教訓生きなかった福島原発の事故 専門家とは誰か ■インタビュー 3・11 水俣から 半世紀以上前に熊本県で起きた水俣病から、私たちはいったい何を学んできたのだろうか。福島第一原子力発電所の事故から日を追うごとに、水俣で問われ続けたこの国の「病巣」が次々と浮かび上がる。専門家とは、安全とは、賠償とは。現場主義を貫き、水俣病の患者に寄り添って問題提起を続ける医師、原田正純氏に聞いた。 ――福島第一原子力発電所の深刻な事故を、どう受け止めましたか。 「懲りてないねえ」 ――懲りてない、とは。 「水俣病では、政府も産業界も学者も、安全性の考え方を誤ったんです。その後のいろいろな薬害でも、カネミ油症でも、危険が起きる前に危険を予測し、対策を立てられるはずだった。50年たっても教訓は生かされていない」 「今回、最初はぼくも天災だと思った。でもだんだんわかってくると、やはり人災だった。大地震が起きたり大