これが声優批評家であれば、道徳的関心を括弧にくくって純粋なる美的関心のもとに声優の声を聴くカント的態度をとりうるのでしょうが、蓋し声ヲタとはこのような態度を取るには不自由すぎるのです。なんとなれば声ヲタにとって声を聴く私とは、声優の声がその中で響きあう単なる入れ物ではなく、声優をbegreifenしようとし、そのためにときに声優に対して敵対的に振舞いさえする能動的主体だからです。そうしてかれの中につくられた声の星座的布置は、一種の法となって、かれと声の世界を仲介します。その法はそれ自身の体系においてすでに簡潔しており、かつ綜合的なものです。その法がつくる距離のみが、声ヲタと声優を隔てる唯一の距離なのです。この意味で、かのナンジョルノによって刻印付けられた言葉は、少し改変を加えれば正しいのです。すなわち「声優といつかは戦うべき相手、それは声ヲタの理性かも」。したがって艦これの政治的強度がかれ