高度経済成長期、東京・大阪といった大都市部で労働力が不足し、地方から多くの労働者を受け入れた。そうした大都市での労働力不足を補ったのは、おもに農村部の中学校を卒業したばかりの男女だった。彼ら・彼女らは「金の卵」と呼ばれ、もてはやされたが、右も左もわからぬままに上京し、駅に到着するやいなや、職場となる商店や町工場へと連れて行かれた。 京王多摩センター駅・小田急多摩センター駅は高架駅。両駅ともサンリオピューロランドの最寄り駅であることにちなんだ駅装飾が行われている 歳月とともに、「金の卵」も一人前になり、家庭を持つ。しかし、そのときには東京・大阪の土地価格は高騰。一般庶民が東京・大阪でマイホームを構えることは高嶺の花になっていた。 戦後、行政はマイホームを持つという夢を少しでも叶えるべく、東京・大阪といった大都市の郊外にニュータウンを計画。東京では多摩エリアに大規模ニュータウンの構想が固められ