●2010年がやってきた。で、今年アニバーサリーな作曲家および音楽関連の人をピックアップ。ワタシの感覚だと、記念年というのはちょうど100年単位のときにそれらしくなる。150年とか30年というのはあまり「使えた」ためしがないので、100年単位のみで。 ●ただし例外はマーラー。今年生誕150年を迎えて来年没後100年を迎えるので、連続記念年となる。これは盛り上がるかも。すでにUniversal Editionがこんなブログを立ち上げている。 [生誕300周年] ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)作曲家 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)作曲家 シャルル=シモン・ファヴァール(1710-1792)台本作家、オペラ=コミック支配人 [生誕200周年] フリデリック・ショパン(1810-1849)作曲家 ロベルト・シューマン(1810-1856)作
N響の第九も観終わり、今年も残すところ1時間。紅白でのスーザン・ボイルさんの歌声にため息が出ました(第九も第4楽章でしたが、録画しているから…と紅白に移動。総合と教育でぶつけないでください、NHKさん…)。ステージで堂々と、のびのびと美しい声を響かせる。さぞ嬉しかっただろうなぁと思いながら聴いていました。 さて、今年も読んで印象に残った本をまとめながら、今年を振り返りたいと思います。ランキングではないので、順不同です。 ◆日日是好日 「お茶が」教えてくれた15のしあわせ お茶(茶道)を通して、何かを学ぶこと、成長すること、生きること。そして作法の中にある自由とは何かについて考えた本。読んで、同感と思うところがいくつもある、不思議な体験をした本でした。 自分の成長や変化には、なかなか気付かないことが多い。進展がなく滞ったままで、自分はダメだ…と思う。でも、「何か」は自分の見えないところで積み
古い時代は分かりませんが・・・今年はキリのいい人だけにしておきます。 Wikipediaに記事のある人たちです。 ジル・バンショワ (Gilles de Binchois、1400年頃-1460年) 没後550年 ミシェル・ランベール(Michel Lambert、1610年-1696年) 生誕400年 ガスパル・サンス(Gaspar Sanz、1640年-1710年) 没後300年 ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux、1660年-1741年) 生誕350年 ヨハン・クーナウ(Johann Kuhnau、1660年-1722年) 生誕350年 アンドレ・カンプラ(André Campra、1660年-1744年) 生誕350年 アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660- 1725) 生誕350年 クリストフ・グラウプナ
(1) 武満徹と松下眞一が入選した軽井沢の第2回現代音楽祭で、その「コンクール」は音楽之友社とのタイアップ(入選作を音友から出版)だったらしい、ということ、 (2) 二〇世紀音楽研究所の「所長」の肩書きになっていた吉田秀和さんが、音楽之友社社史によると、昭和30年代に「音楽芸術」誌の編集顧問の肩書きを与えられていたらしいこと(渡欧した山根銀二の後を受けて1954年頃から、ただし、いつまで顧問の肩書きがあったかは不明) ……というような断片的な情報からの推測にすぎませんが、60年代日本の主に1930年前後生まれの当時の若手を前面に押し出した「前衛音楽」には、音楽之友社の『音楽芸術』の仕掛け、という側面があったのではないかという気がしています。 (だから悪い、と言うわけではなく、「前衛音楽」に、同人会的な運動に回収できない部分があったことは、むしろ、「前衛音楽」を社会的文脈に据える手掛かりでも
これから松本に向かいます。マン翁の取材。カーター100歳イベントでジュリアード音楽院の中でお会いして以来だなぁ。もう80代半ば過ぎじゃあないかしら。お元気でいて欲しいものであります。 さて、昨日、東京オペラシティでヴィラ=ロボス作曲「ブラジル風バッハ」全曲演奏会が行われました。中身に関しては、ウェブの海の上に様々な感想が漂っていることでしょう。小生とすれば、「あああ、俺はもうでっかい編成の曲にはホントの関心はないんだなぁ」とあらためて感じさせられた次第。困ったもんだ。 で、昨日の演奏会、曲目解説はラテン音楽の権威、濱田滋郎先生がお書きになっていらっしゃいました。ところで、曲目解説には大きく分けて、「資料として後に残せるもの」と「開演前の20分に必要な情報を与えて読み捨てられるもの」と、ふたつのタイプがあります。どちらにするかは、編集者(主催者のパブリシティ担当者)の腹具合ひとつです。基本的
2009年08月06日18:00 カテゴリ書評/画評/品評Love 誠実なる無回答 - 画評 - この世界の片隅に この世界の片隅に(上中下) こうの史代 「夕凪の街 桜の国」を読了したとき、あの戦争を描いた漫画で、あれ以上の傑作はありえないだろうと思ったが、私が間違っていた。 こうの史代を超えたのは、こうの史代だった。 本作「この世界の片隅に」の主題は、実は戦争でもなく、死でもない。そこにおける戦争の描写も死の描写も見事ではあるけど、戦争は背景であり、死は出来事である。 「答えろ」という質問、いや暴力に対する、誠実な返答なのだ。 そしてその答えは、「答えられませんでした」というもの。 答えになっていない。 それこそが正解。 こうの史代作品には、オチがない。それも「さよなら絶望先生」のように、それ自体がネタになっているからオチがないわけではない。ましてや描くための手間ひまも能力もないからで
→紀伊國屋書店で購入 数十年前に出版された『音楽家の社会史』がこのたび「新編」として再版されることになった。大歓迎だ。歴史の本にありがちな古色蒼然とした内容とは一線を画し、現代の世相につながる接点がたくさん含まれている。今回あらためて読みなおしても、とても新鮮に感じられた。 本書では18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで活躍していた音楽家たちの実生活が紹介されている。具体的にはモーツァルトからシューマン、ショパン、リストあたりまでの世相と思えばよいだろう。作曲家にとっての著作権や作曲料に関する実情、あるいは演奏家として生計を立てる際に直面せざるを得ない数々の経済的なハードルなどに関する話題が、生き生きと描かれている。 その昔、音楽家は王侯貴族の庇護のもとで活動していた。おかかえ音楽家として雇用者の満足のために作曲し、演奏することによって生活が保障されたのだ。報酬は現金とは限らず、食料品な
<龍馬伝>妻お龍を真木よう子、初恋の人に広末 岩崎弥太郎を香川照之 大河ドラマ出演者発表 7月14日16時8分配信 毎日新聞 福山雅治さんが坂本龍馬を演じる2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主要キャストが14日発表され、龍馬の妻お龍を真木よう子さんが演じることが分かった。またドラマの中心となる岩崎弥太郎を香川照之さん、龍馬の盟友武市半平太を大森南朋さん、龍馬の初恋の人・平井加尾を広末涼子さんが演じる。 【関連写真】龍馬の初恋の人・平井加尾を演じる広末さんの写真 「龍馬伝」は、幕末の風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、三菱財閥を築いた幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視点から描くオリジナル作品。いつも自分の先を歩く同郷の天才龍馬にあこがれる弥太郎が、土佐藩参政で師事する吉田東洋が暗殺されたのを機に龍馬を憎むようになる。二人は長崎で再会し、衝突を繰り返すが、「世界の海援隊を作る」龍馬の志は龍
池田屋騒動当時の場所に復活した居酒屋「池田屋」=京都市中京区往時をイメージした約10メートルの大階段=京都市中京区の居酒屋「池田屋」 幕末、新選組が尊皇攘夷(じょうい)派志士を襲撃した池田屋騒動の舞台となった旅館の跡地(京都市中京区)に8日、約130年ぶりに池田屋が復活した。ただし、居酒屋。 昨年から空いていたビルに居酒屋チェーン「はなの舞」が進出。初日から新選組ファンらでにぎわった。地元商店街も「観光の起爆剤に」と期待をかける。 東映京都撮影所などの協力を得て、映画や芝居の「階段落ち」シーンで有名な大階段を店内に再現した。「酔ったお客様が落ちはしないか、それだけが心配」と店長。
(前回から読む) 宮崎県南郷村(現美郷町)は、明治、大正、昭和初頭と、林業で栄えた村だった。材木景気が去るとダム建設で口を糊した。公共事業にすがった一時代があった。それも過ぎれば、山の緑と蒼天が美しいばかりの、静かな村になった。村外に流出する人の数が増え続け、やがて過疎の村といわれるようになる。 村の所在地を聞かれれば“椎葉村の隣、若山牧水の生家のそば”と説明してきた「何もない村」の住民は、諦観に甘んじるようになっていた。同じ「何もない村」でも、椎葉は、ないことを逆手にとって「秘境」で全国に名を馳せた。観光客は秘境へ、椎葉へなびく。大型バスが、県外ナンバーの乗用車が、南郷村を素通りしていった。 「神門神社(みかどじんじゃ)の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか、祖母の話じゃと、昭和の初めころ神門神社の銅鏡を研究に来た広瀬都巽(とせん)という学者は、ご飯を食べるのも惜しんで鏡を見つめておったそ
自分で耳を切り落としたというのが通説のオランダ出身の画家ゴッホは、友人のフランスの画家ポール・ゴーギャンに剣で耳を切り落とされたする新説がドイツの歴史家によって発表された。5日付の英紙デーリー・テレグラフが報じた。 独ハンブルク大のハンス・カウフマン氏ら2人が新著の中で発表。それによると、1888年12月、ゴーギャンは南仏アルルのゴッホの黄色い家で暮らしていたが、なじみの売春婦をめぐって口論になり、ゴーギャンが剣を振り下ろすとゴッホの耳がそげ落ちた。故意か事故かは不明だが、ゴーギャンは剣をローヌ川に捨て翌日、警察には「ゴッホが自分で切り落とした」と説明。事件後、ゴーギャンが家を出たため、失意のゴッホは沈黙を守り続けたという。(ロンドン 木村正人) 【関連記事】 ・ 【世界写真紀行】コロンブスに本名? ペンサコラ450年で新たな謎 ・ 【世界写真紀行】欧州の“新名所”続々 400年後
タイトルは勿論ドラクエ他RPG風にお読みくださいw 先日、岩波少年文庫で「カレワラ物語 フィンランドの神々」が出版されたのですが、小泉保先生による完訳岩波文庫版も、ついに復刊されました! 現在、第7刷。2009年2月に復刊されたばっかりです。 まだ届いたばっかりなのでちゃんと読んでいないのですが、上巻の一番最初、第1章序詩の文章の美しさに惚れました。何か壮大な物語が始まることを感じさせる文章で、ワクワクする。文章から、フィンランドの豊かな自然と、語られる伝説と、人々の暮らしの様がイメージできる。これから読むのが楽しみです。アニメ「牧場の少女カトリ」のカトリの気分だ。小泉先生の訳は口語になっているから読みやすいが、カトリが読んだであろうフィンランド語による原典版は文語で、もっと読みにくかっただろう。しかもカトリは学校には通えず、独学で「カレワラ」を読んだ。あらためてカトリは凄いと感じた。 巻
編集元:ニュース速報板より「PC-98シリーズの思い出」 1 すずめちゃん(catv?) :2009/03/02(月) 18:26:37.50 ID:nfOrFBxt ?BRZ(10111) ポイント特典 パラメトロンからPC-9801まで、技術遺産に認定 1950年代にスタートした日本のコンピュータ開発の歴史は50年に及ぶ。手で多数の歯車を回転させて 計算結果を得る機械式計算機となると、その歴史は1902年にまでさかのぼる。そんな日本の計算機・ コンピュータの歴史に輝く技術的成果・製品を「情報処理技術遺産」として認定する――。情報処理学会は 3月2日、東京・上野の国立科学博物館で「情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館」の認定式を 行った。 全文はソースで http://www.atmarkit.co.jp/news/200903/02/museum.html
先週来の駿河台日大所有ホール閉鎖を巡りましては、どうも周囲で想像以上の反応が起きているようで、そのこと事態が極めて興味深い現象であります。 朝日新聞の日曜日の記事(下URL)で吉田純子記者が「大物頼みになりがちな音楽界で、室内楽という地味なソフトに徹底的にこだわる姿勢」と仰ってるようなあり方は、21世紀初頭の東京主要室内楽ヴェニューに散らばり、それぞれの主催者なりヴェニュー所有者のキャラクターに合わせたやり方でもう何年も展開し、定着したり、失敗したりしている。カザルスホールは13年間の実りの種を、東京各地にばらまき、とっくに歴史的な役割を全うしている。オルガンという不動産を除けば、代わりになる場所はいくらでもある。朝日新聞のお膝元の朝日ホールだって、トップが交代すると変化はあるものの、90年代カザルスホールの縮小コピーのような活動を行っていることは吉田記者もよくご存じのはず。「建物は消えて
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