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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (41)

  • 見る目、聞く耳/アルチンボルド展を観て: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ウリッセ・アルドロヴァンディという16世紀のイタリア・ボローニャで生まれ育った有名な博物学者がいる。1522年に生まれ、1605年に没している。 アルドロヴァンディが有名なのは、自身がイタリア各地で採集した植物を中心として、めずらしい動物や鉱物の膨大な数の標を集めたミュージアムを開設し、そこに国内外から多くの博物学者が訪問したからだ。 アルドロヴァンディはミュージアムに彼自身が学問的に価値があると捉えた様々な品を集めただけでなく、自らの蒐集品を元に動植物誌の編纂を試みた。そのため、多くの画家に収蔵品を素描させているのだが、その中にはドラゴンや人面鳥などが当たり前のように混ざっている。 これは現代から見れば非科学的で、とても学問的には思えないのだけれど、それがおかしく思える

    hyougen
    hyougen 2017/06/29
  • とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった」。 これが『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』で著者のポール・バロルスキーが描くルネサンス文化のイメージだ。 ユーモラス、冗談、剽軽、奇矯、ウィット……。 ルネサンスと聞いて、すぐさまこれらの印象を思い浮かべる人がどれだけいるだろうか。 それくらい、バロルスキーが教えてくれるルネサンスのイメージは、通常のルネサンス像とは距離があるように思う。そして、この距離感こそが僕の興味をひいたものの正体だ。僕は違和感に興味をひかれる。 「この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエ

    とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー: DESIGN IT! w/LOVE
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    hyougen 2017/04/05
  • 肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー/マリオ・プラーツ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし前に19世紀への興味について書きました。 19世紀というと、20世紀生まれの僕からすると、そんなに遠く感じない時代かなと思う一方で、デザインの文脈でいえば、アール・デコやバウハウス的なモダンデザインが登場する前、せいぜいアール・ヌーヴォーが19世紀の末に登場したくらいの時期であり、社会の見た目はいまとは大きく違ってもいた時代だったはずです。 特に、ヨーロッパの都市は衛生状態が劣悪で、貧困層を中心に多くの死者や病人を出すことが18世紀以来続いていました。ようやくパリで、1853年から1870年まで17年にわたって知事を務めたジョルジュ・オスマンによる大改造が行われ、都市環境が改善されはじめたのが19世紀の半ば。実際、このあと紹介していくように、18世紀から19世紀の前半

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  • 僕が難読本を読む理由: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕が勤めるロフトワークという会社では、毎月はじめの月曜日にクリエイティブMTGという名で、参加を表明した7−8名程度が1人5分ずつプレゼンをするイベントがあります。 今日もそれがあって、僕も「僕が難読を読む理由」というテーマで、ちょっとしたプレゼンをさせてもらったのですが、せっかくなので、そこでしゃべったことをブログ記事にしてしまうか、と。 上は、うちの棚の一部ですが、ここに並んでいるあたりが僕のお気に入りの。 まあ、なかなか人が読まないばかり読んでます。 左から5冊はバーバラ・スタフォードという18世紀の啓蒙の時代においてイメージが科学や教育に果たした役割を扱うのが抜群に上手な女性研究者の著作。そして、もう1人、僕がすごく影響を受けているフランセス・イエイツがとい

    僕が難読本を読む理由: DESIGN IT! w/LOVE
  • ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 技術とその応用が人間というものを大きく変えます。 マクルーハンが「すべてのメディアは身体の拡張である」と語ったのと同じ意味で、あらゆる技術は単に人間の生活スタイルを変えるだけでなく、人間の思考や物事の捉え方自体を革新してしまいます。 ようするに、常に僕らの思考や価値観はいま現在用いられている技術の影響なしにはありえない、そういうことになります。また、過去に同じように人々の思考を変えた技術の影響に僕らの思考は囚われたままということでもあると思います。 ほとほと困ってしまうのは、僕ら自身がそのことをすっかり忘れがちだというでしょう。 僕らは、あたかも自分たちが自由に考えているように信じているし、普遍的な仕方で考えていると勘違いしています。それゆえに思考や価値観に関してはきわめて

    ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE
  • 19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 わかりやすさとリアリティ。 何かを「わかる」ということが、その何かが置かれた文脈を理解することなのだとしたら、わかりやすい文脈ごと提示してリアリティを感じさせる表現というのは、何かを「わかりやすく」伝えるための非常に有益な方法の1つといえるでしょう。 すーっとリアリティをもって受け入れられるということは、そのこと自体、そこに表現されているものが、それを受けとる人にとって、わかりやすいものになっているという証拠だといえるのかもしれません。 ▲1875年に竣工のパリ・オペラ座(ガルニエ宮)。まさに19世紀後半のパリ大改造で建てられた建築物 その方法の模索…、 ぱっと文脈を読みとることができるリアリティある表現によって大衆が「わかる」ものを提示する方法…、 それが大々的に模索され

    19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ: DESIGN IT! w/LOVE
    hyougen
    hyougen 2015/05/30
  • フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論/ヘンリー・ペトロスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 以前から読みたかったヘンリー・ペトロスキーの『フォークの歯はなぜ四になったか 実用品の進化論』が文庫版にて復刊されます(1月9日発売です)。 そして、「読みたかった」この書評を発売前のこの時点で書いているのは、実は文庫版出版にあたり、光栄にも僕が巻末の解説を書かせてもらったからです。 ここに構想(デザイン)という考え方が登場する。Oxford English Dictionaryに英語としてdesignという単語が初出するのは一五九三年である。フォークはそんなルネサンスの文化の雰囲気のなかで登場し各国で使われるようになったのだ。それは単なる偶然の一致ではない。 ヘンリー・ペトロスキーの著作に関しては、このブログでも以前に『失敗学―デザイン工学のパラドクス』(書評)や『

  • 近代視覚表現技術とともにあった「想像力」の危機: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視覚表現技術をどう進化させるか?という課題が、ひとの想像力をこの時代にあったものに拡張するうえで、重要なポイントの1つだろうという思いを最近より強く感じています。 そんなことをあらためて考えるようになったのは、前回の「反-知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する」という記事でも紹介した高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』というのなかでこんな記述を目にしたからでもあります。 前回の記事中でも取り上げた17世紀初めのヴンダーカンマー(驚異博物館)の流行の時代を、高山さんは「想像力」の時代でもあると読み解きながら次のように書いているんです。 事物の集積に未曾有の関心をもった17世紀初めのそうした「エキセントリック・スペース」の流行を背景にしてみてはじめて、人間は自

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    hyougen 2013/02/15
  • 書くことがないというのは考えてないというのに近い: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日ちょっとインプットとアウトプットのことについて書きましたが、アウトプットという点では、書くことがないというのは考えてないというのに近いんだろうなと思います。 書けるくらいに考えているかどうか。それに満たない考えというのは、たぶん意識がゆらゆらしてるだけであって考えてるとはいわない。 もちろん、この「書く」は、絵を描く、見積もりを書く、ワイヤーフレームを描く、日記を書く、ブログを書く、報告書を書く、など、いろんなアウトプット形式があっていい。ただし、ある程度の量はないと考えというのはまとまったり展開したりしないので、140文字だと話にならない。 考えるというのは頭のなかでアウトプットを構成し組み立て展開する作業だと思います。自主的に「書く」という行為を行っているかは別にし

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    hyougen 2009/12/18
  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

  • コンセプトワークにおける編集力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、紹介した『地域ブランド・マネジメント』というのなかで、コンセプトづくりに関して、非常に納得のいく箇所があったので紹介しておきたい。なぜ、ここだけピックアップしてあらためて紹介しておくかというと、コンセプトづくりの過程において、まさにこうしたことができずにろくでもないコンセプトしか生み出せていない現場が多々あるように感じるからです。 「地域ブランド・マネジメント/和田充夫ほか」で書いたように、地域ブランドのコンセプトをつくるためには、その地域の歴史文化、産業、自然、生活インフラ、人びとのコミュニティなどの資産を収集・整理し、それが現在どの程度認知、評価されているかの現状を把握することからはじめます。つまり、これはブランドのコンセプトをつくるための素材を集める作業です

  • 正しい行動を行うための3つのステップ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 マーケットをみて顧客をみない。マーケットをみるのも競合他社の動向や流通をみる。いや、いちばん目を向けているのは社内の上司や他部門のことかもしれません。あるいはまわりに目をやる余裕もなく、ただ目の前の自分の仕事を処理するのに精いっぱいだったりするのでしょうか。 それでは売れる商品など、なかなか生まれてくるものではありません。 ヒットするサービスなど、つくれるわけもありません。 自分たちの社内や自分自身の仕事のことにしか目を向けず、外の世界をみることがないのなら、どうして外の世界から評価されるものが生み出されるのでしょうか。 問題を小さく捉えることができないなかには、そうした現状を憂いて、ちゃんとしたものづくりをしたいなどと口にする人もいます。そのものづくりの対象は商品であるこ

  • やっぱり感受性が学ぶための基礎なんだろうな: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 物事からなにかを感じとる力。 自分が感じていることを意識のうえでも受け止める力。 客観的な知識ではなく、自分で感じたことを信じる力としての感受性。 この感受性がいろんなことを学んだり勉強したり理解したりする上での基礎となるものなんだろうなと思います。 頭がわるいとかではなく、感受性がよわい「いま勉強中です」とか「いろいろ教えてください」とか口ではいいながら、いつまでたっても成長しない人がときどきいます。たしかにそういう人は勉強していたり、いろんな人に教えてもらったりしていたり努力はしているのですが、なぜかどこか決定的に飲み込みがわるいし、みると勉強の方向性や疑問の持ち方がズレていたりする傾向があります。 程度は極端にダメなのもあれば、ちょっとズレてるなという程度のこともある

  • 「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん。わからなかったら、わからないでいいじゃんと思うんだけどなー。 すくなくとも焦ってすぐにわかろうとしなくてもいいと思うんですよ。 わかるとかわからないとか所詮は個人の問題だと思っています。 いや、全部がそうじゃなくて、人間社会の仕組みとしての決めごと―たとえば試験の答えだとか、法律で決められてるやっちゃいけないこととか、待ち合わせの場所と時間とか―そういうのは、決まっていることをわかる必要があって、決めたことが1つなら答えは1つです。 でも、そういう決めごとの外にあるもの―たとえば他人の気持ちとか、誰かによって主張された内容とか、自然や日常の出来事をどう解釈するかとか―を、どう見るか、わかるかは所詮は、わかる側の個人的な問題でしかない。たとえ相手に「なんで、私の気持ち

  • 古代人にとっての装飾: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「長い人類史のほとんどの時間の中で、デザインは豊饒の暗喩であり、人為の痕跡をうたいあげる装飾であった」とあったと述べる原研哉さんは、『デザインのデザイン』のなかで、かつての人類が装飾を必要とした理由を以下のように想像しています。 たとえば、中国の青銅器はその出現の当初より、渦巻き状の紋様によってびっしりと覆われている。この装飾はなんのためだったのだろうか。(中略)何も描かれていないプレーンな青銅器よりも、びっしりと渦巻きがほどこされたものの方が人々の注意を喚起する。なぜなら、高度な熟練による技巧と、膨大な時間に及ぶ人為の蓄積がそこに凝縮されているからである。それゆえに紋様の複雑さは独特のオーラを発しているように感じられる。青銅器は当時のハイ・テクノロジーであり、時の権威と密

  • それでも、デザインの核は装飾である。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし間が空いてしまいましたが、「デザインは装飾である、デザインする人に必要なのは美的センスである」というエントリーを書いたら、「装飾はデザインという行為の一手段に過ぎない」とか、「こればっかりは聞き捨てならない。『装飾』という言葉は違うと思う」といった反論がいくつかありました。 まぁ、ちょっといきなりあれだけを読むと誤解されるかもしれませんね。 でも、そもそも、どうして「装飾」という言葉にそんなに敵対視した感情が起こるのかがわからず、ちょっとびっくりでした。なぜ「装飾」という言葉をそれほどまでに拒否し、「一手段に過ぎない」なんて地位に落とし込めてしまうのか。「装飾」というのは、そんなにも嫌悪の対象になるものであることが驚きでした。 デザインとは問題解決? はい。もちろんで

  • 早く多く間違えよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 土曜日のデザイン思考のワークショップで、また1つ気づきがありました。 それは「早く多く間違えると、進展は早い」ということです。 今回のワークショップでも、例によって2チームに分かれて、それぞれおなじ課題をやってもらいました。 大抵の場合、そうなるのですが、どういうわけか、2チームに分けると片方の出来がよく片方がわるいという結果になるんです。なぜだかわからないんですが、大抵はそういう結果になる(これが3チームだとそうならない。なんでだろ?)。 ところが、土曜日のワークショップでは、いままで以上に2チームの差が大きかったんです。それは片方がいままでと比べて著しく出来が悪かったからではなく、片方がこの手のワークショップをやって以来、はじめてというほど、出来がよかったからなんです。

  • なぜ、KJ法は失敗するのか?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 フィールドワークなどの調査で集めた質的情報を、俯瞰的視点と細部に踏み込んだ視点の両方を用いて包括的に分析し、分析結果をメンバー間でしっかり共有しておけるかが重要になります。 ある事実を観察したとしても、 事実を特定の視点による特定の角度からしか観察できないすべてを観察することができず一部のみしか観察できない観察者の意思が働いて、観察結果に事実そのままではない強弱ができてしまう観察者それぞれで異なる見方をしてしまうので、おなじ事実をみても観察者によって解釈が異なる ということが起こるので、観察した結果を、調査後、再度メンバー全員での分析作業により、上記の問題を補う必要があります。 多くの調査がこの分析作業を重視しないので、多くの事実が抜け落ちてしまったり、ゆがめられて解釈され

  • 休み休みでも、最後まで自分が謎だと思うものにこだわり続ける: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 新しい発想が必要だったり、何か自分の置かれた状況を変えたいと思うなら、自ら進んでむずかしい仕事、手間のかかる作業に、ねばり強く集中して取り組む必要があると思います。 自分にとって未知の対象だったり、どう考えても自分の手に余るのではないかと感じられる膨大な量の情報を前に、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返してこそ、いままで手にしたことのない突破口というのは見つかるはずです。 それと180度異なる姿勢は、むずかしい仕事に相対したときに要領良く要点だけつかんで、話術や表現力でなんとなく周りも自分も誤魔化してしまうことでしょう。 ほとんど苦労せずに元々自分で理解できる範囲でうまく丸めこんで、わからない部分はやり過ごしてしまうことになるので、そこからはとうぜん、新しい収穫は

    hyougen
    hyougen 2009/07/18
  • 点の思考、線の思考: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 みなさん、思考する際に、静止した点で考えていないでしょうか。 動かない固定された何かを過程して話をしたり、最終的なアウトプットや結論ばかりを重視しすぎてはいないでしょうか。 思考の過程そのものが重要で、思考する過程を共有することが最終的な結論や定義を共有することよりも意味のあることだということに気付いてらっしゃるでしょうか。 行く川のながれは絶えずして機械やシステム、その他、人間がつくったモノが相手であれば、それでも構いません。しばらくほっといても、そうしたモノは変化しないのですから。いったん定義した機能や形態はそうとう時間が経たない限り変わりません。それなら静止した状態でモノを考えても困りません。 しかし、それが人間や生物なら違います。 この季節なら庭はちょっとほっておけ