当事者の意見を 尊重する。当事者の声を きく。だいじなことですよね。その当事者が 社会的に排除されてきた 現実があるなら、きちんと はなしを きくことから はじめないといけない。 いろいろな社会問題が あるなかで、これは ゆるせないと感じ、その問題の解決に とりくむことがあります。そのとき、「わたし」の主体で、「わたしは こんなことは ゆるせない」という問題意識から出発する必要があると おもいます。 逆に、差別に反対したり、日本社会の問題に とりくんだり、なぜ そういう社会運動を「わたし」はするのか。それを、いわゆる「当事者」が「いやがっているから」というリクツでやっていると、当事者とされる ひとが「いやがってくれないと こまる」ってことになってしまう。 そうなると、自分の主体よりも「当事者」の主体に依存してしまうことになる。「わたしが いやなんだ」というリクツで うごかないかぎり、「運動
あまりに形式的な 10月26日、いわゆる靖国合祀取消訴訟につき、那覇地裁が原告の請求*1を全て棄却する判決を出した。 報道によれば、主に以下のような理由で原告の請求は棄却されたようだ。 判決で平田直人裁判長は、山口県護国神社への合祀をめぐり遺族が敗訴した1988年の自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決をふまえ、「他者の宗教的行為に不快な感情を持つとしても、法的救済を求めることができるとすれば相手の信教の自由を妨げる」と指摘。靖国神社の「信教の自由」に基づく合祀を尊重する立場を示した。 http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000001010270002 平田直人裁判長は「民間人だった家族が英霊として祭られることに遺族が不快感や嫌悪感を抱くのは理解できないわけではないが、こうした感情は、信教の自由を妨害する具体的な行為があって初めて法的に保
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