『カーサ ブルータス』2019年8月号より July 14, 2019 | Vehicle, Design | Chill CARS | photo_Futoshi Osako text_Fumio Ogawa illustration_Daijiro Ohara
それをロックファンはプログレと呼んだ。1960年代後半からブレイクする70年代初頭にかけて、プログレは夏場のセミのように鳴き散らかしていた。 プログレッシブ(進歩的)・ロック。それがプログレの正体であり、進化し続けると言いつつも今では、古典芸能のような位置を保ち続けている。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、ELPなどのメジャーどころから、果てはジャーマンプログレへ向かうマニアも僕のまわりには何人かいた。あれから随分、時は流れ、酒が入ると若き日の自分をオーバーラップさせ、プログレ話に花を咲かせるオヤジたち。「フツーのロックでは飽き足らなくなった」だとか、「オレは聞く時、毎回、瞑想(めいそう)してたから」などと、気分はもう宇宙。当時、童貞をしこたまこじらせていたこともすっかり忘れて、プログレに於(お)けるトリップについての言及は止まない。 「ピンク・フロイドの『狂気』が、ビートルズ
特急「あじあ」(1930年代) 初期生産型パシナ形973号機(1934年) 最終生産型パシナ形981号機(1936年) 勝利7型(パシナ形751号機)、1984年 1932年(大同元年/昭和7年)の満洲国成立当時、黄海に突出した港湾都市大連と、首都新京との間は満鉄連京線によって結ばれており、大連では大連港を発着する日本への定期船に連絡していた。 「あじあ」は、国際旅客も多く利用する大連 - 新京間の速度および快適性を向上させ、世界水準の旅客サービスを提供することを目標に計画された列車である。1933年(大同2年/昭和8年)8月に空気調和設備(冷房装置)を備えた特急列車の開発が決定し、翌年にかけて比較的短期間で開発が進められた。「キング・オブ・ロコモティブ」として知られた設計責任者・吉野信太郎は、アメリカン・ロコモティブ社に2年半留学。帰国後の1927年(昭和2年)に「パシコ」形を設計し、そ
春の時点ではレッドブルの次期F1ドライバー候補として、F1のテストにも参加していたダニエル・ティクトゥム。だが、TEAM MUGENから参戦した今季のスーパーフォーミュラでは開幕3戦で結果を残すことができずにレッドブルから解雇され、スーパーフォーミュラのシートも失ってしまった。今季からTEAM MUGENの監督となってシーズンオフから共に戦った中野信治監督はティクトゥムをどんなドライバーと見ていたのか。そしてレッドブルの今回の決定をどう受け止めたのか。ドライバー育成の面でもプリンシパルの佐藤琢磨とともにホンダのSRS-K/Fのヴァイス・プレジデントを務める中野監督の感想を聞いた。
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