(セ・リーグ、中日-DeNA、20回戦、17日、バンテリンD)3年ぶりの日本球界復帰登板となったDeNA・藤浪晋太郎投手(31)=前マリナーズ傘下3A=は86球を投じて、5回5安打1失点で降板した。五回終了時点で1―2でリードしており勝利投手の権利を得てマウンドを降りたが、直後に2番手・中川が六回無死から上林に初球の直球を右翼スタンドに運ばれる同点ソロを被弾。藤浪が日本球界での勝利となれば、2022年9月23日の広島戦以来、1059日ぶりだったが、〝初勝利〟はお預けとなった。

(セ・リーグ、中日0-6DeNA、19回戦、16日、バンテリンD)DeNAドラフト1位ルーキーの竹田祐投手(26)=三菱重工West=が90球を投げ、7回2安打無失点でプロ初勝利を飾った。直球の最速は150キロ。カーブ、スライダーなど変化球の制球も光り、緩急を使って6奪三振、凡打の山を築いた。ドラフト1位で入団した投手のプロ初登板初先発での勝利は、球団では2006年6月29日の巨人戦で6回1失点だった山口俊氏以来となった。
(セ・リーグ、巨人3-4中日、19回戦、巨人10勝9敗、13日、東京D)楽天から今季、巨人に加入した日米通算198勝右腕の田中将大投手(36)が先発。5回7安打3失点(自責0)の力投を見せたが、またも同199勝目を挙げることはできず「そんな簡単じゃないのは分かっている。それをずっと積み重ねてきているんで。(1勝を挙げる)難しさっていうのは分かっているつもり。チームの勝ちにつながる投球をしていかないといけない」と悔しさをにじませた。
■8月12日 日本のサッカー史上最高のストライカーで10日、肺炎のため81歳で亡くなった釜本邦茂さんは野球少年だった京都の小学校時代はプロ野球選手に憧れていた。中学に入り「サッカーなら世界中どこでも行けるし、五輪にも出られる」と誘われサッカー部に入ったが、好きな阪神は大人になっても応援していたという。 1995年の参院選で釜本さんは当時自民党幹事長だった森喜朗元首相のオファーを受け、比例区から当選し1期務めた。このとき、92年初当選の先輩議員に江本孟紀さん(当時自由連合=現サンケイスポーツ専属評論家)がいて「日本のスポーツ予算は少ない。国家のためにもスポーツ振興を」と訴えていた。 元阪神の投手と往年のストライカー。「党も違うので飲みに行ったりはなかったけど、釜本さんは阪神ファンだったので話は合った」と江本さんは振り返る。「国会では新人でも言動には風格があった。身長は私(188センチ)の方が
プロ野球・広島、阪急(現オリックス)で強打者として活躍し、中日、阪神などでコーチを務めた水谷実雄(みずたに・じつお)さんが10日午後2時56分、心不全のため兵庫県西宮市の病院で死去した。77歳。宮崎県出身。葬儀は近親者で行う。 宮崎商高から1966年、ドラフト4位で広島に入団し、勝負強い打撃で75年のセ・リーグ初優勝に貢献した。外野手から一塁手となり78年に打率3割4分8厘で首位打者。山本浩二、故衣笠祥雄らと79、80年の連続日本一を支えた。阪急に移籍した83年に打点王。84年の開幕戦で頭部に投球を受けて重傷を負い、完全復活できないまま85年限りで現役を退いた。ベストナイン1度。 阪急、広島、近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)、中日、阪神でコーチを歴任し、広島で前田智徳、95年に監督代行も務めた近鉄で中村紀洋を育てた。 通算成績は1729試合出場で1522安打、244本塁打、809打点、打率
ブレーブス―マーリンズのダブルヘッダー第1試合で一塁塁審を務めるジェン・パウォルさん=9日、アトランタ(ゲッティ=共同) 米大リーグの公式戦で史上初の女性審判員が9日、誕生した。48歳のジェン・パウォルさんがアトランタで行われたブレーブス―マーリンズのダブルヘッダー第1試合で一塁塁審としてデビューを果たした。 試合後に記者会見に臨んだパウォルさんは「本当に夢を実現できた。フィールドに出た際、大勢の方々が拍手と声援で迎えてくれた光景はとても感動的だった」とにこやかに語った。この日使用した帽子は米国野球殿堂博物館に寄贈。10日(日本時間11日)には球審を務める。 ブレーブス―マーリンズのダブルヘッダー第1試合前に記念写真に納まるジェン・パウォルさん(左から3人目)=9日、アトランタ(ゲッティ=共同)元ソフトボール選手のパウォルさんは、2016年にマイナーリーグでの審判員を始めた。下積みを経て、
プロ野球の2軍は、新本拠地への移転ラッシュを迎えている。巨人と阪神が今年3月に新スタジアムを開業し、日本ハム、ヤクルト、ロッテも選手育成の強化や施設の老朽化などを理由に相次いで移転計画を発表した。 新球場の大きな特徴は、観客席を大幅に増設してファンを呼び込む狙いがある点だ。さらに球場内や周辺に集客ニーズの高い施設が一体的に整備される傾向もあり、誘致する自治体も交流人口の増加や地域活性化に期待を寄せる。 メジャーリーグ仕様を取り入れたスタジアムの「ボールパーク化」は、日本でも1軍から流れが広まっていったが、規模を縮小しつつも2軍施設にも波及していることがうかがえる。2軍は従来、選手の強化・育成などのために運営されるため、直接的に利益を生まない「コストセンタ-」というのが球界の常識だったが、新球場の整備によってビジネスチャンスが到来し、「稼ぐ時代」へとシフトできる可能性が高まりつつある。 日ハ
(セ・リーグ、巨人-ヤクルト、16回戦、7日、東京D)球界をけん引してきた2投手の対決が東京ドームで実現した。球界最年長の左腕、ヤクルト・石川雅規投手(45)が約1カ月ぶりに1軍で登板。試合前の時点で日米通算198勝を誇る田中将と投げ合った。 プロ24年目で初となる36歳右腕との投げ合い。「マー君」の愛称で親しまれる田中将と、自身の名前の「雅規(まさのり)」にちなんで「〝マー君〟対決じゃん!」と話すなど意識しつつも、「相手どうこうではなく、しっかり自分自身に集中するのが一番大事。1軍のゲームは結果を出さなきゃいけないので。それだけですね」と冷静に試合に臨んだ。 五回。〝本職〟だけでなく、バットで見せた。2死で迎えた第2打席。カウント2-1からバットを短く握り、田中将が投じた直球をたたいて中前打を放った。「打ちたい」と思いを語っていた中、プロ1年目から24年連続安打を達成。自身が持つルーキー
《V9戦士の証言》三遊間をともに守った広岡達朗氏が語る「長嶋茂雄氏の功績と失敗」 現役時代は球界全体に貢献も「監督として“第二の長嶋”を育てられなかったのは残念」と話す 今年6月3日に89歳で亡くなった長嶋茂雄氏が、現役時代にチームの中心となって成し遂げたのが「9年連続日本一」だった。1965~1973年に打ち立てられた、日本プロ野球史に燦然と輝く“不滅の記録”であろう。生前の長嶋氏へのインタビューを含め、多くのV9戦士やそのライバルたちに取材して新著『巨人V9の真実』(小学館新書)をまとめたジャーナリスト・鵜飼克郎氏が、長嶋氏と三遊間を守った広岡達朗氏に話を聞いた。 * * * 東京六大学・早大の花形選手で“神宮の貴公子”と呼ばれた広岡氏が巨人に入団したのは、1954年のこと。華麗な守備でショートのレギュラーを勝ち取り、V9巨人の礎を築いた。1958年、同じ六大学野球のスターだった長嶋氏
DeNA7―4巨人(2日、東京ドーム) 一回2死三塁。2球で追い込まれてからが、DeNA宮崎の真骨頂だった。「後ろにつなぐ気持ち。粘って粘って」と顔色一つ変えず、際どいボールをファウルでかわす。8球目、内角球にバットをこすらせて飛ばした打球は、遊撃手のグラブをかすめて中前へ転がった。 今季4回目の対戦で、苦手のグリフィンからついに初得点。3点先取の突破口を開くと、4-1の五回は三浦監督が「芸術的だった」とほれぼれする左翼ポール直撃の中押し2ラン。九回にも左翼フェンス直撃安打で3安打3打点とし、3連勝での2位浮上を力強く牽引(けんいん)した。 覚悟があった。1日の巨人戦前、4番で主将の牧が故障で戦線を離れた。チームの緊急事態に動いたのが宮崎だった。普段は多くを語らない36歳は野手を集め、「一人一人がキャプテンのつもりでやろう」と呼びかけたという。 「宮崎が発言してくれて、チームが一つになれた
上々の初登板だった。DeNAに加入した藤浪晋太郎投手(31)=前マリナーズ傘下3A=が26日、日本球界復帰後初登板となるイースタン・リーグのロッテ戦(横須賀)に先発し、わずか5球で1回を三者凡退に抑えた。 6月11日以来の実戦登板。外野席を開放する異例の対応で受け入れたが、チケットの発行に時間が掛かり、藤浪の登板に間に合わなかったファンも。DeNAの2軍戦では今季最多となる3499人のファンが日本復帰を祝った。 阪神時代から使用する登場曲、Mr.Childrenの「終わりなき旅」でマウンドに上がった藤浪は、5番まで左打者を並べたロッテ打線を最速156キロの直球で押し込み、左飛、左飛、右飛に打ち取った。全てストライクで「思ったよりいい感じで入れました。とにかくストライクで勝負することが目的でした」と振り返った。米球界では中継ぎだったが、DeNAでは先発で調整を進める。
プロ野球巨人の山口寿一オーナーは14日、6月に亡くなった元監督の長嶋茂雄さんのお別れの会をシーズン終了後に東京ドームで開催する意向を明らかにした。東京都内でのオーナー会議に出席した後に「11月の下旬を想定している。遠からず、詳細を固めて発表したい」と話した。 オーナー会議後、取材に応じる巨人の山口寿一オーナー=14日、東京都内また「志を受け継ぐような賞をつくっていきたい」と述べ、打者を対象とした長嶋さんの名前を冠する賞の創設を目指す考えも示した。 「ミスタープロ野球」と呼ばれ、戦後の日本を代表するスーパースターとして活躍した長嶋さんは6月3日に肺炎のため死去した。8月16日の東京ドームでの阪神戦は追悼試合として行われる。
日本野球機構(NPB)とプロ野球12球団による実行委員会が7日、東京都内で行われ、2軍公式戦の1リーグ3地区制への再編を14日のオーナー会議に諮ることを決めた。来季からの移行が承認される見込み。 各地区の構成は東地区が楽天、オイシックス、日本ハム、ロッテ、ヤクルトの5球団、中地区が西武、巨人、DeNA、くふうハヤテ、中日の5球団、西地区が阪神、オリックス、広島、ソフトバンクの4球団となる見通し(地区名は仮称)。現在は同じ14球団によるイースタンとウエスタンの2リーグ制で争われている。 2軍公式戦には昨年、1軍を持たない新潟のオイシックスと静岡のくふうハヤテが加わった。実行委員会に出席した球団幹部は「将来の2軍拡張を見据えて、積極的に議論している」とさらに球団数が増える可能性についても言及した。
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