2010年03月25日12:00 カテゴリNews 中国のない世界 問題は、なぜGoogleが中国からたたき出されたか、ではない。 グーグルのない世界 (内田樹の研究室) 中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、グーグルが中国から撤退することになった。 中国が、なぜ一歩も譲らなかったか、だ。 それを理解するには、中南海からの視点が必要なのだが、その視点を持とうとする先進国の「識者」が見当たらないので、能力の決定的な不足を承知しつつ私がそのまねごとをしてみることにする。 想像してみよう。たった今国境というものがなくなった世界を。 そこは John Lennon が Imagine で歌った世界では残念ながらない。チャンスを求めて都市に押し寄せてくる途上国の人々を追い返す国境がなくなった世界だ。都市にすむあなたならこの事態をどうするか。自由の名の下に彼らが来るにまかせるか。それとも何らかの
知りたくもないことは、人がいろいろと教えてくれるが、自分が知りたいことが見つかった人は、同時にそれは独力で見つけなくてはならないことを知る。 あなたが知りたいことは、調べればわかることかもしれない。 調べても分からないことかもしれないが、それでも途中までは調べなければならない。 これもあまり人は言ってくれないことだが、調べものはストレスフルだ。 「上の人」は簡単に、「調べておきなさい」「自分で調べなさい」と言うが、その調べものがどれくらいの困難さを伴うかは、ふつう言ってはくれない。 「調査法」だとか「情報検索法」だとかいう本は多いが(中にはもちろん有用なものもある)、ストレスの多寡や、調査中のストレスの取り扱い方(コーピング)については、ほとんど触れていない。 身近で小さめなストレスの例と、あまり体験することはないかもしれないが非常に大きなストレスの例をあげてみよう。 外国語を読む時、あな
一般入試の第二次手続きが今日で終わる。 本年度入試の最終結果がだいたいわかった。 残念ながら、入学予定者数は当初予定を大幅に上回ってしまった。 入学者628名を予定していたのだが、現段階で642名。 本学は定員527名なので、定員超過率1,22倍。 総合文化学科は定員180名に対して234名ですでに1、3倍に達した。 1,3というのは大学設置基準上の「危険水域」を示す値である。 実員抑制が本年度入試部長としての仕事の最大の目標だったのだが、それが達成できなかった。 大学基準協会から「定員管理の徹底」をきびしく指示された直後のことでもあり、入試部長としては手痛い失態である。 なぜ、このようなことが起きたのか、それについて述べたいと思う。 要は、「言い訳」ですけど。 すでにこのブログでも何度も書いたように、本学のようなタイプの大学では、「油断していると定員割れを起こす」のではなく、逆に「油断す
今、あなたは探しものをしている。行き先は図書館だ。 図書館でまず向かうのはどこか? レファレンス・カウンター? それもある。 しかし、毎回、厄介な事案を持ちこんでくるあなたは、すっかり顔馴染みになったレファレンス係に軽く会釈をして、そのまま参考図書のコーナーへ向かう。 出来事を追って、新聞や雑誌の記事を、あるいは海外の論文を探すなら、データベースを使うために、館内のパソコンに向かっていただろう。 まったく未見の分野なら、ネットやCDROM版の百科事典(かならず複数)をチェックする。 共通する記述(これが調査の前提、そして到達度を計るベンチマークになる)と相違する記述(突き合せ、比較し「違い」を見つけることから調査は始まる)に印をつけ、キーワードになりそうなものにマーキングしたものをプリントアウトして図書館へ持参する。 必要なら、さらに『日本語大事典』や『国史大事典』、関連分野の専門事典など
ようやく木曜日というか、あっという間に木曜日というか。 木曜日には疲れのピークが来ます。金曜日だと「明日は休みだ」という気持ちがあって気が楽のですが、木曜日は「ああ、まだ明日が」というのがあってちょっとキツイ。 実験を沢山入れていると、実験の忙しさにまぎれて疲れも感じないんでしょうが、実験の谷間で時間があいてたりするとつかれがドドドとやってきます。これはキツイですね。誰かと実験のディスカッションでもしないと、まぶたが重くなってしまいそう。 とりあえず、今週の木曜日は無事通過しました。あと一日、ミーティングとかがありますけど、なんとかがんばります。 ↓↓いつも応援ありがとうございます。m(_ _)m↓↓。 人気ブログランキングへ(モバイルの方はこちらから) 薬学関連の学生さん、社会人の方、出会いの場ということで、お気軽に参加を。 ついったー薬学部(薬学関連Twitterユーザーの自己紹介つき
混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 春休みに入ると, やれやれ今年も無事に終わったということになって, 終業式に, 子どもたちにありがとうございましたなどと言われていると, 今年度もなんとかうまく乗り切れたような気になって, 次の年度のことに頭が行ってしまう。 来年度はこうしよう,ああしようと, 新たな気持ちで, さまざまに思い巡らすのは楽しいことである。 しかし,本当に大切なのは, 今年度一年間を本当の意味で振り返ることではないか。 今年度苦しい思いをしたことやうまくいかなかったことを もう一度じっくりとかみしめることなしには, 本当に来年度やるべきことは見えてこないのではないだろうか。
ひきこもりに関しては、各学問の専門性を踏襲しても、議題設定をまちがいます。 なぜなら、《順応すること》それ自体が問題になっているから。 「順応しようとすればするほどドツボにはまる」という主観性の委縮のほかに、 次のような指摘があります: 僕は、「人間力」教育によって子どもを歪めるべきではないという意味で「人間力」が大切だと思います。 これは批判理論第三世代以降の言い方に従えば、「適応」訓練によって、特定課題への「適応度」の上昇と引き換えに「適応力」が落ちる現象です。 「適応」上昇による「適応力」低下は、生物学で「進化の袋小路」現象として知られます。 (『格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII)』p.87、宮台真司氏の発言より) では、適応力を高めるにはどうすればいいか。 いま私が考えているのは、次の3つの絡まり合いです。 (A)主観性の方針 (B)合意形成の手続き
理論についても現場についても、 ある苦痛を和らげようとして、かえって苦しみを強めてしまう ことがあります。 アプローチの仕方が、扱うべき問題を隠してしまう。 森直人氏「社会的排除と教育社会学」より: 「社会的排除」という概念が突破口になるわけではない. そこはくれぐれも勘違いしてはならない.「社会的排除」概念によって研究上の新しいインスピレーションが得られるとしても,そこで得られるもののほとんどは,これまでの教育社会学が「階層」という概念で捉えてきたテーマに尽きる,と私は思う. むしろ,「階層」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握することによって問題の所在が不明瞭になる,と言ってしまってもよい(いったいなんのための「文化資本」や「社会関係資本」という概念の考案だったのか!). 「貧困」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握するこ
理系の学生は教養で文系科目をとることが必要単位になっていることが多い。なのに、文系の学生は理系のことをまったく知らない、なんてことも多い。これってどう考えてもおかしくねぇ? 例えばのはなし、文系の大学生に「科学ミニマル」を教えるとしたらどんな項目が必要かな。自然科学にこだわらないとしても、科学的なものの見方が伝えられたら、その知識は誰にとってもプラスになると思うんだけどな。 一項目授業一時間分として、トピックを紹介する授業があったとする。そのシラバスはどんなふうになるのだろう。ちょっと考えてみよう。 始めに科学哲学的な部分がいるよねきっと 科学科学っていうけどそれって結局何なの?技術となにが違うの? パラダイムってどんなもんよ? ニセ科学はなぜ批判されるのか? それから科学の基礎としての物理 古典物理(論理体系の話とか、それと関連してニュートンはなんで偉かったのかとかの話も) 量子論とか相
はじめまして (ぽち) 2010-03-23 19:18:41 ほり先生 はじめまして。 といっても、ほぼ1年ブログを拝見しております。 私は長く会社勤めをしていたのですが、縁あって今年度から学校で仕事をしています。 高校生に英作文をどうやって教えようかとネットで探して時に出会ったのが先生ブログの「私が受けた英作文の授業」というタイトルでした。すごく参考になりました。 やっと無事に1年を終えましたが、学校現場に初めて飛び込んだ者としては、良くも悪くも毎日が驚きの連続でした。正直、疲れきったし、ヘコむことの方が多かったのですが、そんな私を元気づけてくれたのが先生のブログでした。ありがとうございます。 勝手ながら、これからも毎日チェックさせていただきます!よろしくお願いします! 返信する ようこそ (ほり(管理人)) 2010-03-23 23:56:46 ぽちさん、ご訪問&コメントをありがと
客観性が大事だと言うが、客観とは、他人との共有を求めるということである。他人を説得するのに有用になるのが客観性、客観ということで、しばしば数字が用いられるのは、「抽象」としての共有物だからだ。(抽象とは「同じ」を表すものである。)しかし、外界を捉えることそのものは、捉えるその人にしかできいないことである。これは感覚に根ざして行うことであり、具体的には「暑い」、「寒い」等の主観と言い換えることが出来る。つまり、人によって大いに異なるというわけだ。よって、他人と共有できないものだから説得力に欠け、客観の下に見られることが多くなる。何かの説明を求める際の批判として「それはあなたの主観だ」と言う言葉があるだろう。 しかし、現実の世界を捉えるのに必要なのが、まずは各人の感覚に基づく主観的な判断であるのは間違いのない事実である。これは、客観も主観あればこそということだ。学校の勉強は、抽象であるからには
私が思っていることを自分の言葉で語ると、生徒の中には、面白がって聞いてくれる者と、聞いてくれない者がいる。聞いてくれない理由は、たぶん、自分にはワケがわからないことを言うから、今まで聞いたことがないことを言うから、試験に出ないことを言うから、要は、くだらないと考えるからのようだ。 どこかで聞いたことしか聞こうとしない生徒は、一般に伸びない。面白がる生徒は、ワケがわからないことや新しいことに興味を持つ生徒である。知的能力が高い生徒であることが多いが、必ずしも成績に関係しないような気もする。学ぶ姿勢の有無だろうと思ったりする。そう考えると整合性がある。学ぶ姿勢がない生徒は伸びないからだ。 語る内容は、論理的に整合性さえがあれば、正否そのものはどうだって良いと私は思っている。正しさは彼らが判断すれば良いのである。この点、高校生に語るのは気楽である。でも、語る時間が少なすぎる。それなりに内容のある
広島県呉市出身。呉市立吉浦中学校を経て、1981年に広島県立呉三津田高等学校を卒業後、東京大学教養学部理科I類に入学。1984年、東京大学教育学部に進学。その後、西ドイツに渡る。1989年に東京大学教育学部教育史・教育哲学コースを卒業。 大学時代は堀尾輝久に師事、卒業論文のテーマはシュライエルマッハーとルソー。また統一教会に入信し、東京大学原理研究会にて活動していた[2]。 大学院受験に失敗し、1990年から世界日報記者、1992年には東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程に入学する。この頃合同結婚式で選ばれた配偶者とのトラブルがあったことをきっかけに統一教会を脱会する。博士後期課程に進学後、1995 - 96年ドイツのマンハイム大学に留学、1996年に博士後期課程を特例で2年次修了し、東京大学より博士(学術)の学位を取得。博士論文のテーマは「〈隠れたる神〉の痕跡 - ドイツ
本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」(参照)のテーマとなるハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者だ。名前からわかるように女性で、若いころは彼女の先生だった哲学者ハイデガーと濃い師弟関係もあった。後年ナチス政権を逃れ、フランスを経て1941年に米国に亡命した。その後米国で英語での主要著作をなし、1975年、期待される大著執筆の途中、68歳で没した。 彼女の思索が注目されたのは、その経歴の刻印にも関係するが、ナチスという政治体制を筆頭に、20世紀の全体主義体制をどのように考えたらよいかという課題に、独自の議論を展開したことによる。その独自性の意味合いと、彼女の最終的な思想の帰結について、本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」は、新書として軽い文体で書かれているものの、明確に描き出していて読み応えがあった。私はアーレントの
本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」(参照)のテーマとなるハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者だ。名前からわかるように女性で、若いころは彼女の先生だった哲学者ハイデガーと濃い師弟関係もあった。後年ナチス政権を逃れ、フランスを経て1941年に米国に亡命した。その後米国で英語での主要著作をなし、1975年、期待される大著執筆の途中、68歳で没した。 彼女の思索が注目されたのは、その経歴の刻印にも関係するが、ナチスという政治体制を筆頭に、20世紀の全体主義体制をどのように考えたらよいかという課題に、独自の議論を展開したことによる。その独自性の意味合いと、彼女の最終的な思想の帰結について、本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」は、新書として軽い文体で書かれているものの、明確に描き出していて読み応えがあった。私はアーレントの
ハンナ・アーレント(アレントとも[1]、Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家である。ドイツ系ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツからアメリカ合衆国に亡命し、教鞭をとった。 代表作『全体主義の起源』(1951年)などにおいて、ナチズムとソ連のボリシェヴィズム・スターリニズムなどの全体主義を分析したことで知られる[2][3][4]。 ドイツ、ケーニヒスベルクの旧い家柄である、ドイツ系ユダヤ人のアーレント家に生まれる。出生地はハノーファー郊外のリンデン(Linden)。父は工学士の学位を持ち、電気工事会社勤務のパウル・アーレント、母はマルタ・アーレント。両親ともに社会民主主義者であった。 父パウルはギリシアやラテンの古典についての深い造詣を持つ教養人で、ハンナの読書は彼の蔵書から始まった。母マルタは注
お金の相談をしてみたいけれど、どこに相談したら良いかわからないと迷っている方へ、相談する内容に合わせて適した相談先をご紹介します。相談するときに知っておくと役立つポイントについても解説しますので、お金について気になることがある人はぜひ参考にしてください。 お金に振り回されず、賢くお金を使って豊かに暮らしていくためには、お金についての知識が必要ですが、日本人は特にお金の話が苦手な民族です。 お金の相談なんて誰にもできないと思っている人、お金に対してネガティブなイメージを持っている人も少なくなく、人前でお金の話をすることは卑しいことだと感じる人もいるでしょう。 しかし、生きていく上でお金は必要なものですし、お金がなくては現実問題、生きていけません。 お金にまつわる悩みは誰しも持っているのではないでしょうか?それなら、お金の専門家に相談してみましょう。 お金の貯め方、使い方、上手な節約法など、お
ジョン・ローマー(John E. Roemer、1945年2月1日 - )は、アメリカ合衆国の経済学者・政治学者。 彼は現在、政治科学と経済学を担当するイェール大学のエリザベス&ヴァリック・スタウト記念教授の任にある。イェール大学に着任する前はカリフォルニア大学デイヴィス校の経済学部にいた。アカデミズムの世界に入る前には、ローマーは数年間,労働組合のオルガナイザーをつとめていた。 ローマーは、1966年ハーバード大学から首席で数学の学士号を受けた。その後、彼は数学の研究を続けるため,カリフォルニア大学バークレー校の大学院へ進んだが、ベトナム戦争の間、彼が行った政治活動のせいで退学処分となった。最終的には、1974年、バークレー校から経済学の博士号を受けた。 ローマーは当初から左派の経済思想に強い関心を持っていた。彼は分析的マルクス主義者のひとりであり、ジェラルド・コーエンやジョン・エルスタ
※『分配的正義の理論』のお詫び ※全学教育科目(経済と社会)の配布資料を載せました。(教育関係にある科目名をクリック) 国際文化研究科公開講座 11.16~11.30, 2013 日本シミュレーション&ゲーミング学会 2013年度秋季全国大会 大会ミニシンポジウム企画 Call for Papers ! 徒然なるままに… 熊田先生を偲ぶ 5.15,2009 回想録 JAPA2011への提言 06.06,2011 日本環境共生学会ワークショップ 06.25,2011 出前授業【八戸北高等学校】 11.16, 2011 出前授業【東長町小学校】 11.7, 2013 (略歴) 山口県生まれ 山口県立柳井高等学校 東京工業大学理学部数学科 東京工業大学大学院システム科学専攻 (職歴) 東京工業大学工学部社会工学科計画数理講座 帝京技術科学大学情報学部情報システム学科 東北大学教養部統計学科 東北
新社会人に贈るシリーズ。今回は、仕事の基本についてです。 『仕事』と『作業』 まず、『仕事』と『作業』という言葉の定義をしたいんですけどもね。 『仕事』 その日にやること決めたりまとめたり順序立てて準備すること。 『作業』 資料の作成やメール送信、ものづくりなど、実際に手を動かすこと。 要は、『仕事』とはやるべき事を『作業』レベルまで落とし込むことです。『作業』まで落とし込まれれば、後は特に判断を交えること無く淡々とこなしていくだけです。この「淡々と作業をする」状態をいかにうまく作るか、が『仕事』の上手さです*1。 上司になればなるほど『仕事』をすることが求められます。やるべき事を『作業』レベルに分解して、部下に投げる必要があるからです。これができずに上司になると、ミスター丸投げと呼ばれて忌み嫌われてしまうわけです。そうならないよう、新社会人になった時から『仕事』出来るように意識しておきま
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