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2016年5月12日のブックマーク (2件)

  • 「おける論文」、「横のものを縦に研究」への批判について - 昆虫亀

    「自分で一から考える」型の研究を称揚し、「おける論文」「横のものを縦に」系の研究をけなす論調は、人文系の研究ではたびたび見られるし、「反省的に思考する」作業を重視する哲学分野では、数ヶ月に一度聞く話。 これモチベーションはわからなくもない*1し、自分で考えることそれ自体には重要な意味があると思うのだが、こういう話を聞くにつれ、いつも「一般向けの哲学カフェはさておき、専門家なら先行研究をふまえて議論しましょうね。そうしないと学術的に無駄が多いよ」という論点でオチが着く。ここまでだと大して面白くない話。 ただ最近は、「日の」「今の若手」研究者に向って「自分で考える研究のほうがすばらしい」と説教することの害については、一度(というか大事なことなので繰り返し)明示しておいたほうがいいかな、と思うので、ブログ書いときます。 1.まず「日の」という部分について。非西洋言語圏の中で、西洋文化の議論を

    「おける論文」、「横のものを縦に研究」への批判について - 昆虫亀
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/05/12
    趣旨には賛同で、そういう文献の世話になることも多いが、自分が「某における何々」式タイトルのいかにも論文くさい論文を発表すると考えると躊躇してしまう。学問的価値を持ちつつ「作品」たりうるものを書きたい。
  • 共感覚から見えるもの [978-4-585-21033-7] - 4,620円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

    聞こえる音が味になり、文字に色がつき、匂いが見える…。身体と言葉が結びつく。 ある感覚が発生すると、同時に別の感覚が呼び覚まされる共感覚。 認知科学の研究対象として注目を集め、文学・芸術にも多くの「共感覚」が見出されている。 共感覚の科学研究と文学・芸術からのアプローチを交差させ、「身体」と「言葉」から、その感覚世界に迫った。 まえがき 北村紗衣 序論 共感覚の世界―何が起こっているのか 北村紗衣 共感覚の科学研究 松田英子 第Ⅰ部 身体 ミラータッチ共感覚と身体的自己意識 鈴木啓介(The University of Sussex) ダンスに応答する共感覚―アラン・プラテル“Wolf” における諸要素と諸感覚の関係― 三宅舞 共感覚的演劇を求めて―『驚愕の谷』からシェイクスピアまで 北村紗衣 近代芸術と共感覚―「共働する感覚」への総合芸術的問いかけ― 後藤文子 社会は〈第六感〉の夢を見る

    hhasegawa
    hhasegawa 2016/05/12
    『共感覚から見えるもの』の版元紹介と目次はこちら。自然科学から芸術まで、文学では日本、欧州、ペルシャなど多彩(私のは主に独文担当)で、執筆者としても他論文をはやく読みたい。とはいえ夕べの国には未到着。