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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (17)

  • 無珍先生の帰還 - kom’s log

    無珍先生がドイツに帰還して3ヶ月半になる。彼は結局、1年を日で過ごしわたしのもとに戻ってきた。戻ってきた、というよりも、あれやこれやの大人の事情で戻すことにした、というのが正しい。5歳の子供はまだ、悲しいほどに素直で泣きたくなるほど大人の言うなりなのである。実質上の母親である義理の妹との別れも、意外なほどあっさりしたものだった − というよりも、別れの悲しみという表象はまだ彼の中に確立していないのかもしれない。わたしが一年前、彼にしばしのわかれを告げた時に、表情もかえずにナミダだけボロボロと流したように。悲しみもまた、人間が学ぶなにがしかの表象なのである。 一年経って彼はすっかり少年になった。細いからだから弾けるようなエネルギーで突然走りだし、みるみる遠くまで走っていった向こう側から手をふって「はやくきてよ」せかす。そうかと思うと、先を行くわたしに「待ってっていっているでしょ」と半泣きに

    無珍先生の帰還 - kom’s log
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    hmmm 2014/06/25
    なんかほっとした。
  • 2012年年末・日本 - kom’s log

    年末に3週間ほど日に帰国していた。なんだかんだいってクリスマス直前までデニーズに通って仕事をし、明けて3日にはこちらに戻ってくるという何しに行ったんだか、という滞在ではあったが、いちばんの目的であった無珍先生を日の幼稚園に通わせる、というプランを達成することができた。 デニーズの最近のデザートを全て制覇したのも特筆に値する。店内で無線LANを無料で使えるというのも、公衆ネット環境が時代遅れな日におけるゆっくりとした進歩を感じさせてくれた。席に座って周りを眺めると、ラップトップで仕事をしている人も結構いて、一度は大学院生っぽい男がRでなにやら計算して四苦八苦している様子で、おお、同志よ、ということでニヤニヤしてしまった。一方でファミリーレストランに行こうとしたら、以前は犬も歩けばファミレスにあたる、という感じで探す必要もなかったのにずいぶんと数が減ってしまった。高校時代ファミレスで放課

    2012年年末・日本 - kom’s log
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    hmmm 2013/03/06
  • 無声慟哭 - kom’s log

    朝の5時半、寝ていた無珍先生が起こされた。 「いいかい、パパは今ドイツに戻る。無珍先生はネエネと日で暮らすんだよ」 私はそう伝えた。無珍先生は目を見開いた。その目がみるみるうちに潤んでいった。たちまち大粒のナミダがボロボロと流れた。しかし表情はかわらず、目を大きく開けたまま、声も出さずにナミダだけがこぼれ頬を伝い寝間着に染みこんでゆく。一言も泣き声をあげずに、口を結んだまま。私は絶句した。産みの母親を生後二ヶ月半で失い、四歳になって一ヶ月、父親の私も離れていこうとしている。 私は玄関でを履きバックパックを肩にかけ、義理の妹がだっこしている無珍先生に向き直った。無言の私、無言の無珍先生。義理の妹も無言のままじっと無珍先生を抱きしめている。じゃあ、オーベン(肩車)してあげようか、というと、無珍先生はいつものようにうれしそうな顔で両手をめいっぱい伸ばしてきた。肩にのると、毎度のことながら私の

    無声慟哭 - kom’s log
  • フィンランドの国際化 - kom’s log

    フィンランドのことでメモしておくべきことがある。2007年に教えたときと、今回2012年の大きな違い。学生の構成である。教室にやってくる学生は、院生からポスドクたちなのだが、2007年の時点ではそのほとんどがフィンランド人だった。留学生というと、スウェーデン人、イギリス人、ドイツ人がちらほら。日人もひとりだけいた。フィンランド人の学生って日の学生に良く似ているなあ、と思ったのは、講義の途中でなにか質問は?と聴くと、シーンとしている一方、では終わりますといって、廊下にでると小走りで追っかけてきて、すみません、ちょっと質問が、とすまなそうな顔をしていいに来るところだった。まあ、そんな感じだったのである。 5年後の2012年、教えに行ってみたらなんと半分以上、70%が留学生だった。ヨーロッパの留学生、というよりもインド人、中国人、アラブ人、ペルシャ人、アフリカ人。正直言って、あんなにたくさん

    フィンランドの国際化 - kom’s log
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    hmmm 2012/10/09
  • 近況 - kom’s log

    7月に日にいって帰ってきてから、無珍先生はたいへんごきげん斜めで「パパ日にいった」となんどもいうので、ちょっとめいった。 8月の初めに3人でしばしミュンヘンに。春からバーゼルからミュンヘンにうつって仕事をしている大学院の研究室の先輩の家に宿泊。以前みたいに夜中まで酒飲みながらしゃべって楽しかった。無珍先生が産まれてから二ヶ月、仕事をほっぽりだしてうちにとまりこみ、世話をしてくれていた人だからかなんなのか、なつき方が他の人と違う。 ミュンヘンでは友人結婚披露宴。じつになごやかでいい宴だった。しばらくあっていなかった知人一同にまとめて会えたのもよかった。まー、なんかみんな歳とったなあ。私もそうだけど。 無珍先生、ミュンヘンで格的にプールデビュー。水に入っているときの必死な形相はまれにみるような必死さであったが、とても楽しかったらしい。着替えてプールの門からでるなり、大きな声で「じゃぶし

    近況 - kom’s log
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    hmmm 2012/10/09
  • フランクフルトの税関 - kom’s log

    このところフランクフルトの税関で立て続けに演奏家のバイオリンが課税対象になってその場で払えない高額であるため没収された、という件が話題になっている。 http://matome.naver.jp/odai/2134941753199027401 http://nofrills.seesaa.net/article/296070497.html あららー、と思っていたら10日前私が日からドイツに戻ってきたとき、見事にフランクフルト空港ターミナル1の税関で引っかかった。私は近年税関で捕まることは滅多にないのだが、今回はいかにも移民風な安い布製のでかいスーツケースにボロい小さなボストンバックだったんで、怪しい、と思われたんだろうな、と捕まった瞬間に思った。以前はかなりヨレヨレの格好していたからよく捕まっていたものである。 とはいえ今回なにが問題になったかというと、スーツケースに一杯入っていた両

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    hmmm 2012/10/09
    "「...さあ、没収してください。今週ワークショップで教えるんでこまりますが、研究所に事情は話します。受講者たちにも説明します。だから没収の書類を早速つくるように」"
  • ■ - kom’s log

    ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜 - kobeniの日記 http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20100423/1272031425 片親で乳児を育てることになった私は、日だったら研究職はあきらめなければなかっただろうな、と想像する。義理の妹がいまだに手伝ってくれているとはいえ、仕事の絶対量は確実に減った。予防接種やら熱出したやら、といったときに私は仕事を中座して病院にいき親権者として同意書などにサインせねばならない。流感であれば登園禁止になるので仕事を休んで家で面倒をみる。仕事をこれまた中座して子供の保育園の行事にも出席し、他のおかあさんたちとドイツ語で歌なぞうたう。それでもなお、仕事を続けられているのは、社会にそれをうけとめるだけの余裕があるからだと思う(個人の職業倫理としては仕事のクオリティに確実にかかわ

    ■ - kom’s log
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

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    hmmm 2009/04/07
  • The Formula of the End In Itself - kom’s log

    めずらしく雪の積もった街を急ぎ足で歩く。 彼女と7年間一緒に暮らし、寝ていたネコが死んだときいたのは、どうしょうもなく忙殺されていたそのさなかだった。私も好きな黒くて、足の先が下を履いたように白い小さなネコだった。すこしだけ忙しくなくなった今、いつネコが死んだのかが気になってあらためて電話をかけてみた。2月5日だった。彼女が脳死で死ぬはずだった日だ。愕然とした。そんなこともあるのだな、と思った。ちょうど彼女が脳神経外科のICUに担ぎ込まれた1月下旬、350キロ遠方に暮らすネコは、彼女が昨年12月半ばの引越しの際に忘れていったにおしっこをしたそうである。通常そんな行儀の悪いことをするネコではないのだが、その直後にネコは倒れ昏睡状態になった。2月5日に息を引き取った。 彼女はほぼ植物状態に近い状態になる。二日前におこなわれた10日ぶりのCTスキャンで驚くべきことが明らかになった。CT,MR

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    hmmm 2009/02/19
  • 近況 - kom’s log

    彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。 うれしい。彼女が存在していること。 負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれ

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    hmmm 2009/02/13
  • バーベキュー - kom’s log

    夏になるとヨーロッパの人々はやたらとバーベキューをしたがる。週末になるとバーベキューやりまーす、ぜひご一緒にという具合のメールが舞い込んできて、またかよ、と思う。友達には会いたいのでしぶしぶ会場に赴く。煙たなびく会場に到着し、さあさあ、と紙の皿をおしつけられ、ビールはいかが?と生ぬるくなったビールを与えられる。うへ、ぬるい。トム・ウェイツの歌"Warm beer, cold woman"などを哀れっぽく口ずさみながら座る場所はないかと探すが希少なるいすはすべて占領されしかたなく立ちんぼ。野外で飯をうのは野蛮人であると私は思う。露天で火をおこして肉を焼き、グリルをかこんでガツガツと生焼けの肉を貪りう、ビールを瓶のままあおってガハハ、外でう肉はうまいのお、そおだのお、である。ああこの肉片、台所で料理したほうがどれだけ美味いのに、と切れぬプラスチックのナイフでごしごしと肉を断片にしながら私

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    hmmm 2008/07/28
    "20のころの私は一年のうち100日近く寝袋屋外で寝ていたという記録が私の手元にある。"
  •  ル・モンドの『蟹工船』 - kom’s log

    先日触れたル・モンドの『蟹工船』に関する記事、屋さんが翻訳なさっていたのにやっと気がつきました。休暇に入る前にさくっとなさるとはさすが。 → 蟹工船に関するル・モンド記事翻訳@ね式(世界の読み方) 《このには、ヒーローも中心的人物もいない》、と出版社にあてた原稿にそえられた手紙に、タケジ・コバヤシは書いている。原稿は登場人物のひとりの以下の一言で始められている:《Allons, partons pour l'enfer !/訳;さあ、地獄に向かって旅立とうじゃないか! 》 <・・・> タケジ・コバヤシが勉学した、オタル(ホッカイドウ)商科大学が開催する、作家の死後75年を記念するエッセイ・コンクールの年優勝者は、不安定労働市場にもまれた25歳の若い女性で、こう書いている:『蟹工船の男たちは奴隷のように働いていたが、闘争を共有した。今日、わたしたちはひとりずつ見えない手によって“転落

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    hmmm 2008/07/25
  • 2008-05-17 - kom’s  左派の失策と<佐藤優現象>

    2008年の中国はジェットコースターだな、と思う。餃子に始まり(これは日との関係だが)、チベット、世界を巡る聖火リレー、地震、そして夏には北京オリンピックが待っている。地震があるまではオリンピックに全て関連しているな、と思ったのだが、地震まで起こってしまっては、どうにも説明がつかない。偶然とはすごいものだなと思う。 チベットの騒乱への日における対応を巡って「左派の失策」論争がしばらく前にあったのだが(inumashさんのこのエントリーあたりを中心に)、さまざまな人の主張を眺めていてなんかしっくりこないなあ、と思っていた。左派は失策したのかしていないのか、という問いはともかくも、どこか煮え切らないものを感じていた。 一方、国連人権理事会の勧告への日政府の対応のレビューイングが昨日あった関係で、金光翔さんの「<佐藤優現象>批判」が掲載されている雑誌インパクションを寝転がって読んだ。正月に

    2008-05-17 - kom’s  左派の失策と<佐藤優現象>
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    hmmm 2008/05/23
  • 棲み分け - kom’s log

    空手のトレーニング法の動画をニコニコ動画で眺めていて、この動画をドイツ人の空手仲間に見せたいな、と思った。でも”登録してみてよ”とか簡単に言えないし、ダウンロードしてYoutubeに再投稿するほどの欲求でもない。 1994年ごろのインターネットでは、ウェブサイト自体の数が少なかった。だからだろうけれど、サイトがどこの国のものかということよりも、関心を中心にユーザーないし読者のクラスターがなんとなく決まっていたように思う。2008年の今、インターネットは言語によってすみわけがすすんでその世界が分かたれている。使用状況(インターアクション、相互訪問など)をクラスターにわけたら、かなりはっきしした塊が言語によって区分できるだろう。おもしろくない傾向だよなあ、言語が違ってもなんとか場をもっと共有したりできないものか、と思ったりするのだが言語が違うと文化コードも違ってしまって、”空気読めない”どころ

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  • ドイツの教育格差―2008-01-25 - kom’s log

    空手の先輩がウルグアイに月末に引っ越すので家に呼んで夕を供した。ギムナジウムの物理の教師なのだが、それを3年ほど休職してウルグアイの私立高校で、ドイツ語で物理を教えることにしたのだそうである。海外に一度住んで別の文化の中で自分がなにを考えるのか体験してみたい、とのこと。 ウルグアイの私立高校は金持ちの子供が通うウルグアイの上流社会だから、なんかやりにくかもなあ、クレームとかすぐにくるそうだし、という話からドイツの中等教育状況の話になった。ドイツの子供は4年間の小学校を終えた後に、3種類の進路からひとつを選ぶ。ギムナジウム、ハウプトシューレ、レアルシューレの三種である。ギムナジウムは大学に進むことになり、ハウプトシューレとレアルシューレは前者が専門学校、後者が実業学校という感じで、たとえば職人や銀行事務員になる。10歳で進路を決めてしまうドイツのシステムは日でも「能力に応じて誇りをもつこ

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  • そういえば思い出した。 - kom’s log

    9月に日の大学で学部生向けに講義したあとで、女子学生が質問にやってきた。 「独創的なものの見方ができるようになるには学部の間になにしたらいいでしょうか」 ありえん。なんつー質問だ。独創性育成マニュアルなどというものがあるのならば、独創性そのものが疑われる。100万光年先の人間が目の前にいるような気分でしばし絶句。だが答えた。 「料理をしなさい。オリジナルなものを作ってみて、成功か失敗か即判明するのは料理です。」 我ながらあほかとおもいながら答えたのだが、予想に反して 「はい、わかりました、がんばります」 満足したのか馬鹿にしたのか、素直に去っていったのだった。

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    hmmm 2008/01/21
    独創性について。
  • 赤ん坊 - kom’s log

    大学のほうの友達の研究者が、研究所まで遊びによくくることがあって、最近は生まれたばかりの赤ん坊をよく連れてきていた。そうすると、うちのオフィスに乳母車を入れて(サイズ的に乳母車ぐらいだったら十分入る)、私が仕事をしている間、赤ん坊がそこですぴゃあっと寝ている。友達のほうはあっちこっち別の知り合いのところにいったりお茶飲んだりしている。赤ん坊がいるからといって私は別になにもしないし、(あひゃあ、ふわふわのお肌、とか思ってさわったりはするけれど)泣いたら泣いたで、あちゃあ、とか思って乳母車を伸ばした片足でゆらゆらゆすったりしている。親である友人はときどき様子を見にきて、ミルクをやったりする。 貧乏な社会で子を産むな@404 Blog Not Found はたと考えてみると、日の大学なり研究機関でこんなことってあるのだろうか、と思う。まわりを眺めても、どうしても都合が取れないときにはその親の赤

    赤ん坊 - kom’s log
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    hmmm 2007/11/23
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