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歴史に関するhighAAAのブックマーク (111)

  • 誰がラムセス3世を殺したのか? ついに解かれた「3000年の謎」

    ラムセス3世は古代エジプトの最後の偉大なファラオだった。しかし、ラムセス3世は当に自分の妃が企てた陰謀で暗殺されたのかどうか、何世紀にもわたって謎に包まれていた。ラムセス3世のミイラが発見されても、現代の技術が古代のこの未解決事件を解決するまで、謎は深まるばかりだった。(Photograph by Brugsch Pasha, The Royal Mummies, University of Chicago) 陰謀を企むたち。叫び声を上げるミイラ。何世紀にもわたる憶測。紀元前1155年ごろ、古代エジプトのファラオであるラムセス3世を暗殺しようと企てた、いわゆる「後宮の陰謀」にまつわる疑問は3000年以上も続いてきた。後継者争いによる陰謀はまるで現実の『ゲーム・オブ・スローンズ』のようだが、現代の考古学者たちがこの謎を解き明かした方法は探偵番組顔負けだ。 歴史家たちは、この陰謀がラムセス

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  • 伊ポンペイの別荘遺跡で「奴隷部屋」発見

    イタリアの古代ローマ都市遺跡ポンペイ近郊のチビタ・ジュリアーナにある別荘の遺構で発掘された「奴隷部屋」。ポンペイ考古学公園提供(2021年11月6日公開)。(c)AFP PHOTO / POMPEII ARCHAEOLOGICAL PARK / HANDOUT 【11月7日 AFP】イタリア南部の古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)の遺跡調査チームは6日、西暦79年のベズビオ山(Mount Vesuvius)の噴火で破壊された屋敷跡で、非常に珍しい「奴隷部屋」を発掘したと発表した。 小部屋にはベッドが三つの他、陶器や木箱も見つかった。発掘場所はポンペイ近郊にあった別荘地チビタ・ジュリアーナ(Civita Giuliana)の邸宅遺構で、ここでは今年初めにローマ時代の戦車がほぼ完全な形で発見されている。考古学者らは、今回発掘された部屋では戦車の維持管理を担当する奴隷が暮らしていたとみてい

    伊ポンペイの別荘遺跡で「奴隷部屋」発見
  • 植民地の歴史に消えた、アフリカ・ベナンの世界唯一の「女だけの最強軍隊」 | 孫たちの証言を通じ、女戦士たちの記憶を現代に留める

    近世、現在の西アフリカ・ベナンを支配したダホメ王国には、世界でも珍しく、女性だけで構成される軍隊があった。同国の植民地化で同軍も歴史から消え去ったが、女戦士たちの生きざまについて記録するプロジェクトが現在進んでいる。 女戦士たちに関するわずかな記録 彼女の祖母は、人の頭をカーブした刃で切り落とすことができ、とげだらけの壁を越えることもできた。そして祖母は王を守るために一生を捧げた。 年老いた女性の語ったこれらの証言は、外国人探検家のメモにも記された。しかし、近代史唯一の女性だけの軍隊であるダホメ王国の女戦士たちについて、全体像を捉えることはできていなかった。 研究者たちは何十年もかけてヨーロッパや西アフリカの古文書を調べ上げ、フランスの将校、イギリスの商人、イタリアの宣教師の手記から、その姿を明らかにしようとしてきた。

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  • 室町時代の日本人はめちゃくちゃ荒っぽかった? 明大教授が語る、ハードボイルドな日本人像

    清水克行の歴史エッセイ『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)に取りあげられている中世の日人は、現代の日人像からあまりにかけ離れている。まるで、マンガ『北斗の拳』や映画『マッドマックス』のような世界観のようにもみえる。 農民が武器を手に隣村と戦(いくさ)をしたり、行きかう船から通行料をせしめる「賊」が横行していたり。家族のなかでも、人身売買で人が財産として扱われたり、夫の浮気相手をが仲間を引き連れて襲撃したり。室町時代(1336年〜1493年)の日人は、とかく荒っぽかった。 彼らはなぜ、ハードボイルドだったのか。なにゆえアナーキーでアウトローな生き方をしていたのだろうか。歴史学者で明治大学教授でもある著者に話を聞いた。(土井大輔) 「武士道」からも現代の価値観からもかけ離れた行動 ーー室町時代の人たちには、どのような面白みがあると考えていますか? 清水克行(以下、清水):たとえば、

    室町時代の日本人はめちゃくちゃ荒っぽかった? 明大教授が語る、ハードボイルドな日本人像
  • 戦国時代&大航海時代は「奴隷時代」罪なき日本人は何処へ売られたか

    大航海時代――。 いかにもワクワク気分で「お宝目指して冒険の旅に出かけるぞ!」的な印象を受けますよね。 しかし、この言葉はあくまで冒険に出かける欧州人からの目線であり、征服された側の先住民にとっては悪夢以外の何物でもありません。 特に世界規模で、人類に大きな瑕疵となったのが「奴隷」でしょう。 この時代、ポルトガル人等は世界各国で現地人を捕まえては売り払う、極めて非人道的な奴隷貿易を行っていました。 織田信長に仕えた黒人侍「弥助」もアフリカ(モザンビークと推定)から連れてこられた一人です。 ※以下は「弥助」の関連記事となります ここで勘違いしてはならないのが、この奴隷売買は、一方的に日へ持ち込まれたものではないということ。 日からも大勢の日人が奴隷として売りに出されていたのです。

    戦国時代&大航海時代は「奴隷時代」罪なき日本人は何処へ売られたか
  • ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー

    ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー 写真:Werner Forman/Universal Images Group/Getty Images ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著『大航海時代の日人奴隷 増補新版』(中公選書)は、書名の通り、大航海時代まっただ中の16世紀――日では戦国時代――に、多くの日人がポルトガル商人たちによって世界各地へ奴隷として売られていたことの実証研究をまとめたものである。旧版は好評を得て5刷と広く読まれたが、増補新版ではイエズス会の日人奴隷取引とのかかわりや、秀吉の朝鮮出兵によって長崎市場が朝鮮人奴隷だらけになったことなどに関する研究を補章として加え、旧版以上に驚くべき内容となっている。 東京大学大学院情報学環(史料編纂所兼任)の岡美穂子准教授に、この時代の日/日人の奴隷貿易につい

    ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー
  • 「光秀公、やっぱり坂本城は遠いです」 明智光秀最期の一日を歩いてみた|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    明智光秀を主人公にしたNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」が2月7日で最終回を迎える。おそらく光秀の最期も描かれるはずだ。伝承によると、光秀は、山崎の戦い(京都府大山崎町・長岡京市付近)で豊臣秀吉に敗れ、領地の坂城(大津市)に落ち延びようとした途中、現在の京都市伏見区にあたる小栗栖(おぐりす)で落ち武者狩りに遭い、命を落としたと言われている。では、山崎の戦場からの逃避行はどんな感じだったんだろう。実際に歩いてみることにした。 まず降り立ったのは、阪急電鉄西山天王山駅(長岡京市)。山崎の戦いの際、秀吉が占領した天王山のほど近くだ。一方の光秀が陣を敷いたといわれるのは恵解山(いげのやま)古墳(長岡京市)だ。古墳に向かう道をたった一人で歩き出す。同行者はいない。 計画を実行に移す前、部内の会議で「光秀の最期の一日を思って小栗栖まで歩いて記事にしようと思う」と話した。しかし後輩2人はシラッと

    「光秀公、やっぱり坂本城は遠いです」 明智光秀最期の一日を歩いてみた|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
  • 6500枚の銀貨や王族の名前が刻まれた金の指輪がトウモロコシ畑から発掘される

    ポーランド中西部のスウシュクフにあるトウモロコシ畑の地下から、6500枚の銀貨を含む6600点以上の中世の宝飾品が発掘されました。 Medieval treasure trove ‘belonging to princess’ found in cornfield following tip off from village priest – The First News https://www.thefirstnews.com/article/medieval-treasure-trove-belonging-to-princess-found-in-cornfield-following-tip-off-from-village-priest-18571 6,500 medieval coins and rare gold rings unearthed in Polish cornf

    6500枚の銀貨や王族の名前が刻まれた金の指輪がトウモロコシ畑から発掘される
  • 小田氏治 - Wikipedia

    姓は藤原氏(中臣鎌足、藤原道兼(道長の兄)を祖)とする他、家系は宇都宮氏の一門・八田知家を祖とする関東の名族小田氏で、関東八屋形の一つ。常陸の大名小田氏15代にして小田氏最後の当主。後に出家して天庵(てんあん)を号す。小田政治の子。小田友治、小田守治の父。室町幕府第12代将軍足利義晴の従弟に当たる。娘(年齢的に守治の妹)に結城秀康(徳川家康の子)の側室がいる。 常陸の佐竹義昭・義重父子や下総の結城政勝・晴朝父子、越後の上杉謙信と戦い、相模の北条氏康・氏政父子と手を結んで父祖代々の地の防衛に努めた。30年以上にもおよぶ城・小田城争奪戦など度重なる合戦でしばしば勝利を収めるも、上杉氏や北条氏の援助が弱まり孤立すると佐竹氏の激しい攻撃に晒された。晩年は豊臣秀吉に所領を没収され大名小田氏は消滅したが、後に結城秀康に仕えた。[9] 後世にも「戦に弱い戦国武将」の代表格として語り継がれている[10

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  • 水野勝成 - Wikipedia

    勝成は幼名を国松といい、若名を藤十郎といった。『寛政重修諸家譜』では母・妙舜尼は都築吉豊の娘としているが、水野家の文献では願寺光佐の妹となっている[注釈 4]。永禄7年(1564年)に三河国刈谷の生まれとされるが、父・水野忠重は当時、同国岡崎に住んでおり、記録と矛盾している。忠重が鷲塚城主をしていた時代の子供であるから、鷲塚生まれとも考えられる。 初陣は天正7年(1579年)の遠江高天神城攻めで忠重に従って出陣するが、このときは武田勝頼の撤退により戦にはならなかった。同年、徳川秀忠が誕生すると、勝成は乳兄弟とされた。天正8年(1580年)、父の忠重が織田信長に引き抜かれ、刈谷の大名[注釈 5]になる。勝成は奥田城、細目城を任される。 同年の第二次高天神城の戦いに忠重と共に参加し城を攻めた。しかし、戦いは翌年まで続き最後は城から城兵全員が討って出て大激戦になったといわれる。このとき勝成は1

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  • 5000年前の「クリスタルの短剣」がスペインで見つかる

    by Miguel Angel Blanco de la Rubia スペイン・アンダルシア州セビリア県にある古代遺跡から、紀元前3000年の物とみられる「水晶製の短剣」が見つかりました。研究者は、発見された場所では水晶が簡単には手に入らないことから、「短剣は社会的地位がある人のための特別な品だった」と推定しています。 Scientists find amazing 5,000-year-old crystal dagger in Spain https://www.zmescience.com/science/archaeology/rock-crystal-dagger/ The Crystal Weapons of Prehistoric Spain - The Daily Grail https://www.dailygrail.com/2016/09/the-crystal-we

    5000年前の「クリスタルの短剣」がスペインで見つかる
  • 古代の #諏訪湖 の想定図 『ひっ、広い…しかも、下社・上社の関係が一目で分かる! 』

    パト @pat_1308 @fushunia 『古事記』ではタケミナカタが「科野国の洲羽の海」に逃げたと言われているのと、上社宮には「天竜川の源流」と言われているスポットがあるのは納得出来ますね 2021-01-14 20:56:27

    古代の #諏訪湖 の想定図 『ひっ、広い…しかも、下社・上社の関係が一目で分かる! 』
  • 今はなき「死者を運ぶ鉄道」の歴史、19世紀の英国

    1854年、英国ロンドンのウォータールー駅にできたロンドン・ネクロポリス鉄道の入り口。1890年代に撮影。(SCIENCE & SOCIETY PICTURE LIBRARY/GETTY) 19世紀の英国ロンドンは破裂寸前だった。産業革命をきっかけに、地方の若者が職を求めて押し寄せ、世界最大の都市は人であふれかえった。工場からすすだらけの煙が吐き出され、道路は馬のふんに覆われ、テムズ川は生活排水で大いに汚れた。 生きている人だけでなく、死者も混雑した。それまでロンドンの死者は教会の小さな墓地に埋葬されてきたが、人口が急増したおかげで、こうした墓地だけでは対応できなくなった。死者たちは小さな墓地にすし詰めにされ、大雨が降るたび遺体があらわになった。 1830年代、ロンドン初の大規模な民営墓地が認可を受けた。広く隅々まで手入れされた公園のような7つの墓地は、「マグニフィセント・セブン」と呼ばれ

    今はなき「死者を運ぶ鉄道」の歴史、19世紀の英国
  • 死刑よりも過酷だった!? 関ヶ原合戦西軍の副将も味わった島流しの地獄 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    「島流し」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか? おそらく、謀反のような重罪を犯したものの、死刑は免れるかわりに小島に送られ、そこで生涯を全うする―こういった印象を持つ人が多いでしょう。 そこでの生活は、派手ではないものの、つつましやかに暮らすことは許され、牧歌的ともいえる日々であったと想像するかもしれませんね。 しかし、その実情は、多くの罪人にとって「死刑のほうがまだマシ」といえそうなほど過酷な世界であったのです。 この記事では、流刑者が多かった江戸時代を中心に、島流しの伝説を紹介したいと思います。 日初の流刑者は皇女だった 日の流刑の歴史は古く、正史では日書紀に出てきます。第19代天皇の允恭(いんぎょう)帝の治世というから、西暦では5世紀の話です。 允恭帝には9人の皇子・皇女がいましたが、皇太子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)が近親相

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  • 小林哲 🌤️ Tetsu KOBAYASHI on Twitter: "南米ペルーのアンデス高地で狩猟具と一緒に見つかった9千年前のハンターとみられる遺骨の性別を調べたところ、意外なことに女性だったことが判明。男が獲物を狩り、女が木の実などを採集する狩猟採集社会の通説に一石を投じる発見に。サイエンス誌… https://t.co/Dec4OAuKs3"

    南米ペルーのアンデス高地で狩猟具と一緒に見つかった9千年前のハンターとみられる遺骨の性別を調べたところ、意外なことに女性だったことが判明。男が獲物を狩り、女が木の実などを採集する狩猟採集社会の通説に一石を投じる発見に。サイエンス誌… https://t.co/Dec4OAuKs3

    小林哲 🌤️ Tetsu KOBAYASHI on Twitter: "南米ペルーのアンデス高地で狩猟具と一緒に見つかった9千年前のハンターとみられる遺骨の性別を調べたところ、意外なことに女性だったことが判明。男が獲物を狩り、女が木の実などを採集する狩猟採集社会の通説に一石を投じる発見に。サイエンス誌… https://t.co/Dec4OAuKs3"
  • 王妃アントワネットとフェルセン伯のラブレター、黒塗り部分の解読に初成功

    仏パリ南西部のベルサイユ宮殿に展示されている彫刻家フェリックス・ルコント作の王妃マリー・アントワネットの胸像(2019年4月12日撮影、資料写真)。(c)ALAIN JOCARD / AFP 【6月4日 AFP】仏国立公文書館(French National Archives)は3日、フランス革命中に処刑された王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette)が恋人のフェルセン伯爵(Count de Fersen)と交わした手紙の中で、インクで塗りつぶされ判読不能となっていた箇所の解読に成功したと発表した。 王妃とフェルセン伯は、1789年の仏革命から2年後も手紙のやりとりを続けていた。当時、王妃と夫の国王ルイ16世(Louis XVI)はパリ脱出に失敗し、チュイルリー宮殿(Tuileries Palace)で幽閉生活を送っていた。 今回、新技術を用いて解読されたラブレターの一

    王妃アントワネットとフェルセン伯のラブレター、黒塗り部分の解読に初成功
  • 歴史的に貴重な中世アイルランド語写本「リズモアの書」、英国からアイルランドへ帰還 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    中世アイルランド文学の重要な写の一つである「リズモアの書」が、現在の持ち主である英国の貴族デヴォンシャー公爵からアイルランドの国立大学ユニバーシティ・カレッジ・コーク(University College Cork, UCC)へ寄贈された。1640年代に戦争で持ち去られて以来、約380年ぶりの返還となる。 「リズモアの書(英語” Book of Lismore “, アイルランド語” Leabhar Leasa Móir “)」は中世のアイルランド南部マンスター地方で最大の領主であったカーベリー領主(Lord of Carbery)の第十代当主フィンギン・マッカーシー・リーク(” Finghin MacCarthy Reagh” , 1478-1505)のために編纂されたゲール(アイルランド)語写である。 リズモアの書に収録されている物語はアイルランドの聖人たちと関連する黙示録の物語、

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  • オーディンら北欧神話の神々を祀ったノルウェー最古となる八世紀頃の神殿が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「オーディンのイラスト」(ラディック・ピーチ画、”Murray, Alexander (1874). Manual of Mythology “、パブリックドメイン画像) ノルウェーで八世紀頃の北欧神話の神々を祀った神殿「神の家(ノルウェー語” gudehov ” , 英語godhouse”)」が発見された。調査にあたったベルゲン大学博物館(ノルウェー語”Universitetsmuseet i Bergen” , 英語”University Museum of Bergen”)によると、ノルウェーで発見された同様の神殿としては最古の例となるという。 ノルウェー西部の主要都市オシュタ(Ørsta)に近いオーサ(Ose)村で宅地開発の準備のための発掘調査を行ったところ、約2000~2500年前の農村の跡と八世紀頃の神殿の遺構が発見された。遺構は、長さ約45フィート(14メートル)、幅26フ

    オーディンら北欧神話の神々を祀ったノルウェー最古となる八世紀頃の神殿が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 中国の奇習「纏足」とは何か? 106歳「最後の纏足女性」が“素足”を晒して証言 | 中国ニュース拾い読み 

    女児の足を縛って、人為的にその発達を抑える中華民族特有の風習「纏足(てんそく)」。女性の性的魅力を高めるとして、20世紀中頃までおこなわれていた習慣だが、今、「最後の纏足世代」が急速に姿を消しつつある。高齢となった彼女たちが、自らの生涯と纏足について語り始めた。 そもそも纏足とは何か? 中国では一般に「小脚(シァオジァオ)」とも呼ばれる纏足は、幼女の足首から先を布できつく縛って足の成長を阻害し、故意に小さく変形させる奇習だ。纏足をされた女性は、生涯にわたり歩行困難を強いられる。 纏足するには、女児が4~5歳になると長さ約3mの帯状綿布で両足の足首から先をそれぞれきつく縛り、発育を故意に抑える。施術中の女児は高熱を発するため、纏足は秋におこなわれた。女児は麻酔代わりにアヘンを吸わされた上で寝台に固定され、親指を除く8の足指を内側に強く折り曲げられ、時には舟状骨や距骨など足の甲の骨を石で砕い

    中国の奇習「纏足」とは何か? 106歳「最後の纏足女性」が“素足”を晒して証言 | 中国ニュース拾い読み 
  • カエサル暗殺を記念した希少金貨、3億6500万円で落札 記録更新

    古代ローマの将軍カエサルの暗殺を記念した金貨が3億6500万円で落札された/Roma Numismatics Limited 共和政ローマ末期の将軍ユリウス・カエサルの暗殺を記念した金貨が競売にかけられ、硬貨で過去最高額となる270万ポンド(約350万ドル=3億6500万円)で落札された。 金貨は紀元前44年にカエサル暗殺を首謀したマルクス・ユニウス・ブルートゥスの肖像を描いたもの。 このほか、ブルートゥスと共謀者のカシウスが暗殺に使った短剣や、解放奴隷に与えられた自由を象徴する帽子、カエサルが死亡した3月15日を表す語句も刻まれている。 金貨は暗殺から2年後の紀元前42年にブルートゥス自身が発行した。 競売を手掛けた英ロンドンのオークションハウスの責任者は声明で、この金貨について「カエサル暗殺に使われた武器と実行の正確な日付、動機を提示するという比類のない権力誇示行為が見て取れる」と指摘

    カエサル暗殺を記念した希少金貨、3億6500万円で落札 記録更新