ルール作り」から喧嘩がはじまるのが欧米流、それに対して、日本人は「ルールの守りすぎ」で「ルール作りには無関心」」
  • 日本辺境論の格好の論証となる面白い本が出ている。現役ビジネスマンが書いたずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか (ディスカヴァー携書)である。この本では「日本勢が大勝利したとたんルールが変えられて勝てなくなった」という事例が具体的に検証してあるのであるが、少なくともスポーツにおいてはルールの変更にはそれなりの理屈と理由があり、「日本狙い撃ち」と主張するのは無理があるという結果であった。 にもかかわらず、我々が「ずるい!」と感じてしまうのは、端的に言って「ルール作りに参加していない」からである。

    辺境論の格好の論証となる面白いが出ている。現役ビジネスマンが書いたずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか (ディスカヴァー携書)である。このでは「日勢が大勝利したとたんルールが変えられて勝てなくなった」という事例が具体的に検証してあるのであるが、少なくともスポーツにおいてはルールの変更にはそれなりの理屈と理由があり、「日狙い撃ち」と主張するのは無理があるという結果であった。 にもかかわらず、我々が「ずるい!」と感じてしまうのは、端的に言って「ルール作りに参加していない」からである。意見を言う機会もなく、結果だけを知らされるから、唐突かつ理不尽に感じてしまうのだ。だが、「ルール作りの場」から排除されているかというと現実はそうでもない。単に参加していないだけなのである。そもそも「ルール作りに参加できると思っていない」から「参加する努力をしない」、したがって参加できない。こ

    日本辺境論の格好の論証となる面白い本が出ている。現役ビジネスマンが書いたずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか (ディスカヴァー携書)である。この本では「日本勢が大勝利したとたんルールが変えられて勝てなくなった」という事例が具体的に検証してあるのであるが、少なくともスポーツにおいてはルールの変更にはそれなりの理屈と理由があり、「日本狙い撃ち」と主張するのは無理があるという結果であった。 にもかかわらず、我々が「ずるい!」と感じてしまうのは、端的に言って「ルール作りに参加していない」からである。
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    heis101 2010/02/05
    「我々が「ずるい!」と感じてしまうのは、端的に言って「ルール作りに参加していない」から。だが、「ルール作りの場」から排除されているかというと現実はそうでもない。単に参加していないだけなのである」
  • Amazon.co.jp: 未来思考 10年先を読む「統計力」: 神永正博: 本

    Amazon.co.jp: 未来思考 10年先を読む「統計力」: 神永正博: 本
    heis101
    heis101 2010/02/05
    「制度に人をあわせるのではなく、人に制度をあわせる。一人ひとりの自由を守るなら、仕組みを立て直してもよいのではないでしょうか。」via http://kaminaga-weyl.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html
  • ゆうちょ銀の預金、米国債購入へ、時限爆弾に火がついた。-ドクター苫米地ブログ − Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog

    2010年02月04日02:38 カテゴリ ゆうちょ銀の預金、米国債購入へ、時限爆弾に火がついた。 ゆうちょ銀の資金、米国債で運用も 亀井大臣が見解 今日のトップニュースはもちろん、小沢幹事長不起訴のニュースだが、合わせてまるで取引するかのように流れた「ゆうちょ銀行の180兆円の資金運用を米国債でする」という亀井静香金融・郵政改革相の発言は、要ウォッチ対象だ。『洗脳支配』でも書いたが、ゆうちょ銀行の預金資金で米国債を買うというのは、小泉政権時代に行われた郵政民営化の最大の目的であったが、これが実現するとなると、郵政民営化関連法案をどう見直そうと、小泉・ブッシュ時代の郵政民営化に仕掛けられた時限爆弾「郵貯預金の米国行き」が確定することになる。 田中角栄時代から米国中枢部に目をつけられていた小沢幹事長の不起訴が、検察があれだけ動きながらも唐突に確定したことと、同時に郵貯資金の米国行きが決まった

    heis101
    heis101 2010/02/05
    「ゆうちょ銀の資金が米国債で運営されるということは、郵便貯金することが、米国政府に税金を払っていると同等なことであることは、丁度二年前の2月に書いた「洗脳支配」で解説している」
  • 海外留学、海外就職に関する良くある間違った思い込み。 ニートの海外就職日記

    俺はいつもこのブログで日で働く敷居は高いって言い続けて来た。それは新卒至上主義や年齢制限のようなクソ制度だったり、サビ残、休日返上、有給も満足に使えないようなクソ労働環境での我慢大会や、社会人なら仕事様wを優先にするのが当たり前、みたいなクソな価値観だったり。。。たかだが仕事に就くだけで、戦場に向かうかのような悲壮な覚悟wがいるからな。 海外就職してる人たちってSUGEEEEE、英語ペラペ〜ラなんだろ? ただ、日にいる側から見ると海外留学や海外就職の方がもっと敷居が高いだろ?って思ってる人が多いと思う。その気持ちは良くわかる。って言うのは、日にいた頃の俺もそう思ってたから。海外で専門学校や大学に通ってたり、海外就職してる人たちってSUGEEEEE、英語ペラペ〜ラなんだろ?って信じて疑わなかったし。 elm200さんの最近のエントリーにも似たような話が出ていた。 「その程度の喋りで大学

    heis101
    heis101 2010/02/05
  • 誤読しないで欲しい - 考えるのが好きだった

    そりゃ、私の表現力の不足のせいでしょうが、教育というのは、相手が変化する、相手を変化させる、成長させる、成熟へと向かわせることが目的です。対象が個人だとか、集団だとかはまた別次元の話ですよ。この手の誤読が多い。

    誤読しないで欲しい - 考えるのが好きだった
    heis101
    heis101 2010/02/05
    目的と手段を混同した反応ですな。「誤読しないでほしい」という願いはお互い様(こっちの科白と言いたい所だが我慢)。あと、表現力の不足のせいではない気もする。それのせいにしたくなる気持ちはわからなくはないが